第37話 何やってんの!

(ふう、これで、いいのかな?……。)


 ようやく慎一は制服を着ることができました。スクールストッキングもなければ、女子用のスクールソックスも履いてはいませんが、曲がりなりにもどうにか女子高生らしい容姿にはなりました。


 慎一は姿見鏡の前に立ち、改めて自分の姿を見つめました。


(理恵子の…制服…だよな。)


 そこには、白いソフト襟のブラウスに濃紺のプリーツスカートと濃紺のベストを着込んだ女子高生の姿が見えます。…首下ですが。


(これ、理恵子が2年間着ていたんだよな…。オレ、今、それを着ているんだ…。)


 慎一はちょっと恥ずかしそうに、スカートの裾をつまんで幾つかのポージングをしてみました。自分なりに可愛らしく。


 理恵子にはポーズを取って見せてなんて、恥ずかしくて言ったこともありませんが、自分なら鏡の中で好きなポーズをいくらでも取れます。


 慎一は次第に調子に乗って、嬉しそうにはしゃいで、スカートを着たまま鏡の前でクルクルと回ります。すると、プリーツスカートがふんわりと空気を含んで空中を舞い踊り、更に、下に着用していた理恵子の純白のスリップも一緒にスカートの中で舞い踊ります。


 そんな自分の姿を見ながら、慎一はそのスカートやスリップの舞い踊る美しさに嬉しくなり、さまざまなリズムやステップで、ますます身体を踊らせているのでした。


 先程までのネガティブなイヤイヤモードから一転、慎一はノリノリで楽しんでいます。


(理恵子、ぼくと一緒に踊って!もっと、もっと!踊ろう!)


 慎一は、いつしか、理恵子と向かい合って一緒にステップを踏んで踊っているかのような気持ちになりました。慎一の眼には、確かに、満面の笑みをたたえた理恵子が楽しそうに踊っている姿が見えたのです。


(理恵子、…理恵子、うまいなぁ!やっぱり、理恵子は最高だ!……楽しいね!……もっと踊ろう!)


 慎一は意外な楽しさに目覚めまてしまいました。慎一は鏡を見ながら踊っているだけですが、本当に理恵子と一緒にダンスでもしているような気分なっているのです。


 慎一は久しぶりに愉快な気持ちになれたのでした。理恵子とラインのやり取りやリモートで会っている以外の時で、こんなに楽しく夢中になれたのは久しぶりかもしれません。


 しかし、そんな愉悦のひとときは唐突に強制終了させられます。


**********


「お~い、慎一ぃ、お土産あるよ~。」


 突然、部屋の外から、母親の声が聞こえてきました。


 いつもは仕事で留守ばかりの母親がいつの間にか帰っていたのです。慎一は踊るのに夢中で、迂闊にも母の帰宅にまったく気づいていませんでした。気づいた頃にはもはや時、既に遅し、慎一の部屋の扉のノブがカチャリと回転します。


「わわわわ、ばか、中、入るな!!」


 ドアを開けて中に入った母は、一瞬、そこに息子ではない制服姿の女子高生がいるものと勘違いしてしまいました。でも、それは飽くまでも一瞬のこと、さすがに衣服が違うだけのことで産みの親が息子を見間違えるはずもありません。


「あら……誰?……お友達……?……え?……何やってんの!!あんた!」


 早々にばれてしまった慎一は、顔を真っ赤にしつつも、恥ずかしさのあまりの逆切れで応えるしかありませんでした。


「来るな!!バカ!いや、見るな!出てけ!」


 でも、慎一以上に驚いてしまったのは母親だって同じです。母親は目を丸くして素っ頓狂な声を上げてしまいました。


「ええ~!!お前、……そういう趣味があったんかい!」


 確かに、かつて麗美おばさんからもそんな勘違いをされたことがありましたが、その時とはまるで状況が違います。


「ち、違う!そんなんじゃねえ!」


 しかし、そこはさすがは歳の功、母親の貫禄で、まだまだひよっこの息子よりも余裕をかました対応を見せつけてくれます。


「あらぁ、お母さんはいいのよ、なんたっけ、ジェンダーレスとかジェンダーフリーとか、最近、そういうの、はやりなんでしょ。」


 もはや慎一はそこで認めてしまっては引き返しがつきません。第一、慎一の方ではまったくそんな気があるつもりもありません。大好きなおばさんのスリップと同じように、大好きな理恵子の制服だから、そして、理恵子からのリクエストがあればこそでした。


 でも、そんな話しを今さらここで母親相手に披瀝できるものでもありません。…だって、さかのぼれば慎一が理恵子の下着を盗んだことからはじまりますし、その昔は母親の実の妹の下着で遊んでいたなんて、とても言えたものではありません。


