幕間3話 最近、兄が天使な幼馴染とイチャイチャし始めた。

 最近、兄が天使な幼馴染とイチャイチャし始めた。


 今も少し席を外した時に、微笑ましくなる。

 ソファーに見える頭一つと、肩甲骨から上。

 二人揃って、テーブルに向かっている為に猫背になっているのが、何だか変な感じにも見えた。

 だけど、二人ともまとめて愛せるくらいに、お揃いで、お似合いだった。

 

 小学生の頃は、同じように二人が並んだ時、結夢の一人相撲という感じだったのに。

 恋という自我に芽生えるのが、礼人は遅すぎたのだ。

 

「いやぁ……それにしても。『この前バレーボール部の急な練習試合だなんて嘘ついて』正解だったでゲスなぁ」


 とんでもない嘘を吐露するが、勿論二人に聞こえない事は織込済みだ。

 この二人を、二人にした場合どうなるかに賭けたかったのだ。

 恐らく、この二人だけの時間が必要だ。『サプライズ』で二人を面合わせた時、菜々緒はそう確信した。

 

 その賭けに、菜々緒は成功した。

 明らかに二人とも、挙動がおかしくなってしまった。

 いい意味で、互いを意識するようになった。

 

 先生と生徒になってしまった事で、二人の間に妙な壁が出来てしまった事は計算外だった。

 それでも、世間がどう思おうと二人には壁を壊して一つになってほしい。

 

 菜々緒の中では、昔から礼人には結夢がお似合いで。

 結夢には礼人がお似合いだったから。

 フレームの中に納まるには、それが一番見栄えがいい。

 

 少なくとも。

 結夢には、礼人が絶対に必要なのだ。

 そう思わざるを得ない理由は、勿論ある。

 


 ――二週間前。

 菜々緒は自分の目を疑った。

 入学した港東高校の自クラスに、結夢がいたのだから。

 

 菜々緒は自分の記憶を疑った。

 自問する。

 ――結夢は、あんな怯え切った眼をしていただろうか?

 

『結夢ちゃん! なんでいるの!? 久しぶり!』

『な、ななちゃん……!?』


 菜々緒が声をかけると、何か救われたように突然泣き出した訳だが。

 あの時は、感動の再会だと思って気にも留めていなかった。菜々緒自身も、思わぬ幼馴染との再会に泣きかけていたのだし。

 菜々緒が声をかける前の、銃を突き付けられたような恐怖に満ちた表情は気のせいだと思う事にした。

 

 結夢は相変わらずだった。

 相変わらず、礼人の事を想っていたようだった。

 自我が芽生えた時から共生していただろう恋心は、結局生き別れすることなく札幌に持って行っては連れて帰ってきてしまったらしい。

 

『兄ちゃん? ああ、明治学園大学に合格したんだ。めっちゃ珍しくシャカリキこいて受験勉強していたよ』

『えっ……この辺じゃ偏差値高い大学じゃないですか……礼人さん、すごい……』

『高校受験失敗しちゃったしね。その時の悔しさをバネにしたんでしょ。あの時の落ち込み用半端なかったからなぁ……』

『そ、そうなんですか……は、早く励ましにいかなきゃ……!』

『流石に三年前だから立ち直ってると妹は思うんだなぁ』


 礼人が絡むと常識人が非常識人になってしまうのも、小学校の頃から変わりはない。

 

『最近は高校からの仲間とバンド活動を再開して、遂今日からバイト始めたらしいね』

『バンド……すごい……。礼人兄さん、物凄いかっこよくなってるんだろうな……』


 しかし、やはり変わったなというのはある。

 

『……今の私……絶対……不釣り合いだよぉ……』


 心の声が漏れるのも小学校の頃からそうだったけれど、ここまで自信が喪失していた事は無かった。

 少なくとも、礼人に会うという行動だけで、ここまで躊躇するとは思えなかった。

 

 札幌で何かあった。

 そう勘付きながらも、ひとまずは自分がサポートするべきだと菜々緒は思った。

 

『兄ちゃん、一緒に驚かせてみっか!』

『ふえ……?』


 こうやってサプライズでも仕掛けない限り、チャンスを設けない限り結夢は一歩を踏み出せない。

 礼人に会う程、自分は仕上がっていないと何故かネガティブになる。

 こういう手合いは、実際にやらせるに限る。(多分)

 

 

