第44話 初デートの話

 5月も終わりそうになった頃。

 

 ここでいきなり知識のお話だが、塾講師は自分のコマが暇になる時がある。

 生徒が突然休みになった等で、手が空いてしまった場合。

 その先生は何かしら事務作業をするときもあるが、自習室にいる生徒の面倒を見る事もある。

 

 今日の俺は、後者だった。

 そして今日自習室にいるのは、結夢一人だけだった。

 

「……」

「……」


 これはこれで、何というかふわふわした雰囲気になる。

 何故なら自習室は授業用の教室とは離れており、結構陸の孤島と化しているからだ。

 いざという時はここで集団授業が出来るよう、学校の教室みたいに教壇も大きな黒板もあるというのに。

 

「思ったけど、結夢って相当勉強家だよな」

「ふえ……?」


 ふと、教壇から結夢に声をかけてしまった。

 自習室の張り紙としてある『私語厳禁』の言葉に睨まれている様な気がした。

 

「実際もう少しで中間テスト前になると、結構自習室も混むらしいけど……でも関係ない時でも、結夢が多分一番来ているからな」


 二番目が、律樹かな?

 しかし今日は律樹はいない。どうやら文化祭が近く、所属する軽音部の活動が忙しくなってきたらしい。

 彼も彼で、最近恋に悩んでいるという話は結夢経由で聞いたが……まあ、それはまた別の話。

 ……本当に別の物語。

 

「……勉強、最近、礼人さ……ごめんなさい、ひ、柊先生のお陰で……頑張るの、楽しくなってきたというか……」

「そりゃあ先生としては冥利に尽きるって所だ」

「……礼人さんを……見ていられるから……先生と生徒でも……はなし、出来るから……」

「……」


 やはり勉強する動機が俺に来ている様な気がする。

 それではマズい。今はそれでいいかもしれないが、一年後二年後、大学進学後とかを考えるとそれじゃ駄目なんだ。

 ある意味ここは、俺から離さないといけないな……。

 俺も結夢がいるから『どうして先生と生徒の恋愛がタブーなのか』に真剣に取り組んでしまっている辺り、あまり人の事言えたもんじゃないけどな。

 

 ある意味、俺と結夢の接点が現時点ではこの塾が一番大きいのが原因なのかもしれない。

 恋人同士になったとはいえ、俺の勝手な我儘で結局この一ヶ月は目立った行動はしていない。

 勿論結夢が愛想を尽かせている訳ではなく、今のままでも満足してくれているのは分かるが、色んな面からもう少し先に進まないといけない。そう思っていた時だった。

 

『――今週土日どこ行く?』

『なんか、みなとみらいの赤レンガ倉庫でから揚げ祭りやるみたいだよ』

『じゃあそれいくべー?』

『俺パスだわ。その土日、彼女と映画行くんだよ。デートな』

『おぉ、やっぱり男女の仲にはかないませんなぁ』


 そう言いながら、玄関から出ていく生徒達の会話を聞いてしまった。

 会話の中に会った『デート』という単語が、俺の思考を引っ張っている。

 結夢も、何だか勉強が手に着かなくなり始めて、そわそわして俺の方を見つつある。

 

「デート……デート……デート……デート……」


 勿論、二人しかいない教室なので心の声は簡単に聞こえてしまう。

 しかし今度は、結夢もそれを察したのか、付き合って一ヶ月だというのに未だ絶えない真っ赤な顔を見せながら必死に否定してくる。

 

「……わ、わたしは、今のままで、だ、大丈夫ですよ……!? デートなんてなったら、れ、礼人さんじゃなかった……柊先生から時間だった、うば、奪っちゃうし……」

「いや……俺は行ってもいいかなって」

「えっ、でも……」


 言った後で焦って周りを見渡してみるが、他の先生も生徒も皆教室だ。

 恋人同士の会話をしても、問題はなさそうだ。

 

「大体よくよく考えてみれば、家泊まりに来るよりは外でデートした方がハードル低いかなって思うし」

「そ、それもそうですね……」

「ある程度ここから離れているなら、まあ最悪見つかっても『たまたま出会っちゃった』で言い訳つくし……あの答えが見つかるまでは、周りにも公開できなくてもどかしくさせてると思うから……」


 思わず、素直な本音が出た。

 

「それに、俺も前からしてみたかったしな。デートって言うの」

「……うん」


 相変わらず、心からの笑顔が可愛い少女だ。

 

「折角ならいつも行かない場所がいいな。みなとみらいの遊園地とかも楽しそうだけど……」

「あ、あの……も、もし可能だったら……江ノ島とか、鎌倉とか、ま、前から、行ってみたかったなぁって」


 江ノ島も鎌倉も、神奈川では有名な観光名所だ。

 逆に地元の俺達からすれば、行ったことが無い場所でもある。

 

「鎌倉って……観光名所としても、ゆ、有名だし……きっと、夏が本格的になったら、混んでるから……」

「じゃあそうするか。ただ、それ抜きにしても土日は結構混むんだよな……」

「こ、今度の木曜日……! 私たちの港東高校……開校記念日で、休みです……! もし、良ければその日、とか、大学とか塾とかで忙しくなければ……」

「……木曜日」


 木曜日か。

 午前中のみだ。それも、午前中の授業も確か休講になっていたはずだ。

 つまり、何もない。塾講師もその日は無い。

 珍しく、一日オーケーな日だった。

 と、伝えたら。

 

「やった……! にへへへ……」

 

 本当に嬉しそうだった。

 

 しかし、また私服を考えないといけないな。

 何というか、この前結夢にかっこいいコーデだと言って貰えたことがとても嬉しかったから。

 

「……服、な、ななちゃんに、た、頼んで……また、褒めて、貰えるようにしたいなぁ」


 勿論心の声を漏らす結夢も、同じ気持ちだったらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る