第38話 疾走する少年

(これまでのあらすじ……)


愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めます。しかし、少年には少女には言えない淫らな性癖がありました。女性のランジェリーへのフェチ的な思いです。ある日、とうとう少年の悪い性癖が少女の前にさらされる時が来ましたが、少女の勇気ある行動でふたりはかえって強く結ばれます。次に、そのふたりの間を引き裂く出来事が起きてしまいますが、そこでもふたりは試練を乗り越えて自分達の強い絆を再確認し、少女はベルギーに旅立ちました。学校が始まり少女のいない寂しさを改めて実感する少年の前に2人の新たな少女が現れましたが、少年はいつものようにベルギーの少女とリモートでの会話を楽しんでいました。しかし、そんな少年のもとにとんでもないニュースがまいこんできます。


**********


 高校の昼休みも間もなく終わる時間、午後の授業が始まる頃、スマホの画面にネットニュースの速報がうたれました。


『ベルギーで邦人一家3人が自動車事故』


 少年の脳髄をハンマーが直撃したような衝撃が襲いました。その画面を見た途端、少年は教科書やノートもそのままに、カバンさえ持たずに脱兎のごとく教室を飛び出しました。


「慎一! 授業、始まるぞ! どうした! 」


「な、何をさわいどるか! 」


驚き制止する同級生の腕を振りほどき、血相を変えた少年は、唖然と見送る午後の授業の担当教諭を尻目に廊下を駆け抜け、生徒通用正面玄関から校舎を飛び出し、自転車置場から自転車を疾走させました。


 飛び出したはいいものの、少年にも何かアテがあるわけではありません。


(どうする、慎一!おまえはどこに行くんだ!なにをするんだ!考えろ、慎一!!!)


 少年は目的もなく教室を飛び出しましたが、駆けながら、どこに行けば正確な情報が掴めるかを考えました。


(理恵子の親戚なんて、誰も知らない。それに海外の事故なら、やっぱりそこに駐在している日本大使館から外務省に情報が来るから……やっぱり役所か。)


 ひとつは県庁です。地方の片田舎に外務省の外局なんてないのは高校生にも分かります。でも、その外務省というお役所の情報が真っ先に降りてくるのは、やはりお役所です。となれば、地元出身邦人の安否確認をする上で、一番、情報が集まるのは県庁です。


(役所はあてにならんとも言うし、じゃあ、民間なら……。)


 もうひとつ、少年が考えたのは民間新聞社・放送局です。放送局は地方とはいえ慎一の街には主な地上波放送局だけで4社ありました。その中に1社、地元新聞社を母体として放送事業を開始した地元で最も古い放送局があります。


 どちらも一長一短、どっちがよりましか、少年は自転車をこぎながら思考を重ねました。


(まずは落ち着け、外国に出ている出張員の家族なんて、世間にはごまんといる。理恵子も言ってたじゃないか、ベルギーにも意外に日本人が多いと。理恵子が事故に遭ったとは限らない。まずは情報だ。)


 交差点の信号機が赤になり、少年は自転車を止めて再び考えをまとめます。


(落ち着け、落ち着いて考えろ、役所は最初に確実な情報が入る。外務省からの情報は間違いなくすぐ来る。よし、じゃあ、目的地は県庁だよな。よし。)


 信号が青になり、少年は急いで自転車を走らせます。


(お役所だから……役所の確定情報は早いけど、情報収集は公的なルートだけ……お役所は発表も慎重だし動きも遅い……。民放や新聞社は、噂レベルの不確定情報の玉石混交だ。)


 少年は道路を左側から右側に斜め横断し、進路を邪魔された形の後ろの自動車から、盛大なクラクションを鳴らされてしまいました。


(あわてるな、あわてるんじゃない。……でも、新聞や民放はとにかく発信することに意義を持っている。公的ルートだけに依存している役所と違って、色んなところに手を伸ばして情報を集めようとする筈だよな。)


 まっすぐ直進で県庁、手前で左折すれば新聞社という交差点に少年の自転車はさしかかろうとしています。


(……落ち着け、落ち着け……どうする、確定情報をじりじりしながら待つか、とにかく、色んな情報を片っ端から集めるか、どうする……どっちだ? 落ち着いて考えろ……。)


 また一台、ニアミスした自動車から盛大なクラクションが鳴らされました。あたかも、少年の決断を促すかのように。


(どっちみち役所情報はリアルタイムで民間マスコミに来る。民間にまだ落とせない情報を役所の公務員なんかが高校生のガキに教えてくれる筈がない。……よし、決めた!新聞社に行くぞ! )


 少年は目的地を決めると、車を追い越す勢いで地元新聞社へと一目散に向かいました。


(あの時、外国に行くのは絶対に許さないと反対していたら、こんなことにはならなかった。ものわかりのいいふりをして、自分の気持ちを偽ったからだ。)


 少年は過去を振り返り、自責の念にかられます。


(……理恵子にもらったキーホルダー、あれをなくしたから……あれが前触れだったのだろうか。)


