第43話 満点の答案用紙で隠し切れない、満面の笑顔

 後日、塾にて。


「どうした若人。少しは前より進展したんじゃないの?」

 

 何も言ってない筈で、今日初めて会話したにもかかわらず何があったか悟ったような森末さん。

 作業机に座ってこれを聞いて、最初に俺がやった事は俺の表情の確認だった。

 

「いやいや別にお菓子の食べかすが口元に着いてたとかじゃないんだから」

 

 めっちゃ笑ってくるじゃねえかこの事務員おばさん。

 しかし二倍以上の人生を無駄なく生きてきたんだろう。

 正直最初に会った時から『人生とは』の貯蔵が違い過ぎて、何も言えねえ。


「ちょっと前は後ろ向きに悩むような顔だったけれど、今度は前向きに考える顔になったじゃないの」

「まあ……そうかもしれませんね」


 そんなの、顔で分かるようなものなのか?


「この前私が出した問題は解けそうかい」

「これが中々……」

「恋と愛の違いとは何か、って所は掴めたかい?」

「それも、正直なところ……だけど、愛ってのは相手のいろんな顔に対する期待と覚悟かと思っています。笑顔も、しかめっ面も受け止めて、真ん中の心で受け止めてやるもんだと、思ってます」

「やっと自分の言葉で答えられたじゃないか」


 こんな会話をしている間にも、片手間で森末さんは作業を一つ一つやり終えている。

 俺はまったくテストの採点が進んでいない。

 怪しまれるな……俺は頑張ってマルチタスクをこなす事にした。


「いえ……しかし先生と生徒が恋愛をしていけない理由に、納得がいっていません」

「考え続ける事が大事なんだ。先生だからこそ、生徒よりも解を求めなきゃいけないんだ……それにしても、真剣に考えているって事は、ちゃんと八幡さんとの距離も縮まったという事かな?」

「いえ、それはないです」


 思いっきり嘘をついた。

 平常心で。

 しかし、見透かす様な森末さんの目線は変わらない。

 

「うん。そういう事にしておこう」

「……」

「ちなみにだけどね。この前見せた先生と生徒の夫婦。あの二人も、私のこの問題に必死に悩んだんだよ」

「そうなんすか」

「まるで貴方達二人みたいに」

「だからそういうんじゃないんですって」


 くそっ……この人、絶対勘付いて揶揄ってやがる……。


「あえてこの二人がどんな答えを出したかは言わないよ。別にこの二人と、同じ答えじゃなくてもいい」

「……森末さんも、その答えを持っているんですかね」

「持っているかもねぇ。私の元旦那なんて、かつて私の高校教師だったからねぇ」

「そうだったんですか!?」

「で、今も教師してるよ」


 思わずびっくりした。


「勿論今とは時代背景も違う。例えば三十年前はSNSなんてものが無ければ、インターネットも当たり前じゃなかった。けれど体罰は当たり前だったし、大体にして時代は昭和と平成の間だった。仮に私が持っていても、きっと今の時代には即さないさ」


 大体、結局は離婚してるしねぇ。

 そう言う森末さんの、細くなった左薬指は多分少し前までは指輪があったのかもしれない。

 

 ちりーんと玄関の風鈴が鳴る。

 入ってきたのは、小さくて愛おしい生徒だった。

 

「あらぁ、八幡さん。こんにちは」

「こんにちは……」


 深々と頭を下げる結夢が次に見たのは、俺だった。

 

「ひ、柊先生……!」

「ん?」


 ドキドキしているぞ、なんて顔に書いてあるような緊張した表情で、結夢は鞄の中から一つの紙を取り出してきた。

 右上に『100』なんて書かれた、新入生テストの数学の答案用紙だったりする。

 

「すす、数学……ま、まんてん……ひ、柊先生の……お陰です……!」

「す、すごいじゃねえか……!」

「にへ、にへへへ……新入生テスト……学年、一位でした……」


 森末さんの拍手を耳にしながら、ずっと見ていたい笑顔が少しだけ掲げてきた答案用紙に隠れてきた。

 しかしそんなもので結夢のあどけない、全力の笑顔は隠れない。

 俺も同じ気持ちで、心を躍らせながら結夢の答案用紙を見ていた。

 

「本当に……すごい。結夢の努力、本当にすごかったもんな」

「にへへへ……うれ、うれしいです……」


 嬉しい。

 自分の事の様に、嬉しい。

 見れてよかった。

 結夢の笑顔、見れてよかったなぁ。



「多分『それ』だよ」



 ぼそりと呟く声が、森末さんの方からした。

 しかし俺が注意を向ける頃には、既に結夢を祝福しながら授業の案内をしていた。

 

「じゃあ今日の数学、柊先生に着いて行きなね! きっと結夢ちゃんの事だから国語も良かったんでしょ?」

「はい……! 立花先生にも、お礼言いたいです……!」

「そうよね。じゃあ教室に立花先生いるから、自慢してお礼言って褒めてもらいな」


 頷く結夢の前を、歩く俺。

 まだドキドキは、互いに収まらないようだ。

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