幕間4話後手 礼人先生、まさか暴力を……!

 相変わらず、周りどころか自分の担当である先生にも気づかずに菜々緒と連絡を取り続けている初音は、勿論自分の授業にも集中していた。結夢が秀才ならば、彼女はどちらかと言えば天才の部類で、特に理論を聞けばすぐに実践に映れる数学は大の得意だ。

 しかし、それも集中力次第。

 初音は、他所の机で繰り広げられるカップルの授業が気になる!

 

 隙を伺って、礼人と結夢の後姿を見つめる。

 上背のある礼人が立っていて、短背矮躯の結夢が座っている様は、最早先生と生徒というより親子にさえ見える。

 

「……要は、俺は君を許さない、という事だ……」

「う……」

「!?」


 とても聞き捨てならない台詞が飛んできた。

 礼人の言葉に対する結夢の反応は、間違いなく申し訳なさそうに俯いている。


「読み取れたか? 俺は怒っている。故に君は殴られて然るべき……」

「……」


 小さくなっていく結夢。

 礼人の方に注意を向ければ、何だか攻撃的な文言ばかり飛び交っている。

 結夢が受けるにはとても刺々し過ぎる、罵詈荘厳ばかり整列しているではないか。

 

 初音は、ピンときた。


「間違いあらへん……あれは……DVや! ドメスティックなバイオレンスや!」

『DV!?』

「礼人さん、先生故に生徒である結夢ちゃんに中々手が出せんくてヤキモキしてたんや……! そして溜まってしまった悶々とした想いが、不信感につながってしまった……! 強すぎる愛が堕落してもうたんや! どんなに大きな数字も、マイナスをかければ深い深い傷になるんやでっ!?」

『……えーと』

「何呆けてはるの!? もう、礼人さんがそんな人だとは思わんかったわ! こうなったら私が皆の結夢ちゃんを助けな――」


 思わず授業を飛び出し、プロレスラーもびっくりの乱入をかましそうになった時だった。

 

「――『この殴られて然るべき』の部分が英訳出来てなかったんだろうな。『Should be beaten』……受動態だけならたぶん行けるんだろうが、助動詞が入ってきちまって複雑になったみたいだな」

「うぅ……先程教えてくれた所なのに……申し訳ないです」

「気に病みすぎだって。次にも似たような問題があるから、そこでリベンジしようぜ」


 ずっこけた。

 そりゃもう、漫画の様にずっこけた。

 担当の先生に声を掛けられる未来が見えたけれど、それは能動的にずっこけた。

 ずっこけるべきだった。

 

「って英訳の問題かい……!」

『兄ちゃんがDVとか妹として一番考えられない事だわー、一件ガサツで暴力的だけど、何だかんだ手を出したことは無いからね。壁ドンがいいとこ』

「というか、参考書もそんな文章使うんやないでまったく……」


 結局無駄に緊張して、挙句の果てにずっこけただけで授業が終わってしまった。

 しかし何事も無いならそれはそれで収穫にはなる。

 そう前向きにとらえ、今度は授業が終わって自習室に入っていった結夢を追いかけた時だった。

 

 自習室にはもう一人、先程結夢と一緒に礼人の授業を受けていた一学年上の男子高校生がいた。

 確か名前は秋田律樹だったと記憶している。

 彼も結構渋めの二枚目感が出ている。雰囲気もどこか大人だ。年が近いのもあるんだろうが、さっきの結夢を観察している時にこの律樹とも礼人が馬が合いそうな事はよくわかっていた。

 

 しかし、問題はここからだ。

 自習の最中、シャーペンが壊れてしまった事結夢。

 すると律樹の所に行って、恐る恐る聞いたのだ。

 

「あの……何か書くものって余ってない……でしょうか」

「ああ。これとかどうだ?」


 ペンの貸し借りから、この二人の間で会話が始まった。

 

