幕間1話 『その相手の笑顔が思い浮かびますか? 悲しい顔も思い浮かびますか? 二つ思い浮かんだら、それは立派な愛でしょう』

 礼人から渡された宿題が終わり、結夢はベッドに転がっていた。

 実際問題、宿題も頭に入らなかった。

 

 結論から言えば、今日は色々あり過ぎた。

 久々に会った幼馴染に、三年という時で淡くしてきた筈の想いを更に熱されたからだ。


「礼人さん……どうして更にかっこよくなるんですか……」


 布団を抱きしめながら、転校する前の事を思い出してた。

 最後に見た中学3年生の礼人を思い浮かべていた。

 確かにあの頃も、結夢にとっては世界の中心だった。

 けれど、そんなのはたかだか小学校6年生の自我すら芽生えていない気の迷いだと思っていた。

 力量の知らない少年少女が、子供の頃に許された大言壮語だと、思っていた。


「礼人さん……どうして一人だけ大人になってるんですか……」


 しかしスーツ姿の礼人は、そんな子供の憧れを一瞬で引っ張り出してきた。

 あの優しい笑顔を独り占めしたいと、曇らせたくないという感情が出てしまった以上、礼人の顔を直視する事さえ体力が必要になってしまった。

 それは少なくとも小学校6年生の結夢なら何気なくできた事だろう。

 でも高校1年生の結夢にはそれはきっと出来ていない。

 だからこそ、物凄い後悔している事がある。

 

「私ったら……何であんな事言ってしまったんだろう」


 『それ以上の関係』。

 漏れてしまった心の声の意味を、結夢も整理しきれていない。

 だけど、曖昧にならもう理解してしまっている。

 

 再び結夢という自分は、あの先生に一目惚れしてしまったのだと。

  

「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん」


 これ以上煩くしたくなかったので、枕に顔をうずめる。

 うずめて、ひたすら声を発する。

 暫くして呼吸を落ち着かせると、礼人にあてた感謝のメッセージを打とうとスマートフォンを取り出す。

 礼人に向けたメッセージを書くために。

 だがこのメッセージは菜々緒に向けたもの。菜々緒経由で礼人に贈ろうとしているのだ。(勿論菜々緒宛ての感謝メッセージも書いている)

 

「いつか……LINE交換したいけど……迷惑だよね……?」


 礼人も塾講師という立場上、生徒とSNSのアカウントも、メールアドレスも交換する事は出来ない。

 この社会はそういう社会だ。

 塾講師や教師は、生徒と恋愛してはならない。

 アイドルグループの少女達が、誰とも恋愛してはならないというよりは緩い縛りかもしれない。

 それでも、残念ながらこの世界では、そのタブーを犯した先生は後ろ指を差されて生きる事になってしまう。

 

 そんな危ない橋を、礼人に渡らせるわけにはいかない。

 礼人の幸せを願うなら、そもそも結夢は菜々緒とも遊ばないべきなのだ。

 

「そうだって分かってるのに……どうして我慢できないんだろう」


 礼人の顔を見る事を。

 礼人の隣で、料理作る事を。

 礼人と一緒に食事をする事を。

 どうして礼人が卒業するまでの四年間、辛抱する事が出来ないんだろう。

 

「なんで礼人さん……塾講師になったんだろう……どうして教師目指す事になったんだろう」


 そう呟いて、それはいくら何でもあんまりだと自分を責めた。

 塾講師に就いたのも、教師を目指すのも礼人の勝手だ。

 夢を障害に分類するのは、ただ独占したいだけの悪人だ。

 

 結夢は駄目な方向に自分の思考が向かっていると判断し、一旦首をぶんぶんと横に振って、感謝のメッセージを綴り続ける。

 

 この液晶の向こうには、あの先生がいる。

 運転する横顔、そして逸らしてしまった時の後ろ髪。

 思い出す。思い出せる。思い出してしまう。


「礼人さんも……癖あるの気づいてないですね」


 液晶をなぞる手が止まる。


「誤魔化そうとする時……、私の目を見ない癖……ななちゃんよりも分かりやすい……」


 『それ以上の関係』について話した時、礼人は顔を逸らしていた。

 ずっと顔を窓の向こうに逸らして、結夢と目を逸らさない時間が続いていた。

 

 寂しくも感じたけど、嬉しくもあった。

 それはつまり、誤魔化すだけの感情が生じたという事だから。



 ……メッセージを送った後、暫くして、小説を読んでいた。

 恋愛小説で、結夢が何度も読んでいる小説だった。

 しかし、今日は文章が頭に入らない。

 主人公を見るたび、礼人が重なってしまうからだ。

 

「……もう、どうすればごまかせるの……」


 真っ赤になった顔を抑えながら、小さな文庫本をベッドの上に置いてしまった。

 しかし恋愛小説で、しかし三節だけ頭から離れない言葉があった。



『コンセントを全て引き抜いて、部屋の明かりを消してみてください』


『誰かに尽くす自分の笑顔が思い浮かびますか? だとしたらそれは恋でしょう』


『その相手の笑顔が思い浮かびますか? 悲しい顔も思い浮かびますか? 二つ思い浮かんだら、それは立派な愛でしょう』



 ……その恋愛小説の言う通り、部屋の電気を全て消して、横になってみる。

 自然と、想像できてしまう。

 礼人に褒められた時の、優しい顔。

 差し出した匙を加えた時の、美味しそうな顔。

 繋いだ手から伝わる、意外と柔らかい掌の温もり。

 スーツから顔った、優しい男性の香り。

 そこに抱き着いた時、全身に感じる感触。

 

 全部、『礼人の』という所有格が着いていた。

 ……他の人達に「生徒と密接な関係になっていた」と後ろ指刺される礼人の悲しい顔もあった。

 

 気付けば、その文庫本を抱きしめながら、結夢はまた頭の中をかき混ぜていた。

 礼人の隣で、喜怒哀楽の表情を支えたいという気持ちと。

 礼人の一番遠くで、迷惑がかからない様にしたいという気持ち。

 

「……予習したら、もっと驚くかな」


 ぐるぐると渦になった思考に脳が疲れて、気づけば机の上に座っていた。

 寝れそうにない。

 何かしていた方が、気が紛れる。


「今度お菓子持っていったら、礼人さんの疲れ、少しは癒せるかな」


 少しだけ夜更かししながらも、結夢の中にあった心は一つだけ。

 みんなの笑顔が見ていたい。

 特に、礼人の笑顔が見ていたい。

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