記憶の夢──儚い幸せ

桜野 叶う

事故、知らない記憶

 あ、車がっこんでくる。

 ふと顔を上げると、目の前にはなんと車の顔が。車は、こちらにせまってきていた。この後ろは建物だ。家だ。道路でも、駐車ちゅうしゃ場でもない。なのに、この車は、こちらに向かってくる。このままでは、追突ついとつされ、飛ばされるだろう。もしかしたら死ぬかも。それなのに、人とぶつかりそうになっているというのに、この車はスピードをゆるめようとしなかった。いのししのように、猪突猛進ちょとつもうしんと言わんばかりに、減速もせずにこちらへ突っ込もうとしている。このままでは、危ない。早くけろと、私の脳は絶体絶命のピンチの中、精一杯、身体からだに命じているのかもしれない。ああ、でも、別に死んでもいいかな。

 だって、私は木偶でくぼうだから。役に立たないあやつり人形なんだから。こんなの、生きていても足手まといになるだけで、何にも役に立たないから。木偶の坊はいらない。だから、最悪死んでもいい。

 私は止まった。動かない。脳は一生懸命信号を送っているが、私はそれにさからう。そして、猪突猛進の猪な車に追突され、吹っ飛んだ。建物の壁に頭を強く打ち、意識を失った。


 目の前には青空。目がくらみそうなほどの奥深い空。そこには、シュークリームのような雲が一つ二つ三つ。純白じゅんぱくの雲も含めて、清らかな空だった。しかし、どういうわけか、その空はどんどんうす暗くなっていく。かと思えば、ゆっくり空を取り戻す。そしてまた、闇にまれるかのように暗くなる。意識がもうろうとしているのだ。そして、空を取り戻す。ただ、回数を重ねるにつれて、闇はだんだんと濃くなっていた。

これは、何だ? まるで夢みたいだ。私の意識はあるが、動くことはできない。もしくは映画をているかのようだった。夢の中の自分が横たわっているのは、ごつごつしたところ。おそらく道路。ここでも自分は、車にねられたのか。

 すると、目の前には知らない女性が現れた。ピチピチお肌の綺麗きれいな人。若い。二十代ぐらいの──大学生くらいの若い人。

 そのひたいの右側の大部分が、赤くまっている。出血したのか。何とも痛々しい。ともすると、道路に横たわったままの自分は、かなりの重症、重体なのだろう。女性が、自分を見て、顔をくずいていた。それでよく分かった。でも、この人はだれなんだろう。

『はるつぐさん! はるつぐさん!』

 女性はさけんだ。大粒おおつぶなみだを流しながら。“はるつぐさん”って、たおれている自分の名前? 自分は男性だったの? では、女性は、その“はるつぐさん”という人の恋人? 友人?または、姉妹しまい? 

 よく分からないうちに、女性のさけびもむなしく、自分の視界は闇に染まってしまったらしい。もう、空を、女性の顔を、取り戻すことはなかった。死んでしまったのだろうか。


 私は目をゆっくり開けた。そこは病室だった。いつの間にか、病院に運ばれていた。生きていた。車が突っ込んで、飛ばされた。そこら辺は覚えていた。というより、思い出した。目が覚めてから二秒くらいたって、よみがえってきた。それから一秒もたたないうちに、けっこう飛ばされたことを思い出した。それ以降は、五秒以上たってもよみがえらなかった。でも、頭の天辺てっぺんより少し後ろの辺りが、じんじんと痛い。だから、飛ばされたあと、どこかにそこをぶつけたのだろう。それで生きている。死んでいない。なんたる奇跡きせきだろうか。……別に死んでも良かったのだけど。

 あと、気を失っている間に見た夢。今もうっすら残っている。でも、時間が経つと忘れてしまうだろう。なんだか、忘れたくない。忘れてはいけないような気がする。ベッドのそばに置かれていたカバンから、その他用のノートを取り出した。絵を描くためや、予備よび用として色々使えるこのノート。授業で使う主なノートよりも使う頻度ひんどが少ない。そんなノートの何も真っ白なところを開き、夢に出てきたものを覚えている限り書いた。

 

『青空 雲 女の人──若い、頭をケガ。

 自分──男の人、はるつぐさんという。

 事故でたぶん死んでしまった。』


 けっこう出てきた。夢の中の自分──はるつぐさんは、私とどんな関係が? どうして、私の夢に出てきたの? 

 扉をノックする音がして、扉が開いた。母と姉。二人ともとても心配そうな顔をしていて、大丈夫なの? 記憶は飛んでないよね。などと聞かれた。強く打った頭はまだ痛みがあるが、それ以外は特にないし、記憶も健常けんじょう。そのことを伝えると、二人の顔はゆるんだ。そして、母が聞いたところによると、私が車に追突されたあと、その衝撃しょうげき音によって多くの人が駆けつけ、警察や救急車を呼び、学校にも連絡したという。学校から連絡を受けた母が、姉も連れて来たとのこと。

「死ななくてよかったわ」

「運いいね」

 と母と姉はそれぞれ言う。そんな二人の笑顔を見ると、死ななくてよかったとほんのりそう思った。もし死んでしまえば、二人はあの心配そうな顔のまま、くずれ落ちてしまうからだ。──あの女性のように。── 私のところに駆けつけた人たちも無念の思いになるだろうし、あと、はるつぐさんという人のことも気になる。あ、そうだ。はるつぐさんのこと、二人にも聞いてみようか。

「ねぇ、はるつぐさんて知ってる?」

 母と姉にはるつぐさんのことを聞いてみた。

「はるつぐさん? 誰それ」

「どっかの俳優?」

「ううん、たぶん違う」

 二人とも知らないみたいだ。いつの間にか夢の記憶はなくなっていたので、ノートを見ながら話した。

 

 私の話を聞いた姉が、一番先に口を開いた。

「その夢ってやつ、走馬灯そうまとうじゃない?」

「そうまとう?」

 走馬灯って、人が死ぬ間際まぎわに見るやつ?

姉の説明によると、突然死が迫りくるときに、脳がそれをどうにかさけようとして、過去の記憶きおくうつすものらしい。私が見たはるつぐさんの映像というのはそれだと、姉は言う。そのひとみは生き生きとしていた。しかし、私は半信はんしん半疑はんぎだった。いや、二:八というところか。信じるが二で、信じないが八。どうせ姉は、漫画まんがの読みすぎで、頭がおかしくなったのだろう。

 しかし、それが本当だったとしても、私はどうにも納得がいかない。なぜなら、走馬灯とやらが映す映像えいぞうというのは、自分の過去のものだろう。対して、私が見たのは、はるつぐさんのものだ。自分の過去の記憶ではない。それを姉に言う。

姉は、うーん、と考える。

「たぶん、ゆかりとはるつぐさんは、なにかしらのつながりがあるんじゃない?」

「つながり?」

「はるつぐさんは、ゆかりの前世の姿だったとかね」

「え⁉︎」

「それなら、走馬灯ではるつぐさんのころの記憶がよみがったという可能性もあるしね」

 まあ、あくまで憶測おくそくだけどね。と付け加える。

 でも、私はそれが本当にそうなんじゃないかと思った。すごくありる話だ。まあ、それも漫画に支配された姉ののっかりの話かもしれないが。

 もしかしたら、はるつぐさんは、私の前世かもしれない。

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