第12話 ピクニックへの道中車内

 本日のミモザ公園へのピクニックを急遽キャンセルした菜々緒の言い分。


『急にバレーボール部の練習試合が入っちゃって! 私一人しかいないセッターだから抜ける事もできなくて……おのれ、あの狸顧問め、そういうサプライズはいらないんだって言ってるのに』


 幼馴染の生徒を俺の部屋に隠すというサプライズをした菜々緒が言えた事かいな。

 しかし予定が入ってしまったものは仕方ない。

 ミモザ公園の風物詩であるミモザも、今週が最後の見頃だ。

 キャンセルする訳にもいかず、俺は一人で車を走らせ、結夢を迎えに行った。

 

「お待たせしました……!」


 とことこと走ってくる、小さな少女。

 顔を真っ赤にした挙動不審の天使がいた。


 明るめの水色の上着に囲われた、小さな肩が震えていて。

 フレアスカートと黒のブーツに守られていない、真っ白で細い太ももが揃っていて。

 肩に細いベルトで掛けた鞄が、少し背伸びした感触を俺に与えていて。

 

 急いでアパートから飛び出して来た為に、少し息が切れた様子を見せながらもぺこりとお辞儀をする結夢に、俺は思わず声が出た。

 

「……すげぇ」

「はい?」

「いや……何というか。凄い気合入ってんな、と思って」


 自分の服装の事を言われているのだと分かった途端、素晴らしく真っ赤になった結夢だった。

 若干後悔の雰囲気を織り交ぜる。

 

「が、頑張り過ぎて……似合ってませんか……?」

「いや。物凄ぇ可愛い……」


 正直に言っちまった。逆に意識していると引かれそうだな。

 と思ったら、結夢は今度は石になったかのように気を付けの姿勢のまま、真顔のまま――後ろに倒れていく。

 

「ちょちょちょちょ!!」

「ふ、ふぇ?」


 思いっきり運転席から手を伸ばしちまった!

 何とか間に合って、ふらついた結夢の手を取る。

 

 いや結夢の体、軽……!

 小さいだけじゃなくて、本当に細い。

 人にお菓子や料理振舞ってばかりで、自分はちゃんと食べてるのか? と心配になる程だった。

 

「ご、ごめんなさい……! 礼人さんにここまでストレートに褒められるとは思ってなかったから……腰が抜けました」

「えぇ……」

「にへ、にへへへ……」


 いつかこの子、褒められて死んじゃうんじゃないか。

 何とか足腰が麻痺してしまった結夢を助手席に座らせて、車を走らせる。

 結夢は先程服装を褒められた事がまだ効いているのか、モジモジしながら俯いている。


「そんなに力を入れてこなくても良かったのに。お小遣いだってまだそんなに無いだろう?」

「はい……でも、どこかでバイトして、ちゃんと親にも返したいと思ってます……!」

「そう考えられるだけ立派だよ。俺も高校時代は部活やら受験勉強でバイトしてなかったし、菜々緒は多分バレーボール部入ってなくても養ってもらう事ばかり考えてただろうし」


 今日来れなくなった菜々緒の話をすると、結夢は鞄の中にあった弁当を見つめながら、寂しそうに笑う。


「次こそは、ななちゃんにもこの弁当を食べてもらいたいな……ミモザ公園。子供の頃皆でよく行ったから、また三人で集合して何かを一緒に食べたくて……」

「いつも菜々緒と仲良くしてもらってありがとうな」

「ななちゃんは友達が多いですから、寧ろ私がいつも仲良くしてもらってありがとうと言いたいです……ななちゃんのおかげで、学校で世界が広がるというか……」

「それなら良かった」


 ふと、結夢の鞄の中が目に入る。

 文庫本だろうか? しかし他にも勉強用のノートや、塾で配布した問題集もある。


「こんな所まで勉強しに行かなくてもいいのに」

「いえ……もしかしたらそういう時間もあるかなって……私、空いている時間で勉強を沢山したいなって思って」

「どうして勉強したい? 行きたい大学でもあるのか?」

「行きたい大学は……明治学園大学です」

「俺と同じ大学じゃないか」

「現役で受かれば……礼人さんは大学四年で、私は大学一年で……同じ大学ですから」


 えっ。

 明治学園大学を目指してる理由って……。


「……俺がいるからって事?」


 予想外みたいな反応をされた。

 結夢が発した今の言葉、どうやら『心の声』だったらしい。


「あ、あっ、あっ、いえ、あ、あっ、それ、は……」

「よし落ち着こう。窓を開けるから、深呼吸だ」


 助手席側の窓を開閉して、頬がレッドゾーンになっていた結夢を落ち着かせる。

 下手すれば目の前の赤信号よりも、真っ赤になっていた結夢は三度くらい大きく呼吸していた。

 俺も気づかれない様に深呼吸していたのは内緒だ。

 

「……えっと、今の、忘れてください……」

「いや忘れろと言われても……」

「私が勉強すればするだけ……先生である礼人さんの評価が上がるから……」

「結夢さん? 中々その理由も結構特異的なのでございやすが」

「ふぇっ? あっ、あっ、いや、じゃあ違います……えと、えっと……」


 既に結夢.exeは異常だらけになり始めてしまっていた。

 言っておくが、まだ俺達は車内である。本番のイベントはこれからである。

 

「大丈夫。もう結夢の勉強している理由、忘れないから」

「……ごめんなさい……おかしい事ばかり言ってしまって」


 落ち込んでしまった結夢。

 その勉強する理由がおかしい事は重々承知しているみたいだ。

 俺は次の信号に引っかかった所で、話を続ける。

 

「正直、俺は嬉しい」

「……!」


 結夢の小動物みたいなあどけない顔が、前を向いた。

 

「男性は残念なことに、自分の為に努力しているとか聞くと結構嬉しいって思っちまうのよ」

「……そ、そうですか」

「そして、先生としても俺としても、結夢が自分の為に勉強してくれるともっと嬉しいかな」

「私の為……」

「俺は結夢が入ってから一年経ったらもう卒業だ。そうなったら結夢は何のために明治学園大学に行くんだって話になる」


 多分大学院には行かないしな。


「例えば俺が結夢の担任から外れたら、勉強する理由が小さくなるかもしれない。その理由で行くんだったら、現代文見てもらってる立花先生の授業は真面目に受けないのかって話になる」

「そんな事は……現代文も、頑張ります」

「だろう? 結夢は他人の為にだって頑張れるし、自分の為にだって努力を怠らない。大丈夫。結夢は自分の為に頑張れるよ」


 再び車を走らせながら、結夢に伝える。

 俺は結夢に、自分の為に頑張ってほしいという事を。

 

「だからそう肩を張らずにさ、まずは自分のしたい事、探していこうぜ」

「……はい」

「大体、大学違くたって、こうして結夢に呼ばれたら俺はどこにでも行くよ」

「ふぇっ?」


 いやちょっと待て。今俺も自然と口から何を出してしまったんだ。

 ハンドルを握る手が間違わない様に、アクセルとブレーキを踏み間違えないようにするのが精いっぱいだった。

 やばい。結夢の目を直視できない。

 結夢の事言えないぜ。これ。

 

「にへ、にへへへ……」


 にへりやがった。

 でも心の底から嬉しそうな笑い声が聞こえたので、とりあえず良しとしよう。

 さあ、ミモザ公園までもう間もなくだ。

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