 しかし何故自信が結夢の中から失われているのか。

 その理由は思わぬ形で分かったのだった。


 高校の正門辺りで結夢の母親を見かけた時だった。

 教師ではないスーツ姿の男二人と、何やら会話しているのが見えた。


『本当に、札幌からわざわざありがとうございます。これ、つまらん物ですがお納め下さいな』


 結夢の母親が深く頭を下げて、何やらお菓子を渡している(母親は料理が下手だった筈なので、多分どこかで買ったのだろう)。

 一人のスーツ姿の男が、まあまあと母親を諫めていた。


『いえ。僕も結夢さんの担当として行く末をしっかり見守り、ちゃんとこの地区の担当に引き継ぐ義務がありますから』


 どうやら二人のうち、一人は『前回の担当』であり、もう一人が『この地区の担当』らしい。

 三人とも、菜々緒に気付いていないのか会話を繰り広げていく。

 

『結夢さんは一年前と比べて容体は落ち着いてきており、こうして通学が出来る状態にまで回復したのは非常に嬉しい事です。しかし、ある日突然フラッシュバックした場合の懸念は拭えません……それが『PTSD』の恐ろしい所です』

(ちょっと待って……『PTSD』ってどういう事?)


 不勉強な菜々緒にも、耳にしたことがある単語だった。

 PTSD――心的外傷後ストレス障害。

 例えば長期的なストレスを受け続ける事によって、日常生活に支障をきたす様な精神障害を発症する病だ。

 

『例えば後遺症……結夢さんの場合はフラッシュバックした場合、『過呼吸』等が……あっ』


 風が吹いて、『この地区の担当』側が持っていた名刺入れから、一枚の名刺が漏れた。

 菜々緒の前に落ちてきて、それを拾い上げる。



 その時の名刺に書いてあったのは。

 ――不登校支援カウンセラー。


 仕事の内容はよくわからないが、仕事の目的は一目でわかる物だった。

 つまり、『不登校になった子供達を支援する』人間達だ。

 

 

『あら、ななちゃん!? お久しぶり!』

『あ、どうも』


 その後、結夢の母親と帰る事になる。

 積もる話もしたり連絡先交換したり、結夢と一緒に自宅で礼人宛てのサプライズをする話だったりもした。

 

 しかし、先程の不登校支援カウンセラーが一体何を意味しているのか。一年前と比べて容体は回復したって、一年前は結夢はどんな状態だったのか。どうしてPTSDを発症する程になってしまったのか。

 それを聞く前に、こんな会話はあった。

 

『ななちゃん、結夢はクラスで上手くやっているかい』


 いつも大雑把でざっくばらんという言葉が似合う結夢の母親だったが、その時の会話をするときだけはどこか悲しそうだった。

 

『こんな無責任な母親で申し訳ないが、結夢をよろしくね』


 ……結局、結夢が札幌でどんな目にあったかは聞き出す事は出来なかった。

 しかし少なくとも札幌での生活が、残り少ない自信を結夢から奪ったらしき事は分かった。

 


 ――今、こうしてぎこちない動きでソファに並ぶ二人を見て、どこか安堵を始めていた。

 足を骨折した人が歩けるようになったリハビリを見るのが、自分にとっても励ましになる様に。

 二週間前までは見える人間すべてが敵と認識している様な警戒めいた結夢の眼が、今こうして礼人の隣で結夢らしさを取り戻していっている。

 

 鍵を握っているのは、やはり礼人なのだ。

 やはり、二人はお似合いだ。

 

「……そら、どうだ! 満点やぞ!」


 暫くして、参考書の問題が丸だけになった所で、ドヤ顔をしてみた。


「はしゅ、しゅごいですね……ななちゃん……勉強頑張ってくれてる……!」

「一応は港東高校に合格するだけの実力はあったって事よ! ……あー、でも眠くなってきた。明日部活だしそろそろ寝るね」


 相変わらず顔が真っ赤で勉強どころではない結夢と、大人ぶろうとしているものの結夢の小さな体に暖かさを感じているであろう礼人。眼福眼福。

 

 互いに意識している。

 互いに、互いの事を考えている。

 ここから先は、自分がいてはいけない領域だ。

 

「じゃあおやすみ~」

「ああ、おやすみ」

「おやすみなさい……!」


 ソファに二人を残して、クールに菜々緒は去った。

 

 ところで、礼人は覚えているだろうか。

 三年前、結夢が転校するときに礼人が結夢にかけた、とある『魔法の言葉』を。

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