第61話 「ビーチスマイル」~七里ヶ浜①~

 ふと、俺は休みたいと考え、座る場所を探した。

 すると道路から海岸に繋がる階段に、その意義を見出した。

 道路は思ったよりも海抜が高い所に会って、砂浜は思ったよりも下で砂漠やっているものだった。

 

 自販機で互いの飲み物を買って、俺達はそこに座り込んだ。

 小さい頃から意外と自然が近くにあった俺らにとって、ちょっと服が汚れているとかは気にならなかった。

 それよりも、まだ俺達の手を包み込んでいる相手の手の方が気になった。多分。

 

「……あれ、渚って言うんですよね……風、思ったより強いせいか、波打ち際がすごいね……」

「でも海水が満ち引きする音が、心を落ち着かせるって意味、分かる気がする」


 正直、嘘ついた。

 まったく心が落ち着く訳なんかない。

 さっきまでの喧騒が嘘の様に、砂浜には不思議なくらいに、誰もいなかったのに。

 アドレナリンってものが無くなったせいだろうか。

 話題が沈黙してしまう焦燥感とか。

 繋ぐ手がこわばる緊張感とか。

 恥じらう彼女の横顔にときめく、恋心とか。

 

 横顔。

 桃色に彩られた、あどけない頬とか。

 こっちを向いた時の、眼鏡の奥の上目遣いとか。

 

 俺は思わず顔を背けて。

 代替にするには余りにも恥ずかしい話を持ってきてしまった。

 

「……さっき、結夢の胸、心臓めっちゃ鼓動してたというか」

「ひゃ、ああ、あ……そう、そうでしたか……!」


 多分今の結夢があの渚に顔突っ込んだら、海底火山になるくらいの沸騰ぷりだった。

 いや、俺もおかしい。

 今結夢と繋いでいる掌とは反対側、手の甲に結夢の胸の感覚を思い出す。

 

 柔らかかった。

 柔らかかった。

 柔らかかった。

 本当に、いつまでも思い出せそうだった。

 

 故に。

 やはり、罪悪感は付きまとう。

 だって、俺はある問いを出すまでは、ちゃんと結夢と向き合えているとは思っていないから。

 結夢の心に傷を作る様な事は、例えば――体同士の関係になるなんて事は、出来ない。

 

「……こんなんで先生と生徒の恋愛について、どうしてタブーなのか。なんて答えを出そうとしているって言っても、説得力はないかもな……」

「そ、そんな事、ないです……!」


 俺の手の甲が、更に結夢の左手に包まれる。

 結夢の手は小さくとも、二つで表と裏から挟めば、俺の手を埋め尽くすには充分だった。

 

「……今日だって、私が私らしくいれるように、朝にルールを敷いてくれました……、このまえだって、私の我儘に答えて、奢ろうとしてくれたのやめてくれました……私の勉強、夜中まで見てくれました……子供の頃は、泣く事しか知らなかった私に、沢山笑う事を教えてくれました……」

「……」


 俺は何も付け加える事も、違うよと謙遜する事も出来なかった。

 これまで見たことの無い、幼女の様な顔から放たれる真剣さに、心を撃たれていた。

 辻褄合わせでもない。同情でもない。

 もしかしたら愛って、こういう事を言うのかもしれない。

 

「礼人さんが頑張ってる事は私が知ってます……今は教育者として、どう折り合いをつけようか真剣に考えてる……礼人さんの頑張ってる事も、悩んでる事も私が知ってます……」


 海風に髪を靡かせながらも、そんな風に負けない様に結夢は再度言った。

 

「私が知ってます……!」


 俺の手を強く握るどころの話じゃなかった。

 そのまま俺の腕を引き寄せて、抱きしめてきた。

 ピクニックで、結夢の服が濡れた時の様に。

 

「そして、礼人さんが答えを出す途中でも後でも、私は隣にいて、支えます……」


 ピクニックの時と同じように。

 さっき手の甲が、乳房に触れた時の様に。

 結夢の体は、暖かった。

 

「あ、でも……その、男と女が……ま、まぢ、交わるというか……」


 物凄いか細い声になりながら話した言葉に、俺は心当たりがあった。

 俺も何も考えられないくらいに、恥ずかしくなった。


「あの……そ、れ、は……ちゃんと……籍を……入れた、後で……」

「……俺達のペースで、だな」


 こうなったら歩いた方が良さそうだ。

 折角の江ノ島の海岸。神奈川でも有数の、青の景色。

 今は周りに人もいないし、ここは俺達の場所だ。

 

「……引きずらない。それが今日の、俺達のルールだ」


 俺は立ち上がって、結夢の体を引っ張った。


「今は、楽しもう」

「……はい」

「ありがとうな」

「にへ、にへへへ……」

「まだ今日は始まったばかりだ。凄い一日にするから覚悟しておけよ」

「うん……!」


 俺達は、その場に靴を置いて。

 小さい足跡。大きい足跡。

 二人で足跡の平行線、砂浜に描いた。

 

 歩く事さえ辛い、多分柔らかい砂浜だったけれど。

 俺達は互いに手を離すことなく、一気に渚までかけていった。

 

 出来るだけ時間をかけて、今日来た意味と、俺達の愛をゆっくりと育む為に。

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