第46話 逃げる天使
このショッピングモールは基本、服や本を選ぶ手前の店選びで迷わないからいい。
本屋は一つしかないし、服屋に至っても俺らみたいな若者にフィットした店は一つしかないから、そこに直行できる。
この時期になると、夏に向けての新規アイテムが出るのも特徴だ。
とはいえ、実際は江ノ島や鎌倉で多分結夢に奢ったりして、お金を使う事になるだろうから、あまり質も量も買う事が出来ないと言えば出来ないんだよな。塾講師は意外と発給だし。
しかし、こうなるともう一つバイトを掛け持ちしておいた方がいいのかもしれない。
それとも、何か副業を始めるか?
ブログは長期的に見たらそろそろ始めておいた方が、いい感じに不労収入になるだろうし。
菜々緒の奴も、何か小説投稿サイトのロイヤリティ機能を上手く使っているらしいし。
だが実際の所は、直近の対策は何かバイトを増やす事になるんだろうな……。しかしそうなると、勉強に時間を取ることもできないし。
いかんいかん、目の前の服に意識が回ってない。
棚に畳まれたシャツの前で、ただ目が滑っているだけになっていた。
とりあえず、既存の服と合いそうなもので行くしかない。
そんな風に卑しくも安上がりで買い物を済ませようと思った時だった。
『……どどどどうして……ここに……』
流石に俺も焼きが回ったか?
何か結夢から漏れた心の声が聞こえた気がした。
いやいや、ここに結夢に来てもらってしまうと都合が悪い。何かデートでカッコつけようと必死になっている風に見られたら、かっこ悪いというか……。
「ひゃっ」
ん?
今、目前の棚を挟んで向こう側。
何か、一瞬だけ棚の下に潜る影が見えたんだが。
というか、結夢のくりっとした目から上が見えた気がしたんだが……。いやまさかな。
そのまさかを抑えられなくて、俺は棚の向こう側に回り込んだ。
問題の通路に差し掛かった途端。
……藍色の制服を身に纏った小さなシルエットが、小走りで逃げていく姿が一瞬見えた。
港東高校の指定制服、指定鞄。そして眼鏡。
そして、桜色に染まったあどけない自身のなさそうな儚い顔。
「……今の」
先回りする形で、店の入り口に向かった。
「わっ、あっ、たっ」
その少女は不覚にも転びそうになった。
前のめりになりながら、地面に着きそうになったその小さな掌を掴んで受け止める。
「店の中で走るなんて君らしくないぞ、結夢」
「ひゃ、あ、れ、礼人……さん……」
ズレた眼鏡のまま、泣き顔で上目遣い。
思わずこっちの方が心臓を鷲掴みにされた感覚だが、周りから目線を向けられている事に気付く。結夢もそれに気が付いた様で、いたたまれない気持ちになっていたので、その手を引きながら一旦店から出る。
「落ち着いたか?」
ベンチに座らせて、色々と焦りを顔に浮かべさせていた結夢に尋ねる。
不器用に頷いて見せたが、まだハラハラは止まっていないようだ。
「逃げる事は無いだろ」
「ごめん、なさい……と、突然過ぎて……わたし、ど、どうしたらいいか、分からなくて……あまり、服選びに力を入れてるって思われたら……礼人さんを、緊張させてしまうと、思って……」
前髪直しながら口にされた言葉の内容。不覚にも俺も同じことを一瞬過っていた。
だからこそ、それ以上結夢に何もいう事は出来なかった。
「礼人さんは、どうしてここに……? も、もしかして……デートの服を……」
「いや、俺はいつもの服を買いに来ただけで」
「……そ、そうですよね、ご、ごめんなさい、
「……すまん、正直に言うと、俺も見栄張って、デートの服を買いに来たというか……」
きょとんとした結夢の顔が、ほんの少しだけ安心したようになりつつ、目を逸らしてきた。
「にへ、にへへへ……」
そして隣で、にへり始めた。
「うれしい……です。礼人さんが、そんな風に考えてくれてて……」
「そうか……」
「あと、正直に、思ってる事、言ってくれて」
「……」
何か、くすぐったいな。
懺悔のつもりでこっちは喋ったのに。
「でもあの……これはほんとうに、いつもの服で、きてください……わたし、言えた事じゃないかもしれないけれど……」
「……気持ちは嬉しいけどな」
「な、な、なんなら! 寝間着とかでも……!」
「それはいくら何でも崩し過ぎじゃない!?」
まだまだ暴走モードの結夢さんは、俺の家に寄生する妹よりもクレイジーになりがちだ。
「でもそれなら、結夢にもいつもの服で来てほしいな」
「わ、分かりました……」
「なんなら制服でいい」
「それは崩し過ぎかと……」
「いや、まったく崩れてないぞ。制服デ●ズニーって知らない?」
「あ、あれ……?」
うん。普通に制服でデートする学生は五万といるよ。いる筈だ。
「ならさ、結夢」
しかし、服を買う理由がなくなった俺はふと、こんな事を持ちかけてみた。
「江ノ島とか鎌倉とかのガイド本買ってさ、どこ行くかカフェとかで決めないか?」
「……うん」
ちなみに結夢にとっては、一緒にカフェに行く事さえ実はハードルが高かったりする。
考えてみれば、こんな風に出来る所から始めないと、江ノ島でデートしたら何回気絶するかも分からないな。
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