第20話 「にほひ」

 俺の事を心配してくれるのは嬉しいが、結夢以上に優先することは無い。

 恐らくこれが一番の最良選択肢だ。

 

「そ、そんな! 礼人さんが風邪ひいちゃいます……!」

「濡れた服を着てるままの方が風邪引くさ」

「駄目です! それでも、礼人さんがそんな格好になるのは間違ってます……!」


 めっちゃ上目遣いで反論されてる。

 こういう時は押し強いんだよな、この子……。梃子でも動かないときは本当に動かない。

 仕方ない。ここは嘘も方便といきますか。


「知らないのか? 大学じゃこんなタンクトップでうろちょろする奴だっているんだぜ」

「ふぇっ!? な、な、なんてこと……? 大学って……凄すぎませんか……」


 これを信じてしまう結夢さんが凄すぎませんか。ちょろすぎませんか。

 やはり、ここは嘘を信じてもらった方がスムーズに進みそうだ。

 

「分かったら早く体拭いて、着替えるんだ……俺の臭いは我慢してくれ」

「匂い……」


 今『におい』の漢字が違った気がするが……。

 しかし結夢もようやく渋々納得してくれて、着替え始める。

 勿論俺はブラウスを脱ぐ姿なんて見ない様に、真反対の方向を向き始めて誰か来ないか警戒する。

 

 実際、タンクトップ一枚じゃ冬も開けたばかりの春には堪える。

 何か鳥肌立ってきた。やべえ、結構寒いな。

 しかしずぶ濡れになった結夢の方が寒いのは間違いない。

 俺が弱音を吐くわけにはいかない。

 何せ結夢は多分キャミソールまでは脱ぐわけにはいかなくて、湿った下着を肌につけている訳だしな。

 

 ……そう、ずぶ濡れになってしまったせいで、ブラウス越しでさえ結夢の短背矮躯が透き通っていた。

 生まれたままの姿が、鮮明なシルエットとして浮かび上がっていた。

 

 臍の穴、あんなに縦長だったっけか。

 あんなにお腹、肋骨が浮き出る程痩せていたっけか。

 胸、あんな形に成長したんだな。


 ……正直、少しだけ大きな乳輪の形も何となく見えていた。

 ……色までは不鮮明だったけれど、水色のキャミソールに映し出されていた蕾は、寒さできっといつもより膨らんでいたと思う。

 

 やばい、何もすることが無いと思い起こしてしまう。

 結夢の裸体の類推が、飽くなき悪魔の様な興味が始まってしまう。

 あの乳首を押したら、どれだけ母性の塊は

 あの先端を撫でたら、どれだけ結夢の声が遊ぶのだろう。

 いや、意外と感じないとも聞いたな。

 きっと、確実に感じるのは――。

 

 まずい。

 それは考えちゃいけない。

 スカートがめくれ上がり、真っ白なキャンパスだった結夢の脚を思い浮かべちゃいけない。

 その頂上にあった、三角形の青空を思い浮かべちゃいけない。

 

 しかし、一人でに俺の脳内で結夢の裸体が出来上がっていく。

 パズルの様に、パーツを知ってしまった俺の思考はどんどん悪い方向へ流れていく。

 

 その裸体に抱きしめられた時、全身の肌寒さはどれだけ解消するんだろう。

 どれだけ結夢の体を温める事が出来るんだろう。

 結夢は、どんな笑顔をしてくれるんだろう。

 

「……アホか」

 

 必死に俺は、結夢への妄想を映した水面をごちゃまぜにしてやった。

 馬鹿野郎。それは先生として考えちゃいけない事だよ。

 生徒の生きるすべてに、先生はなっちゃいけないんだよ。

 生徒の夢を喰う様な、ユメクイに俺達はなっちゃいけないんだ。

 

 例え、『本当』が言えなかったとしても。

 俺たちは、このままじゃなきゃいけない。

 それが先生と生徒という関係におけるタブーなのだから。

 

「礼人さんの匂いがする……」

「……えっ、どういう事?」


 思わず返事が無かったのに、振り返ってしまった。

 とはいえ、もう着替え終わっていた為にまた粗相をやらかしたとかではない。

 

「……すぅ」

 

 結夢は、存分に余った長袖で、顔を覆っていた。

 掌、どこにあるんだろう? そのぐらいにすっぽり覆ってしまった長袖で顔を覆いながら鼻で息を吸っていた。


「匂い嗅いでんの?」

「あっ、わ、ご、ごめん、なさい、こんなの、駄目ですよね……!」


 わきゃわきゃと慌てふためく結夢。

 

「だって……やっぱりシャツから、礼人さんの匂いがして……」

「……」


 理解不能。理解不能。

 女子の服や髪から、楽園のそこはかとない香りがするのは分かる。(菜々緒と絵美だけは無臭なので除外)

 

「ご、ごめんなさい、こ、こんなの気持ち悪いですよね……も、もうし、しません……」

「いや。結夢がいいならそれでいいんだが……」

「……すぅ」


 本人はさりげなくのつもりだったろうが、めっちゃ匂い満喫してるのが分かる。

 だぼついた首元部分を引き上げて、すっぽり鼻まで覆い隠していたからだ。

 鼻から上の部分しか見えない。

 目元しか見えない。

 物凄い嬉しそうな目しか見えない。

 

 ……正直、心がくすぐったかった。

 勿論、顔を半分隠す結夢にちょっとだけ、ときめいたのもある。

 

「やっぱり……いいにほひ……」


 いい匂いなんて人生で言われたことが無いから、つい。

 でも平常心。俺は先生。俺は先生。


「天気図見たらもうちょっとで晴れみたいだ。そうなれば少しは乾くかもしれない」


 なので、もう少し落ち着いたらそそくさと車に戻るとしよう。

 もう俺の中では、結夢がずぶ濡れになってしまった時点でピクニックは終わっている。

 

 俺はそう考えながら、地面に座り込んだ。

 長くはいられない。俺も寒いからな。

 

「……礼人さん」


 結夢の声。

 俺が横を向いた時には、隣に密着していた。

 密だった。

 結夢の勇気を振り絞った紅い顔が、すぐそこにあった。

 

「やっぱり……、寒そうだから……」


 ふわぁ、って。

 俺の肩にかけられたのは、俺のコートだった。

 

「それに、ピクニックは……まだ続いてます。もうちょっとだけ……こうして、ミモザと青空をみませんか……?」


 俺のコートなのに。

 何故か、結夢に覆われた時だけ、天使の翼に見えた。

 この子に本当に天使に見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る