第52話 もし別の高校に行っていたら~藤沢駅から江ノ島駅~

「……何だか、生まれた時に、戻った気がします」


 結夢がまた見入っていた。眼の中がキラキラしてた。

 江ノ島電鉄えのでんの車両は、生で見ると時代を逆流したようにレトロな車両だった。

 緑と薄黄色を基調とした昭和時代を彷彿とさせる造り。更に先頭車両はさらに昔を想起させるような青い汽車のような構造。銀河鉄道の夜、ジョパンニがこれに乗って宇宙を旅したと言われても信じてしまいそうだった。

 

 外見だけではない。その動きもだった。

 どうやって退行列車と擦れ違うのか不思議で仕方ない一本の線路の上で、鎌倉から長旅を終えた車両が止まる時も、ききぃ、と甲高い音を立てていた。どこの鉄道も騒音対策に躍起になっているところ、この江ノ島電鉄えのでんはその音を逆手に取り、列車らしさをどこまでも再現しているのだ。

 

 中に入ると、狙ったかのような質素な空間が広がっていた。

 その片隅に、向かい合う様に置かれた二つの座席が見えた。


「おっ、二人席あるじゃん」

「す、座りましょうか……」


 一瞬、どっちが奥に座るか迷いあったのは多分約束。

 この前の喫茶店のような事にはならず、奥の方にいた結夢に順当に座らせた。

 

 暫くして、駅員さんのこれ以上出せるのか、というくらいの笛の音が聞こえて――ドアが閉まった。

 不気味な動き出しと共に、隣に会った窓の風景が流れ始めた。


『お待たせいたしました。江ノ島電鉄をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は、江ノ島、長谷はせ方面、鎌倉行です。江ノ電からのお願いです――』


 暫くは栄えながらも見慣れた街という事もあり、景色については話題にならなかった。

 でも、俺も結夢も必死に景色を見ていた。

 こういう時、何を話せばいいのか分からなかったからだ。

 直前を見れば、同時に心臓の部分がざわざわして仕方なかったからだ。


 しかし沈黙というのが、ここまで息苦しいものになるとは!

 同じ女性でも菜々緒とか絵美とかなら、別に対して気にもならずスマホ弄ってるのにっ!

 っていうか授業なら、いくらでも話が出来るのにっ!

 

 くそっ。

 話題の一つでも考えてくるべきだった!

 

「そ、そうだ結夢、中間テストとかそろそろ近くなって来ただろ? そのための勉強とか、もう始めてるのか?」

「れ、礼人さん……こんな時、でも……先生、みたいですね……」

「ま、まあな……はは……」


 おい、礼人。お前流石にそれは無さすぎるだろ……。

 こんな所まで勉強を持ってくるんじゃねえと言ったのはお前だろ……!

 

「れ、れいとさんは……」

「ん?」

「な、なな、ななちゃんといつも家でどんな会話、している、んですか……?」

「……な、何も話してないかな。あいつの天然な会話聞いて、家事任せようとすると逃げられて……」

「そ、そうですよね。ななちゃんですもんね、は、ははは……」


 当然俺がここまで緊張していて、結夢が顔面蒼白になっていないわけが無かった。

 緊張してはいけない。俺を飽きさせてはいけない。でも謝り過ぎてもいけない。

 デート故の色とりどりな制約で、雁字搦めになっている顔だった。

 

 そして俺は、思わず思っていた事を思っていた以上にストレートに口走った。

 

「……幼い頃はさ、こんな時は普通に放せたのに、何で今に限って話せないんだろうな」

「は、はは話せない、んですか……? 礼人さんが……?」


 俺は深く頷いた。

 

「……でも、不思議です。わ、私もこんなんですけど、きっと昔はもっと、礼人さんと喋れた、そんな気がします……」

「大人になったって事なのか、変な事を考えるようになっちまったのか、本当に不思議だよな」

「でも、私はこういう感覚、苦しくて体力遣いますけど……好きです。礼人さん相手に、つまりはこんな気持ちになってるんだから……」

「……結夢、ポジティブだな」

「そ、そうですか……」

「でも、そんな風に言われたら……こんな気持ちも、悪い物じゃないと思えてきたよ」

「……よく読む恋愛小説の、受け売りですけど」

「受け売りなんだ……凄いな。小説からだって結夢は学ぶ」

「こ、こんな恋してみたいって、身分不相応にも思いながら……何度も読んじゃってるだけですよ」

「身分不相応なものか……結夢は、その、可愛い、よ」

「……」


 ちょっと褒めてみた。

 でも今の時点で、ただ可愛いって言われただけじゃ物足りないか。

 

「……へへ、……んへへへ……」


 上半身を前に倒し、顔を膝に埋めながらめっちゃ蕩けた笑い声が聞こえるんですけど。

 確かに結夢には例え疲れても、このままでいてほしいかも。


『あそこの二人、カップルかなー?』

『兄妹じゃないの?』

『いや、今の会話はカップルだよ……』


 おい近くに座ってる女子高生たち。聞こえてんぞ。

 何尊そうな顔で俺達を見つめてんだ。

 折角結夢が蕩けそうな笑顔をしているのに、そんな事を聞かれた日には恥ずかしがって――

 

「……カップルに思われてる……カップルに思われてる……カップルに思われてる……カップルに思われてる……」


 カップルに思われた事の嬉しさが心の声として漏れる程に勝ったらしくて、全く体が起き上がる気配がない。

 

柳小路やなぎこうじー、柳小路やなぎこうじー、お出口は右側です』


 恐らくこの辺りの学校の女子高生達なんだろうが、最後まで俺達の事を幸せを貰っているような気持ちで見つめてやがった。


「う、羨ましいですね……き、きっとこんな所だから、江ノ島や、海岸まで直ぐで、遊びに行けると思うから……」


 羨ましいと思っているのは、もしかたら向こうかもしれない。


「俺達は、逆に海の近くに住んでいないからこそ、江ノ島や鎌倉っていう海岸線沿いに憧れたんだと思う」

「……そうですね。私も、もしかしたらこの近くの学校じゃなくて、港東高校に行けたから江ノ島に憧れる事が出来ましたし、それに……」

 

 結夢の頬に、笑窪が出来ていた。

 

「こ、港東高校に行けたから、ななちゃん、そして礼人さんに再会出来ました……!」

「……」


 結論。

 結夢が、この近くの高校に行っていなくて良かった。

 

『江ノ島ー、江ノ島です、お出口は左側です』


 俺達の街と変わらない様な住宅街の中に、その駅はあった。

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