第16話 うぉーたーぱにっく!

「どうして、礼人さんは教師を目指して勉強を始めたんですか……? 塾講師もきっと、それの一環ですよね?」

「その通りだ。まあどっちにしても学科は教育学部だし、勉強には不便してないんだけどな」


 俺が教育者を志したきっかけか。

 あまり語るのも恥ずかしい事なんだけどな。

 

「実は俺が、高校受験失敗したの知ってるか?」

「えっ、そうだったんですか?」


 結夢が転校した後の話だったからな。

 

「努力すれば夢は叶う。あの頃俺は、その言葉を馬鹿みたいに信じてさ。偏差値70の緑ヶ山高校を受験して、落ちた」

「それは……あの……」

「昔の話だよ」


 必死に慰める言葉を探す結夢を、俺は笑って諫めた。


「けど、滑り止めの山ノ手学院高校に通うってなった時は、恥ずかしながら捻くれてたね。勉強なんてしたところできっとクソの役にも立たない。俺には頑張った所で才能がない。成功はきっと訪れない。誰かの物語のモブキャラ程度にしかなれない。そんな風に、世界は勉強が出来る奴らのものだと遠吠え吐きながら、気づけば留年の危機にまで瀕していた」


 恥ずかしい話だ。

 でも結夢は、笑う事もなく真剣に聞いてくる。

 くりっとした目を見開いて、まだ赤いけれど聞き入っている表情で、俺を見上げていた。

 だからだろうか。自然に口から言葉が出てしまうのは。

 

「そんな俺を、ある恩師が変えてくれた」

「恩師?」

「当時の担任で、数学の先生だった人だ。自他ともに認める変態レベルで数学好きだった先生だけど、今の結夢みたいに俺の話をちゃんと聞いてくれるいい先生だった」


 だったと過去形になってるけど、勿論今も生きている。

 俺の代わりに死んでしまい、彼の意志を引き継ごうとしたとか、そんな何かではない。

 

「少なくとも、俺はそれからある程度未来に希望を持てた。留年を回避するだけのモチベーションはくれたし、高校生活をもう少し前向きに楽しもうと思う事が出来た」

「本当に、いい先生だったんですね」

「その先生のお陰で、いい友達にも恵まれた」

「立花先生も、その一人ですか?」

「ああ。絵美や他の仲間とバンドを組むことも、その先生がいなかったらきっと無かったろうな」


 えーと、なんだっけ。

 どうして教育にこんなに躍起になるのか、か。


「教育を志してるのは、その先生に憧れてるってだけだ……実は大した理由じゃありませんでした。残念でした」

「いえ……でも、憧れてる人みたいになりたいって気持ち、私にもわかるから」

「憧れの人いるんだ?」

「ま、まあ……」


 瞬き二回。誤魔化しのサイン。

 うん、あまり聞いちゃいけない様な気がする。

 

「でも、やっぱり礼人さんが教育に本気になってるのには、ちゃんと理由があるんだなって知れたのが、私は嬉しいです。礼人さんの事、もっと深く知れたのが、とても嬉しいです」

「そうかい」

「でもだからこそ……私、礼人さんの邪魔はしたくないです」


 あれ、結夢がいない。

 立ち止まっていた。

 俺から離れる様に、立ち止まっていた。

 嬉しそうだったけど、同時に何故か不安が増大していた。

 俺と一緒にいる事の、ためらいがその握りこぶしから見えた。

 

「私の我儘で……せっかく立ち直った礼人さんの未来を、教育へ捧げるという夢を、穢したくないです」

「結夢?」

「今日……ここまでにさせてください」


 ペコリと、申し訳なさそうに頭を下げながら、このピクニックの中止をお願いしてきた。


「私、もっと礼人さんの夢の手伝いがしたいです。礼人さんみたいな優しくて、親身になれる人が……教師になったら、もっと色んな人の未来を救えると思います。教壇に立つ礼人さん、私も見てみたいです」

「結夢が気にする事じゃないって。そりゃ嬉しいけど……」

「怖いんです……私、礼人さんが困るようなことになったら、礼人さんを困らせて閉まったら、礼人さんが折角描いた夢を崩してしまうようなことになったら……そんな事したくない……」


 きっと、本心だろう。

 そして、このピクニックを辞めたくないのも本心だろう。

 残念そうな色が、その涙からうかがえるからだ。

 

「……結夢。俺は――」


 嬉しくも悲しい提案に、俺の本音が出そうになった時。

 水を差された。

 文字通り、水を差された。

 

 結夢の隣で、子供達が遊んでいたのはさっきから見えていたが、水道管の蛇口をまさか命一杯捻るとは思わなかった。

 結果、上に向いた広めの蛇口からものすごい勢いで水が噴き出たのだ。

 水かけ遊びの領域じゃない。コント番組の罰ゲームの領域だ。

 

 そしてその着水地点に誰がいたか?

 

 ――結夢である。

 

「ぶっ」


 結論。

 俺が気付いた時には、結夢は髪の毛から足元まで、ずぶ濡れになってしまっていた。

 

「結夢!?」


 駆け寄りながら、俺は一つとんでもない事を思い出す。

 今日の最低気温は8度。歩いてりゃ暑くなると思ったが、ずっと上着を着ていないと寒くて死ぬくらいの4月にしては残酷な気温だ。

 更に、結夢にかかった水も当然相当冷たい。

 それが、全身くまなくびっしょりと、今もぽつぽつとあらゆるところから垂れているレベルでかかっている。

 

「くしゅん……!」


 あまりの事態に頭が追い付かず、硬直していた。

 既に体温が下がっていた。体は震え、がたがたと歯同士で音を鳴らしていた。

 まずい。これ結夢が風邪ひいてしまう。

 

「だ、だ、だ、だい、じょぶ、です……すすす……」

「無理すんな! めっちゃ寒いだろ」


 あの子供ガキ共……!

 しかし蛇口の所を見たが、既にもぬけの殻だ。

 逃げやがったな……。

 

「あのガキどもなんて……かお、しちゃ、駄目、めめ、めっ、です」


 結夢は、笑顔だった。

 全身ずぶ濡れになりながらも、俺のささくれ立った心を読んできたのだ。

 

「礼人さんは、立派な先生になるんだから……」

 

 俺の怒りを宥めるように、冷たい手で俺の頬を摩って、落ち着かせるようにしてくれた。

 なんで君は、こんな時まで天使なんだ。


「悪い」


 その手を取って謝りながら、俺は行動を開始した。

 子供達を叱る為ではなく、結夢を救う為の行動を。

 

「車は……遠い」


 流石に結夢をこの格好のまま歩かせるには、車が遠い。そんな所まで来てしまったのだ。

 しかし、このままの状態でも結夢の体温を下げるだけ。

 どこかで、何かしら対策を講じなければ……。

 

「秘密基地だ」


 俺達が見つけた、俺達だけの場所。

 俺が先生になる前の、結夢が転校する前の、一番の思い出の場所。

 

「すぐそこだ。それまで我慢してくれ」


 俺は結夢にコートを被せながら、周りからの結夢への目を遮るように庇いつつ歩き始めた。

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