第26話 「俺は夢よりも、結夢を諦めたくない」

「ここに……お泊り……」


 その後気絶しかけたが、もうくどいので以下省略。

 再び意識を取り戻した結夢が、首を大きく横に振った。

 

「そんな、お泊りだなんて……申し訳なさすぎます! こ、子供じゃないんですから、別に一人で家にいるくらい大丈夫ですよ……!」

「昔は良くウチ泊まったじゃん。そして今は親も帰ってこないから、ハードルは寧ろ下がってるよ!」

「でも……」


 俺の事を少し見て、後ろめたそうに伏し目がちになる結夢。


「こんなのじゃ……礼人さんに……迷惑かけちゃう……」


 どうやら心の声の対処法は菜々緒も心掛けているらしく、ちょっと驚きの顔を俺に見せて意地悪そうな顔しやがった。

 やっぱり兄ちゃんにラブだよって口パクで言い放った。全部俺に流すな。

 まあ、申し訳なさも半分あるのは間違いないだろう。

 

 実際、こんな状態の結夢を家に泊めるなんて、重病人患者に無理をさせるのと同じだろう。

 そもそも、先生の家に生徒を泊めるなんて言語道断だ。

 

 彼女の精神と立場の違いを慮った結果、不審者がうろついているかもしれない家に帰らせる方がいいと判断した。

 その旨を結夢に話すぞ。

 

「ただ、結夢の母さんの言う通り、例の不審者による被害が最近また増加してるのも確かだ。酷い時には、擦れ違いざまにスカートの中を盗撮したり、胸の中に手を突っ込んだり、パンツをずり降ろして弄ぶらしい。しかも中学生や高校生ばかり狙ってる」


 結夢の顔が青ざめた。

 

 ……待て。いや待て。凄く待て。

 いやいや俺。そもそも違うだろ。

 俺は今、どうして思っていた事と真逆のベクトルで話したんだ?

 これじゃ家に泊めた方がいいとか言ってるようなもんだろ!?

 

「今月入ってもう二件なんでしょ?」

「ああ。しかも頭が回る事に、監視カメラの位置を計算してやってるらしい。警察も手をこまねいているそうだ……更にはこの前なんか、家のドアを開ける時に無理矢理侵入されそうになった」

「ひえ……そりゃ結夢ちゃんを一人にしておくにはあまりに危険だよね!? そんなの窓ガラスこじ開けたっておかしくないわ」

「ああ。だから今日は家に泊っていけ」


 違うだろ? ちーがーうーだーろ!?

 礼人! お前は結夢を家に車で送り返すんだよ!?

 不審者も近寄れない鉄の箱で彼女を護衛し、ドアの所まで二人一組で行けばいいじゃん! 流石に全部鍵かけりゃ不審者も入ってこないって!

 

「……だ、大丈夫です……不審者なんてて……今時、め、めめ、珍しくないですし……そもそも、も、私みたいな可愛くもないのに……襲ってくるわけがないい……」

「君は可愛いよ! 普通に襲われるわっ! 心配なんだよ! 大丈夫だ気にしなくていい! 一泊どころか二泊でも三泊でもどうぞござれだ畜生!」


 叫んだあとで、俺は思わず後ずさっちまった。

 空気が一気に重くなった気がした。俺の体、何か物凄い軽くなった気がした。

 

 俺今、何を言っちまった……?

 菜々緒も物凄い目を見開いて、驚天動地を示していた。

 

(兄ちゃん、大胆すぎひん?)


 物凄い唇だけ動かしてきやがった。何で急に関西弁なんだよ。

 そんな事俺が一番わかってるよ! 俺もどうしてこんな事言ったのか、分からないんだよ!

 

 おかしい。心と言葉が反比例してやがる。

 思ってる『筈』の事と、言ってる事が真逆だ。

 

 あ、結夢がカーディガンの袖で顔を覆っている。

 ああ、どちらかと言うと、かなり強く言っちまった方が響いたか……?

 割れかけのガラスに近づくように、俺は結夢にそっと声をかけた。


「ごめん、そんな強く言ったつもりは……」

「可愛いって、可愛いって、可愛いって、可愛いって、可愛いって、可愛いって言われ、言われ、うそ、うそ、うそですよね……? 私、私、礼人さんから、礼人さんから、かわ、いい、って、おも、われ、て……可愛い、可愛い、可愛い、可愛い可愛い可愛い可愛いって……これ夢、夢? 夢、夢、夢」


 違う。歓喜の暴走だった。

 完全に嬉しさで脳がヒートアップして、心の声が駄々洩れな事に気付いてやがらない。

 嬉し涙。桜色の頬。綻んだ頬。

 笑顔の奥、瞼の中にあった瞳は芳醇な光を宿しながら俺を見ていた。

 

 そうだ。俺は正直何を言ってしまったんだ。

 こんな事言っていたら、教育者としてやっていけないぞ。

 生徒を性的に誘惑するんじゃない。

 

「でも、やっぱり、礼人さんに迷惑を……」

「それよりも。君が不審者に狙われて、取り返しのつかない事になる方が最悪だ。万が一、俺は夢を諦めるだけで済むが、結夢はそれよりも命を諦めないといけないかもしれないだろ!?」

「……礼人さん」

「別に結夢の命が助かるっていうんなら、俺は夢を諦めてもいいよ。俺は夢よりも、結夢を諦めたくない」


 そうだ。教育者なら、家に帰すべきだ。

 

 ……でも、それよりも。

 結夢をこのまま返して『もしかして』の事態が起きた時、きっと俺は耐えられない。

 教育者の俺としても、そうじゃない俺としても。

 

 結夢の事が、心配だった。

 結夢と菜々緒は、この家を囲いにして俺が守ってやる。

 ……まあ不審者はこの辺には現れてないらしいが。

 

 そうだ。

 これで良かった。

 生徒を家に泊めるのが世間から間違いだと後ろ指刺されて、脱落者のレッテルを貼られる事なんてどうでもいい。

 

 結夢には、幸せでいてほしいから。

 どこの誰とも知らん変質者なんかに、渡したくない。


「兄ちゃん、よくもまあ、そんなクサい台詞を吐けるもんだ」

「……やっぱ変な事言ってるよな」

「でも……結夢ちゃん見てみ」


 こんな俺達の会話さえ、結夢の耳には入っていなかったのは明々白々だった。


「にへ、にへ、にへへへへ……」


 完全ににへったまま、嬉しさを司る機能が多分リミットブレイクを起こしていた。

 

「じゃ、じゃあ……きょ、今日一日……よろしく、お願いします……」

 

 女子の生徒を家に泊める長い夜が、幕を開けようとしていた。

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