大兄弟の長男

 気がつくと、知らない所にいた。寝ていた。ソファーの上で、薄めの布団ふとんをかけて。

 かたそうな大きな手をしていた。これは、私ではない。もしかして、はるつぐさん? でも、彼は死んだのでは?

 いや、これは、はるつぐさんが亡くなる前の記憶かもしれない。

 自分は、体を起こした。レースのカーテンしに朝日あさひが差し込んでくる。この部屋全体的には暗め。電気がついていない。ただ、唯一ゆいいつ明かりが付いているのが台所。母親らしき女性が立っていて、朝ごはんでも作っているのだろうか、何やら作業をしている。


 大きな両手いっぱいにまった水を

ぱしゃーんといきおいよく顔にかける。そして、タオルでれた顔をふく。顔を洗ったのか。寝ぼけた顔に水をかけ、目をます。私はいつもやらないので、とても新鮮だ。

 顔を洗ったあと、母親がいる台所に行った。

「おはよう、母さん」

「あ、春次はるつぐ。おはよう」

 はるつぐ! やはりこれは、はるつぐさんの記憶だ。亡くなる前の。

 はるつぐさんは、母親の手伝いをした。

すごい。それを見ている私に衝撃しょうげきと感心が入りじった。そして、鳴門なると渦潮うずしおのようにぐるぐると激しくうずを巻いている。


 朝ごはんができあがってくるころになると、はるつぐさんは、台所を出た。まだ寝ている兄弟たちを起こすためらしい。兄弟たちが寝ている寝室へ。

 ちょうど寝室からは、目覚ましの音が聞こえた。そして、うるさいほどにり響いている。

 はるつぐさんは寝室をのぞき込んだ。寝室には五人くらいの弟、妹たちが寝ていた。そのうちの三人の弟たちが起きた。

「おはよう」

 はるつぐさんが、弟たちにそう言う。

 最初に出てきた、むすっとした顔の弟は、

「んー」と言葉にならない声をだす。普段は綺麗に整えられていそうな丸い髪型も、所々

みだれていた。次に出てきた背の高い、でも細身の、竹のような感じの弟は、「おはよ」とさわやかな声で短く言う。最後に出てきた、小さく、大福のような、白っぽくてふんわりとした、可愛かわいらしい弟くんは、元気よく「おはよう」といった。とても可愛かわいい。はるつぐさんは、三人の弟たちを見送ると、寝室に入った。まだ、残りの弟とすえっ子であろう妹が眠ったままだ。あれほどうるさい目覚ましの中で起きないとは、けっこうな強者つわものである。

照行てるゆき、すず、起きて。朝だぞ」

 はるつぐさんの声に、小さな妹は、うーんと声を出し、ゆっくりと起きて一呼吸。可愛いらしいおかっぱヘアは、見事なほどにれ果てている。一方、弟の方は、まだ起きない。

「照行! 起きろ」

 もう少し音量を上げたが、まだ起きない。

 はるつぐさんは、弟に近づき、ほっぺをつねる。いてっ。そんな声とともにようやく起きた。

「朝だぞ」

 しあげの一撃とばかりにきっぱり言うと、弟は寝室をあとにした。


 はるつぐさんは、荒れ果てた髪の妹を洗面所に連れてきた。髪にいっぱいの水をかけて、ブラシでといでいる。弟たちを起こしにいったときから思っていたが、はるつぐさんとても素敵なお兄ちゃんではないか。下の子たちの面倒見も良いし、優しいし。なんだかほっこりする。


 朝ごはんを食べおわると、みんながそれぞれ学校の支度したくをしていた。はるつぐさんもだ。彼は今、大学生らしい。いつも使っているらしいノート類の表紙には、『三ツみつうら春次はるつぐ』と書いてあった。それがはるつぐさんのフルネーム、漢字なのか。三ツ浦春次。春次さんは、必要な持ち物を入れたリュックを背負い、家を出る。


 そこで目が覚めた。病室の中。まどからは

日が差していた。私はけっこうな重傷らしく、しばらく入院することになった。その間はもちろん学校にも行けない。でも、行きたいなんて思わない。学校なんてどうでもよくなった。

 ノートを開いた。春次さんが亡くなった事故の記憶が書かれたノート。そのページのとなにさっき見た夢──春次さん家族の朝の記憶──を書いた。

 

『春次さん──六人兄弟の長男。お母さん、たぶん、お父さんも。

弟、むすっとした感じ。竹のような感じ。

ねぼすけ──てるゆきさん。だいふくのような可愛い子。妹、荒れ果てたおかっぱ頭の可愛い子──すずちゃん。

春次さんはとても良い兄』


 記憶を一生懸命思い出していると、悲しい気持ちがきでた。春次さんは、とてもよい兄だ。母親の手伝いをし、下の子の世話もしていて、みんなからかれているだろう。そんな人は、あの朝から、どれくらいの月日がたったのかはわからないが、少なくとも、今この世界には、春次さんの命は存在しない。

 あの女性──同じく事故で負傷した女性は、春次さんと変わらないくらいの歳だろうが、そうだとするならば、事故にった日はあの朝の記憶からそう遠くないであろう。

 今も、彼の両親や兄弟たちは、すごく沈んだ心でいるだろう。それは、いくつ年か変わろうと、沈んだものは、帰ってこない。

 知らせを受けたとき。春次さんの訃報ふほうを知ったとき、彼らは、あの女性のように、ひどく悲しんだに違いない。その光景がありありと浮かんでくる。苦しい。胸が張り裂けてしまいそうだ。

 昨日、姉が春次さんが私の前世だったかもしれないと言った。もし、それが本当ならば、彼の家族やあの女性に申し訳なく思う。胸の奥が、きつく締め付けられているかのようだった。あんなに優しい良い人が、こんな役立たずな人間になってしまっただなんて。そう思うと、とてつもなく後ろめたい気持ちになる。はなはだしいほどにむなしく、悲しい。

 私は祈った。春さんは、私の前世ではなく、死んでしまったことはうそであることを。その確率はつくづく高いだろうと思う。しかし、劣性れっせいの確率の方であるように、私は祈った。あの幸せな家族の、幸せな日常が失われることを嘘だと思いたい。

 しかし、私はすべてわかっていた。あまりにも残酷ざんこくな現実を。

 

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