「ば、馬鹿野郎!ぶ、ぶ、…文化祭のミスコンの練習だ!…友達の借り物だから、サイズが大丈夫か試着してるだけだ!」


 この時は、咄嗟のことながら慎一にとっても我ながらうまい言い訳になりました。確かに男子校でのミスコンというのもある意味では定番の文化祭行事ですし、コスプレ自体が世の中に浸透している昨今では、一番、妥当な回答だったでしょう。


「ふーん、でも、なかなか似合うじゃない?…可愛いよ、真一。」


 そう言って、母親は改めてまじまじと息子の可愛い女子高校生制服姿を眺めます。


「本当はね、お母さんも こんな可愛い娘が欲しかったのよね。なんか、嬉しいなぁ。」


 既に母親は楽しそうに慎一に近づいてきて、興味津々でしげしげと息子のスカート姿を嬉しそうに眺めています。


「うるせえ、馬鹿野郎!早く、出て行け!」


 一方の慎一も必死です。一刻も早く制服を脱ぎたいながら、母親の前で裸にはなれません。ましてや、スリップやパンティという女性用のインナーまで身につけていることがバレてしまったら、それこそ、もっと大騒ぎになりかねません。


「えー!もうちょっと見せてぇ!そうだ、写真、写真、携帯、携帯、写メ撮っていいよね、お父さんには見せないから、いいよね。」


 母親は慌てて肩に掛けていたバッグの中からスマホを取り出そうとし始めています。


「馬鹿野郎!シャメなんか、ダメに決まってるじゃねえか!もう脱ぐから出てけ!」


 あとから考えれば、どうせ慎一も自撮りをしなければならなかったわけですから、母親に撮影してもらえれば一石二鳥であるとも言えます。しかし、母親の携帯のメモリーにそんな強烈な時限爆弾を抱えさせるわかにはいきません。一生、母親に頭が上がらなくなりそうです。


「えー!もったいない!お母さんがいい子いい子して、可愛い慎子ちゃんを抱っこしてあげたいのに!ね、慎一、慎子ちゃん、お願い。」


 母はそれこそハグしかねないばかりに女子高校生姿の息子に近づいて懇願します。


「なんなら、お母さんの若いときのワンピとかも貸してあげるから、一緒に選ばない?きっと似合うよ。なんなら、お母さんがメイクしてあげる。きっともっともっと可愛くしてあげられるから。ねっ、ねっ。」


 矢継ぎ早に繰り出す母の攻勢に押し切られそうになりつつも、慎一が必死に絶叫します。


「うるさい!黙れ!」


 そんな息子の必死な抵抗に、母親は心から残念そうにがっかりしていました。慎一が黙っていれば、それこそハグして、慎一の頭をなでなでしながら頬ずりしそうな勢いです。


 母親の背中を無理矢理に押して、ようやく部屋から追い出した慎一は、せっかく着ていた制服を急いで脱いでしまいました。おかげですっかり自撮りするタイミングを逃してしまいました。


(くそ、また着なきゃいけないのか。おふくろのやつ、いつもいないくせに、こんな時に限って帰って来やがるとは、…ったく。)


**********


 部屋を追い出されながらも、母親は予想もしていなかった息子の可愛い姿が見られて楽しそうです。


「眼福、眼福。…男子校の文化祭って、やっぱ面白いね、慎一のミスコン、わたしも見にいこうかな。いつ、あるんだろう。しっかり写真撮らなきゃね…いや、動画も撮ってあげよう。」


 母の思いはどんどん膨らんできます。


「そうだ、文化祭にはわたしも早く行って、慎一を可愛らしくメイクしてあげよう。わたしの腕で慎一を優勝させて、ミス南高にしてあげなくちゃ。うわぁ、今から楽しみだなぁ。」


 母親の気持は、もはやいつあるか分からない文化祭でのミスコンに飛んで、ウキウキと浮かれまくっていました。


「…ってか、…あれ?…友達って、誰から制服、借りたの?…あいつの学校、男子校だろうに。」


 ふと立ち止まって疑問に思った母親でしたが…。


「まっ、いっか。友達のお姉さんあたりの着古した制服なんて、いくらでもあるだろうし。…楽しみが増えたなぁ。絶対に仕事、休んで、行かなきゃ。」


…嗚呼。


**********


 ともあれ、後輩の件や手紙の返事の件、自撮りについてはまだでしたが、やらなければならなかった課題を取りあえずこなして、ひと心地ついて安心した週末の金曜日のことでした。


 学校の昼休みも間もなく終わる時間、午後の授業が始まる頃、携帯の画面にネットニュースの速報がうたれました。


『ベルギーで邦人一家3人が自動車事故』


 少年の脳髄をハンマーが直撃したような激しい衝撃が襲いました。

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