 少年は、尋常でない雰囲気が通りすぎる人にもそれと分かるほど、血相を変えた異常な様子で自転車を疾駆させていました。


(理恵子、大丈夫だ。まだぼくの制服女装の画像も送っていないじゃないか。理恵子もぼくのスカート姿を見たいだろ。ぼくを見て笑ってくれ。それに理恵子の追加のスリップも、ぼくはまだもらってないぞ! ……ぼくの許可なく、ぼくを置いて行くな! )


 少年を乗せた自転車は、県庁前バス停にたたずんでいた濃紺のセーラー服姿の少女のすぐそばを疾走し、そのまま県庁前の地方裁判所の角を左折していきます。


 そして、裁判所に隣接する新聞社の玄関に自転車を投げ捨てるように横倒しにして、新聞社の正面玄関に飛び込んで行きました。そのままの勢いで少年は正面ホールの受付に走りこみます。そのただならぬ様子に、玄関ホールの警備員までが少年に走り寄ってきます。


 その時、少年が直前に県庁前バス停で通り過ぎたセーラー服の少女が、呼吸をはずませながら追いかけてきて、入り口のドアにもたれるように新聞社のエントランスホールをのぞきこんでいます。その少女こそ、少年が先日再会したばかりのあの土屋朱美という少女でした。


(すごい剣幕で、怖い顔で通り過ぎたけど、あれ、間違いなく足立くんよね……。)


 少女の視線の先で、少年は受付の女性や警備スタッフと大声で押し問答をしているのが、玄関口からでも見えました。


「ベルギーの事故に遭った日本人のことを詳しく教えてください! ……お願いします! ……お願いします! ……お願いします! 」


 少年は、何度も何度も、繰り返し繰り返し、頭をさげて、受付の女性に取次をお願いします。呆然とする受付嬢に代わって、駆け付けてきた警備員が少年を後ろから取り押さえます。


「きみは何なんだ!家に帰りなさい!警察を呼ぶぞ!」


 全面ガラス張りで、外からも中の様子がよく見えるエントランスでの異様な騒ぎに、次第に社内の人も集まってきました。あまり歩行者の少ない地方の街中でも、なんの騒ぎだろうと、入り口にいるセーラー服姿の少女の周辺にも人が集まり始めました。


「なんだ、なんだ?」「何を騒いでいるの?」「何かあったの?」


 その人混みの中に紛れて少年の様子を見ていた少女は、耳に届いてくる断片的な言葉ではありましたが、すぐにその単語を幾つか並べてスマホで検索してみました。すると、検索してすぐに、直近のニュースとして、ベルギーでの邦人家族自動車事故のニュースがヒットします。


「そういうことだったのね、足立くん、かわいそう……。」


 玄関の少女の顔が、少年に対する同情、もしくは憐憫に似た表情を見せます。


「でも……。」


 その少女の唇の端が心なしか、かすかに上がったようにも見えたのでした。


 その時、案内窓口での押し問答の状況に変化が見られました。社内の女性社員の一人が出てきて、警備担当者と受付カウンターの女性に、その少年から話しを聞き取り調査をするからと、少年を連れて受付裏の面談室に少年を連れていったのでした。


 ひととおりの騒動も収束して、集まりかけていた社内社外の野次馬の人々も、三々五々に散らばっていきます。でも、少女は少年の姿が完全に室内へと入り見えなくなるまで、その少年の後姿を見つめていました。


**********


「きみが知りたいのは、さっき速報で入ったベルギーでの邦人家族の事故のニュースの件ね。」


 少年を応接ソファに座らせながら、新聞社の記者らしい女性が話しかけてきました。記者にしてはメガネも掛けておらず、物腰も柔らかで優しい印象を受ける人でした。


「そうです。あの事故! 事故に遭った邦人家族の名前は、名前は分かりますか! 」


 少年のただならぬ血相から、ある程度は事情を察した女性は、少年の動揺を収めるために、落ち着き払った態度でゆっくりと少年に聞き返します。


「ベルギーに大事なお友達が行ってるのね。残念だけど、まだ第一報が入っただけなの。まだ名前も出ていないから、だからきみの友達かどうかも分からないのよ。もし、詳細が分かったらすぐに教えるわ。……確か、あだち……慎一くん……よね。」


 少年は初めて会うはずの見ず知らずの女性に名前を言われて驚きました。


「ごめんね。麗美から話しは聞いていたの。昔からの友達なのよ。……さっき、あそこの騒ぎを見ていて、誰だっけ、見たことのある子だなぁって、思いだすのにちょっとかかったけど。」


 女性記者は応接セットのソファに座り、少年を落ち着かせるためか、ゆっくりと話を続けました。


「……麗美からスマホでよくあなたと一緒にとった画像を見せられていたから。『大好きな可愛い甥っ子だよ』ってね。それに麗美の結婚式で、麗美の大好きな甥っ子がどんな子か、私も興味津々できみを見ていたのを思い出したよ。」