「……八幡さん、だっけ」

「は、はい……」

「突然申し訳ない。一つアンケートしていいか?」

「アンケー……ト?」

「俺は女子の気持ちが分からない……女子の気持ちが知りたい。その点、八幡さんなら正直に答えてくれると思って」

「わ、私でよければ」


 確かに秋田律樹は理知的に感じるし、見た感じ秋田律樹は別の娘に恋しているようだ。

 それは初音にもわかる。

 それゆえに、女性視点から何かを聞きたいとかそんなものだろう。

 だがしかし。


「あかんで結夢ちゃん……それは男子が嫉妬する奴や! ペンなんて塾がここに用意してくれてるやろ!?」


 初音のハザードランプは赤く点滅していた。


「罪な女……男は変な所で嫉妬の炎を燃やすんや。七つの大罪の一つの嫉妬を煮えたぎるんや……! 特に恋バナなんて勘違いワードの応酬! 禁句キング! ハングルならキンキンや!」


 しかしそんな初音の心配とは裏腹に、意外と結夢と律樹は話が続いてしまっている。

 傍から見れば、もし恋人がいるなら浮気の予兆にも感じてしまう人も若干いるくらいには。

 少なくとも、あの結夢の心を許した感じ。波の恋人なら、ここで嫉妬に映っても仕方ない。

 

「おっ、二人とも仲良くしてるな」


 来てしまった!

 礼人が来て、結夢に近づいてしまった。

 これは本当のDVが発動されるのだろうか。発動されてもおかしくはないだろう。

 

「ちょっと女子相手にしか分からない様な会話してます」


 律樹が火に油を注ぐ様な回答。

 礼人が怒るかと思いきや、普通に笑っていた。

 裏で嫉妬の炎を隠しているとか、そういう昼ドラ的な何かでもない。

 

「よっしゃ、結夢、アドバイスしたれ!」

「あっ、はい……」


 礼人は次の授業があるといって去ってしまった。


「あれー!? 昼ドライベント起きないよ? おかしいね?」

『君は一体何を気にしてるの』

「というか結夢ちゃんの方が、あまりに気にされなさ過ぎてほんの若干だけ不満そう!」

『んー、兄ちゃんも結夢ちゃんも小学生時代友達いなかった訳じゃないからねぇ。というか付き合いが長すぎて、その辺は多分飛び越してると思う。まあ、結夢ちゃんの方が友達少なかったし、そういう不満は若干なりともあるかもね。まあ結夢ちゃんだから自己完結しそうだけど』

「えー、そんなんつまらんわぁ」

『初音っち、何かあると逆に困るんだけど』


 つまり、今の所。

 礼人は恋人に暴力を振るう人間でもなければ、恋人が異性と話しているだけでは特に何も気にしないタイプだと分かってしまった。

 

 何か面白くないスパイ結果と共に、帰路に着く。

 

「まあ、あの礼人さんならウチらの天使結夢ちゃんを安心して任せられるんちゃう?」

『了解。引き続き何かあれば報告頼む』

「うぃー」


 菜々緒との通信を切り、初音は何だか寂しそうに夜空を見上げる。


「それにしても、結夢ちゃんがこんなに早く遠い存在になってまうとは、私悲しいわぁ……」

「――は、初音、さん?」

「うおあ!?」


 結夢がすぐ後ろにいた。

 ほとんど一緒のタイミングで塾を出たことに気付かなかった。

 

「は、初音さんが同じ塾だなんて嬉しいです……! ずっと、ずっと話が、したかったです……!」


 そこにいたのは、一見小学生と思われても可笑しくないあどけない眼鏡っ娘。

 守ってやりたい。女性でも思う全人類の妹である結夢に、初音は遂に抱き着いてしまった。


「結夢ちゃあああん!!」

「ほわあああああああああああっ!?」

「これからも尊くよろしくねええええええ!」

「は、はつねさん! ほ、ほほ、ほほすりすり……!」


 結夢には刺激の強い頬すりすりをしながら、例え先生が恋人だろうと何一つ変わらぬ優しさと暖かさを持つ天使との仲を確認した一日だった。

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