第71話 背中を拭いてあげるという行為が、結夢にとってどれだけ恥ずかしい事か

 『背中など、手の届かない場所を俺が拭く』

 

 どんな意味を持っているかを分からず、反射的に話した訳ではない。

 果たして結夢にとってどれだけ恥ずかしい事か想像できてしまうし、俺がどれだけ結夢の領域に踏み込むかも想定できるし、これまで二人で登ってきた関係の頂点(キス)をさらに超える事になる。

 

 結夢は、あまりにそれのダメージが凄すぎて、風邪で蕩けた頭が想像する事をやめてしまっていたのか。

 思わず、真っ赤になりながらも聞いてきた。

 

「それって、えっと……あの……えっと……」

「つまり、結夢の生の背中を……拭くって事だ……」

「あっと、あっ、えっ……」


 そう、つまり。

 結夢の裸に、俺が触れるという事。

 結夢の禁断に、足を踏み込み始めるという事。

 悟った途端、結夢の精神が変な方向に昂り始めた。

 

 俺も結夢の背中を想像して、正直表情に陰りが無いとは思えない。俺の中に邪な感情が芽生えていないとは本気では言えない。

 

「……嫌なら、いい。夜になればお母さんも帰ってくるだろうし、無理にする事じゃないのかもしれない」

「……」

「ただ、結夢がこんなに体調が悪そうなときに……今の俺に出来そうなのが、それしか思いつかなかった……」


 ただ、結夢の事を考えたら。

 それくらいしか、俺に出来る事は思いつかなかった。

 一緒に居てやることの他に、それくらいしか思いつかなかった。

 

「お、お願い……します」


 布団から出てきた小さな掌は、悩む俺の手を優しく包んでいた。

 六畳一間のこの空間で、一番暖かい場所は間違いなくここだった。


「大丈夫です……それは、いやらしい事を考えているんじゃなくて……礼人さんの事だから……大事な人として……私の事を心配してくれた上での、提案だと、お、思いますから……」


 結夢は恥ずかしそうに、しかも苦しそうにしながらも。

 とても嬉しそうにしながら、俺に微笑みかけていた。

 

「にへ、にへへへ……すっごい、うれしいです……」

「……俺も、そう結夢が受け止めて、嬉しい」

「私も……はやく、元気になって……礼人さんにも、クラスの皆にも……そしてお母さんやお父さんにも、心配をかけたくないから……はやく直したいから……」

「……ああ」


 起き上がる結夢の、背中を俺が押す。

 そして俺が後ろを向くと、結夢は服を脱ぎ始めた。

 

「……」

 

 服が擦れる音とか、結夢の息遣いとかから、制服を脱ぐ事さえ一苦労なのが聞いて取れた。

 制服を脱ぐ事さえ辛い体になっているのもあるのかもしれない。

 真夏に気温は近くなっているとはいえ、39度も熱を出す程の体だと、世界を寒く感じてしまうのだろう。

 

 何より。

 この子は、異性に素肌を露出するという事が出来る程、心は強くない。

 背中の部分以外は隠すにしても、それだけでも結夢にとっては難易度が高すぎる。

 

 大丈夫かな。

 やはり、無理だったかな。

 俺が後ろを振り向くと。

 

「……いい、ですよ」


 結夢の方を向いた。

 寝間着のズボン。身に着けているのは、それだけだった。

 

 ならば胸はどう隠しているのかと言うと、同じく寝間着のそれと、布団を抱きしめる形で震えながら隠している。

 寒くて、震えている小さな背中。

 そして一歩間違えれば胸を見られてしまうという羞恥心に耐えて、震えている肩。

 

 結夢は命一杯目を瞑って、俺が拭くのを待っていた。

 早く拭いてあげなければ。そう思いながら、濡れたタオルを持って背中に回った。

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