 その女性記者は細長い外国タバコを取り出し、口にくわえると、それに火を点けて、ひと息吸って話を続けます。


「君はずっと麗美を優しい目で見つめていたから、結構、印象的だった。全然、麗美から目を離していなかったもんね。時々、麗美も君に笑顔を送ると、君もすっごく嬉しそうにしていたから、あぁ、このふたりは本当にお互いに大好きなんだなあって、すごい羨ましかった。」


 想像もしていなかった意外な接点に少年は驚きました。そう言えば、おばさんの仕事はフリーの映像デザイナーらしきもので、マスコミや番組制作会社とも仕事をしていました。留守番でおばさんの部屋に来た小荷物等を受け取って、そんな風な会社名を見た覚えがありました。


「え……レミねぇが、そんなこと……。」


 意外な事実に驚いた表情の少年を一瞥して、その女性記者は話しを続けました。


「あなたに言っていいのかどうか私にも分からないけど、……本当は結婚って人生の中でもバラ色の最高のイベントでしょ。独身の私には憧れるけどね。……でも、麗美はちょっと違ったの。あなたと別れるのが本当につらかったみたいでね、よく悩んでた。」


 少年は顔を伏せ、目をつむり、懐かしいおばさんの顔を思いだしながら、じっと聞いていました。


「もちろん、麗美がきみのことを大好きなのは私も聞いて知ってたよ。麗美が言ってた。『恋人以上に大切な男の子、でも、こんな30前のおばちゃんが中学生の男の子に恋しちゃうなんて、変だよね』って笑いながら言ってた。」


 少年はおばさんの笑顔を思い浮かべ、目頭が熱くなってきたのを感じました。


「……でも、『他人だったら、甥っ子じゃなかったら良かった』なんて、今にも泣きそうな顔で言うんだもん。それに『彼のこれからの人生のためにも、お別れした方が良いんだ』ともね。」


 思いがけない場面で、思いがけない人の言葉を聞かされ、感情が既にマックスに高ぶっていた少年は、ぼろぼろと涙を溢れさせてしまいました。


「あ、ごめん、ごめん。やっぱ、聞かせちゃ悪かったか。……ごめんね。」


 あわててタバコを灰皿に押し付けたその女性記者に対して、少年は涙をぬぐって答えました。


「いえ、ありがとうございます。レミねぇの話しを聞けて、本当に嬉しいです。」


「……とにかく、詳細が分かったらすぐに教えるから。わたしは文化部だから、社会部や国際部の記者にも聞いておくよ。……大丈夫、海外に赴任してる日本人なんか山ほどいるんだから、お友達もきっとピンピンしてるよ。」


 女性記者は青ざめている少年を元気づけるように笑って話しかけました。しかし、それに続ける言葉は少しだけ語調を変えて真面目な口調で語りました。


「でも、もし、事故の当事者が地元出身者なんてことになったら、あいつら、きみに貼りついて面白おかしくネタにされちゃうからね。とりあえずはわたしに任せて。」


 その女性記者は少年の肩をつかんで力強く言いました。


「麗美の可愛い甥っ子、……じゃない、麗美の大事なひとなんだから、あなたをハイエナみたいなやつらの餌食にはさせないわ。」


「ありがとうございます。お姉さん。」


「お姉さんときたか……私は門脇圭子。これ、私の名刺ね、そこに携帯もあるから。きみの携帯番号もちょうだいね。」


 門脇という女性記者は、少年を玄関まで送り出してくれました。少年は玄関に投げ捨てられたままの自転車を拾いあげ、女性記者に丁寧にお辞儀をして新聞社を後にしました。


(レミねぇ、ありがとう。いつもいつも勝手なことばかりでゴメン。……レミねぇは、いつもぼくのことを心配して、今でもぼくを守ってくれていた。ありがとう。)


自転車をこぎながら、少年は祈ります。


(……そして、また勝手なお願いをします。レミねぇも祈ってください、理恵子の無事を祈ってください。)


**********


 しかし、少年の願いは届きませんでした。ベルギーの自動車事故で、資源廃棄物再処理プラント建設のために出張員として来ていた邦人技術者の家族、技術者本人と妻と娘の三人が、異郷の空の下、不幸な事故死を遂げていたのでした。


 少年は、その女性記者からの電話を自分の部屋で受けました。最初、少年は、相手が何を言っているか理解できませんでした。だって、理恵子は自分に約束したんです。


 ……日本に帰ったら、大学に進学した少年のアパートに来て、新婚生活の練習をするんだと約束したんです。その理恵子が少年を置いて二度と帰らないなんてあり得ないのです。


 しかし、少年の意識が現実に戻り、この世界のどこにも、地球上のどこにも、少年が心から愛した最愛の少女が存在しない、そのことを理解した時、少年は遠くから呼びかける女性記者の声も聞こえず、呆然と携帯電話を床に落としたのでした。


 その連絡が新聞社の女性記者から少年のもとに来たあと、不思議なことにあれだけ探しても見つからなかった少年のキーホルダーが、机の下からすぐに見つかったのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る