第10話 塾講師は実際の所、精神擦り減らすことが多い

 塾講師は実際の所、精神擦り減らすことが多い

 多感で多種多様な中学生の中には、とにかくこちらを信用しない子もいる。

 

「どうして宿題をやってこなかったんだ?」


 こう質問して、宿題をやってこなかった事がいけない事であると謝る子はまだ良い。

 最悪なのは、寧ろ開き直った仏頂面するような生徒の事だ。

 今俺が担当している男子は、まさにそんな感じだ。

 

綾鷹あやたか、お前今年高校受験なんだから、ちょっとでも遅れると結構面倒だぞ」

「大丈夫だっつの。勉強しなくても俺は基本点数取れるんで」

「案外授業中は覚えているもんなんだけどさ。こうして一週間経つと忘れるもんなんだよ。確認テストだっていい点数じゃなかっただろう?」

「中間テストのときにどうせ覚えるさ」

「だからさぁ」

「るっせえな。早く授業始めろよ」


 険悪なムードが、他の席にも伝播していた事は振り向かずとも分かっていた。

 自分の授業だけじゃない。別の先生の授業にも差し支えて、何人かこっちを見てしまっている。

 

「とりあえず、授業を始める。分からないところあったら聞くぞ」

「舐めてんのか? 新人先生のくせに」


 心無い罵声に耐えながら授業する訳だが、しかし暫くしても消えない視線が合った。

 俺の後ろの方から、物憂げな視線を送る兎のような顔を向けられていたことは俺も感付いている。

 結夢の視線だ。

 心配してくれるのは嬉しいが、自分の授業に集中できないのでは仕方ない。

 しかし俺はあまり声をかけるわけにはいかない。今日の彼女の授業は現代文である為、今日の担当は別の先生なのだ。


「八幡さん? どうしたの?」

「あっ、いえ」


 結夢の様子に気付き、担当である女性の先生が声をかけた。

 しかし俺も少し様子を見ると、やはり心配そうな表情だけが戻ってなかった。

 

 ちなみに俺の受難はこれで終わったわけではない。

 子が子なら、親も親だ。子は、親の真似をする。

 だから綾鷹みたいな問題児の親も、大体問題児だ。

 

『ちょっと先生変えてくれないですかね? うちの子の未来に関わるので。お宅の塾が人手不足とか知らないですよ。生徒に夢を与える筈がストレスだけを与える先生なんて。さっきからハイハイ言っていれば済むとでも――』


 以下省略。

 授業後、電話でやってきたクレームは壮絶にも30分もかかるものだったと言っておく。

 

「ふう」


 流石に死んだ。

 頭が上手く動かない。

 体を纏うスーツが石のようだ。

 この後授業がないのが幸いだったと言わざるを得ない。

 人から一方的に文句を言われる立場が、ここまで辛いとは。

 今度からコンビニの店員さんにも、一層感謝の気持ちを込めて接するとしよう。

 

「あの生徒、綾鷹君でしょ? だいぶこの塾で、悩みの種らしいよ?」


 声をかけてきたパンツ姿のスーツのポニーテールの女性は、こう見えて俺と同い年の先生だ。

 立川絵美先生――先程結夢の意識を授業に戻した、結夢の現代文の担当である。


 結夢と同じく、先生と呼ぶことにとてつもない違和感がある。こいつとは高校からの付き合いだし、同じ大学だし、今も同じバンドグループに属している訳だからな。

 塾では先生同士も先生と呼び合う決まりになっているので先生と呼ぶ。


「みたいだな。あの生徒が関係して、何人か先輩の先生方も過去辞めたらしいな」

「そうそう。さっき柊先生が電話した通り、綾鷹君の親も相当モンスターだからねぇ」


 絵美もモンスター生徒である綾鷹には相当参っているようだ。

 塾全体の悩みの種と言ったところだろう。


「にしても塾長もさ。あんなモンスターをウチら新人に押し付けるんじゃねえっての」

「仕方ねえよ。俺に出来る事はベストを尽くす事だけだ」

「教育者志してる人は違うねぇ」

「ビジネスマンになるなら当然の素養だ。ミュージシャンとしてもな」

「真面目人間め。本当に18歳かよ」


 だけど教師になったら、もっと面倒と思えてしまう生徒とも向き合わなくてはいけない。

 まだ本当に教育者になるのか、別の道に携わるのか、ミュージシャンの様に夢を追いかけるのかどうかは決まっていないけれど。

 俺は自分の覚悟を再確認し、今日の授業のレポートを可能な限り書く。次に綾鷹を別の先生で見るのであれば、レポートに情報を書いて引継ぎをしないといけないからな。

 

「ところで……あんた、あの八幡さんと何かあったの? もしかして今日大学で言ってた幼馴染の生徒ってあの子の事?」


 絵美の発言に反応する前に、一応周りを確認。

 結夢は自習室。よし、この距離なら声は聞こえない。

 他の生徒も授業中。情報が漏れることは無い。

 オールグリーン。

 

「そうだ」

「成程ね。やらし」

「やらしいってなんだよ」

「明らかにさっきの目、あんたを家族の様に心配する目だったよ。ありゃ間違いなく『LOVE』の領域行ってるね」

「行ってるねって。軽く言ってくれるな」


 そりゃ結夢は分かりやすいけど。


「言っとくけど、割と他の生徒や先生の間でも有名よ? あの人見知りで隠れファンクラブまである八幡さんが、どう見てもずっと柊先生に釘付けになりっぱなしってね」

「……そうなん?」


 深く頷かれた。

 まじか。まだ先生になって一週間していないのに、そんなに有名だったのか。

 

「だって八幡さん。事務員さん以外とはほとんど話せないからね……かと思えばお菓子作ってくれたりするから、皆への気遣いはしっかり出来た天使みたいな子で、評判は悪くないんだけどね」

「へっ? お菓子作ってんの?」

「いつもありがとうございますって、逃げる様にしながら渡されるのよ。気弱だけど、気弱なりに頑張ってる感じ。ありゃあ本当に出来た子だわ……私も妹に迎えたいくらい」


 つい二週間前までは、この塾の生徒だった絵美のいう事だ。

 先生としては新人だが、この塾の滞在歴としてはベテランの絵美のいう事だ。

 間違いないだろう。

 

「で? あんたはどうすんの?」

「どうすんのって……」

「決まってるでしょ……あの子の愛を捕まえるかどうか、よ」


 結夢の愛を捕まえる。

 つまり、『それ以上の関係』になるという事だ。

 

「いや……それは致しかねる」

「致しちゃいなよ。彼女いない歴18年に終止符打てるかもよ?」

「黙れ彼氏いない歴18年。先生と生徒だぞ。やったらマズいだろう」


 まあ、そりゃねえ。と絵美も揶揄うのを諦めたようだ。


 絵美が去った後、レポートを完成させた俺は再び疲れにどんよりしていた。

 仮にこのまま綾鷹の面倒を見ないといけないとして、俺はやっていけるのだろうか。

 強く言われ、それに反論せず、頭が麻痺していくあの瞬間を、俺は耐えていけるのだろうか。

 

 息をついている所で、俺の肩に何か乗った感触があった。

 なんだろう?

 物凄い軽い何かが、置かれた気がする。

 

「お疲れ様です……礼、じゃなくて、柊先生……」


 結夢に後ろから肩を揉まれていた。

 


 ……一瞬、天使が後ろから抱きしめてくれているのかと思ってしまった。

 

 

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