第51話 今日のデートの注意事項~藤沢駅②~

 江ノ島電鉄――通称、『江ノ電えのでん』。

 近代化していく他の沿線とは違い、レトロな雰囲気で古き良きを責める、神奈川を代表する列車。

 藤沢、江ノ島、鎌倉の市街地を文字通り横断していくこの線路の人気は高い。

 

 俺達が沈黙していたのは、そんな藤沢駅の緑の改札口だった。

 今日は五月六月から逸脱した暑さが見込まれる一日とはいえ、まだ七時。肌寒さは無視できない空間。

 何回も藤沢駅から鳴る『ピーンポーン』という電子音(盲導鈴と呼ぶらしい)に塗れて、俺達は最初の一言が中々踏み出せないでいた。

 

 左右上下に器用なくらいに挙動不審に目が泳ぐ結夢の服装に、俺の精神は集中していた。多分。


「また……可愛い服装だな」

「…………」


 最早声を上げる事も許されないらしい。

 まるでノックアウトされたようにくらっとすると、更に挙動不審になってしまった。

 

「そ、そ、そそそそんな、あ、ありがとうございます……本当に、家にあったの、ひひ、引っ張り出してきた、だけなんですけど……」

 

 最早褒めるという行為が、彼女にとっては寿命を縮める行為になってしまっていないか心配だ。

 それでも……可愛いと思えてしまう服装している。この子、服のセンスもずば抜けてあるのかもしれない。

 

 藍色のロング丈のワンピース。

 それだけでも十分なのに、更に水色のロングスカートを身に着けてくるからずるい。

 服のコントラストがいい感じに仕事してやがる。

 スニーカーなのは多分沢山歩く事への考慮なのだろうけど、そのギャップも面白い。

 

「……それにしても、一体何時起きなんだ? 6時着って事は、少なくとも4時着だよな?」

「えっと……3時起きです。あの、今日、楽しみで、眠れなくて」


 想定の斜め上。

 3時起きって。

 

「で、でも大丈夫です! きょ、今日沢山動けるように、早く寝てきましたから……!」

「何時に寝たの?」

「……18時に布団に入ってました」


 真面目過ぎるだろこの子……。

 健気が過ぎて心配だ! 全くもう!

 

「気合、入りまくってるよね」

「もう、バリバリ、です……!」

「俺も気合入っていた方だと思うが、結夢の色々な覚悟を見たらそう語るのが恥ずかしくなってきたよ」

「……だって、礼人さんに、一日時間、取って、色んな事を体験できるんですから」


 こういう事は素直に言うから困る。


「そうだ。そんなに朝早く着たんなら、お腹空いているんじゃないか?」

「いえ、それは大丈夫です、そんな事は……」


 瞬き二回、久々に見たぞ。

 しかも結夢の嘘を肯定するかのように、とある生理的反応があった。

 

 ぐぅぅぅ、と。

 結構長く響いた。


 ここは、まだ閑散としていた改札の真ん中。

 目前にいた俺にもよく聞こえてしまった。

 

「あっ……あっ……あのっ……こ、これは……」


 必死に誤魔化しの台詞を張り巡らせているみたいだが、口ではどう言えても体は正直だった。

 結局、途轍もなく恥辱も耐える様な表情を見せながら、必死に目を逸らす。

 

「……お腹、空いてるんだろ?」


 心の声とかが漏れてくる前に、先手を打っておいた。

 遂に観念したのか、結夢はただでさえ小柄な体を更に小さくしていく。

 

「ごめんなさい……お見苦しい……お、お聞き苦しい、音を……」

「生理反応を否定してどうする。そりゃ俺だって今から食事をとろうとして腹ペコだったんだ。偶々鳴ったのが結夢だったってだけだい」


 そういえば、と俺は江ノ島にある店があったことを思い出す。

 今回行く予定は無かったが、二人とも朝から揃っているならこれはいい予定変更の筈だ。

 スマートフォンを開いて、それを確認すると結夢に提案する。

 

「結夢、パンケーキ食べたくないか?」

「ぱ、パンケーキ……!?」

「江ノ島へ渡る連絡橋の前に、一個気になる店があったのを思い出したんだ。今調べたら朝もやっているってさ」


 結夢にその液晶を見せると、まるで財宝を前にしたかのように眼鏡の奥の瞳がキラキラしていた。

 反応がストレート過ぎて、何を考えているのか丸わかり過ぎる。この子。

 

「……そこまで……ごはん、我慢していただいても、よろしいでしょうか?」

「そりゃこっちの台詞だ」

「ご、ごめんなさい……」

「それから今日のデートな、この前結夢が言ってくれたルールに付け加えてもう一つ加えたい事がある」


 涙目で見上げた結夢に、俺は続ける。

 

「なるべく、自分がやってしまったと思っても、それを後に引きずらない事。後、出来る限りごめんなさいじゃなく、ありがとうとか別の言葉を探す事」

「……はい」

「気負わず。練習だと思って」


 あまりルールとして強くし過ぎると、それを守れなかった時に自縛して、自爆しそうなので。

 基本自分に厳しい結夢だからこそ、緩いくらいが丁度いい。


「折角だから、さっきのパンケーキを見た時のような結夢の眼を沢山見せておくれよ。その……結構、その顔が俺は好きだから」

「……………………………………」


 顔を抑えて後ろ向いちゃったよ。

 いかん。いきなり刺激的過ぎたか!?

 

「にへ、にへへへへへへ……れ、礼人さん、優しすぎる……」

「お世辞で言ったと思ったのか? 本当の事だって」

「はい……礼人さんに言われると……とても、嬉しくて……ちょ、直視、できなくて……にへ、にへへへ」


 そこで、改札の向こう。

 江ノ島電鉄えのでん藤沢駅のシンボルである花畑の上にある時計――通称『花時計』の方からアナウンスがあった。

 きっとこんなに恋愛で悩んでいる俺達の事を知らない、美人な女性が喋っているのだろう。


『お待たせいたしました。間もなく、電車が到着します。危ないですから、黄色い線の内側まで下がってお待ちください』

 

「……よし。じゃあ、行くか」

「は、はい!」


 改札を抜けた俺達は、一瞬だけ物凄い距離が近くなった。

 手と手が触れて――。

 

「あっ」

「……!」


 まるで磁石の様に離れた。

 連鎖的に、二人とも顔を赤く腫らしながら。


 ……過去を引きずらない練習もそうだけど、手を繋ぐ練習もしなきゃな。

 

 7時20分を指した江ノ島電鉄藤沢駅の花時計を見上げて、俺はそんな夢物語を頭に浮かべていた。柄にもなく。

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