第39話 永遠の別れ
(これまでのあらすじ……)
愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めます。しかし、少年には少女には言えない淫らな性癖がありました。女性のランジェリーへのフェチ的な思いです。ある日、とうとう少年の悪い性癖が少女の前にさらされる時が来ましたが、少女の勇気ある行動でふたりはかえって強く結ばれます。その後も更にふたりの間を引き裂く出来事が起きますが、ふたりは試練を乗り越え自分達の強い絆を再確認し、少女はベルギーに旅立ちました。学校が始まり少女のいない寂しさを改めて実感する少年の前に2人の新たな少女が現れましたが、少年はいつものようにベルギーの少女とリモートでの会話を楽しみつつ絆を深めます。しかし、そんな少年のもとにとんでもないニュースがまいこんできます。少年は愛する少女の安否を思い、街を自転車で激走します。しかし、現実は残酷にも少年の望みを打ち砕いたのでした。
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数日後の日曜日、理恵子の遠い親族が遺骨の引き受け人となって、市内の斎場でしめやかに葬儀が営まれました。
お葬式には、理恵子のお父さんの会社の経営陣や会社関係者が大勢参列して盛大に法要が営まれました。他にも、理恵子の中学や高校の同級生がたくさん参列してきました。
しかし、その学生たちの中に、少女がもっとも愛した少年の姿はありませんでした。
「おい、慎一はどうしたんだ? いねえの? 冷たい奴だな。」
「あれ? あいつ、理恵ちゃんといちばん仲が良かったろ。なんで来ないんだ。」
「あんたたち、いい加減にしなさいよ、テレビや新聞が来ているこんなとこに来れるわけないでしょ。」
「でもさ、お別れくらいできるだろ。普通は顔だけでも出しに来るんじゃない? 」
「だよな、死んだらもう用がないってか。理恵ちゃんも可哀想だな。」
すすりなく同級生たちの中で、いろいろな話しが囁やかれています。もちろん、ここぞとばかりにまるで見てきたような少年の噂話も賑やかに広がっていきます。
その同級生たちの一団を見まわして、少年の姿を探す新聞記者の腕章を付けた女性がいました。神部麗美の親友、門脇圭子です。
「あの子、……麗美の甥のあの子、来てないなぁ。……慎一くん、大丈夫かしら。」
少年との出会いの興奮した状態から、その女性記者は少年のことを心配していました。でも、その時、少年はまったく別の場所にいたのでした。
そこは、その女性記者のまったく予想もつかない場所でした。
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この葬儀の前日、少年はまだショックから立ち直ることが出来ませんでした。しかし、中学の同級生たちから、葬儀日程の連絡も来ていましたので、気は進みませんが、行くつもりはしてた。
そんな時に、少年のもとへ小荷物が届きました。それは少女からの国際便でした。
中には、いつものように少女からの手紙と、綺麗にたたまれた少女の下着が入っていました。
「うああああああああ~~~~~~!!!!」
その手紙に目を通した少年は、マンション中に響くかと思われるほどの大きな叫び声をあげ、その後、ボロボロと大粒の涙を流しました。そして、日が暮れてもなお、その場にうずくまったまま、ずっとそのまま、声を上げて泣いていたのでした。
かつて少年は、涙の封印を自らに誓っていました。最愛のおばさんとの別れで、涙はとうに枯れ果てたと思っていました。そして、おばさんを心配させないためにも、決して涙は流すまいと自分に誓ったのです。それなのに……。
人間の身体のどこにこんなにも水分があるのか、それが不思議になるほど、少年の涙は止まりません。むしろ少年にとっては脱水症状を越えてミイラにでもなってしまいたい程の悲しみであったことでしょう。
その手紙は、少年に対する愛情に溢れた少女の手紙でした。
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『しんちゃん、約束通り、わたしのブラとスリップを送ったからね。こっちのスリップはサテンのキラキラした、すっごいきれいな光沢のあるスリップが日本よりいっぱいあって、高校生くらいの女の子はみんな、カラフルで大人っぽいスリップを着てるの。しんちゃんもベルギーに来たら女の子にフラフラしちゃうんじゃない? わたしと逆に、もし、しんちゃんがベルギーに来てたら、日本で待ってるわたしの胸がキリキリして大変だったかも。
あ、そうそう、ちなみにこれね、わたしが1日中着て、一晩、これを着たまま寝て、わたしの匂いをしっかりしみつけてあげたから、わたしだと思って大事にしてね。汗臭いなんて言ったら絞め殺しちゃうぞ!
ほんとはね、チョコレートの好きなしんちゃんに本場のベルギーチョコレートも一緒に送ってあげたいんだけど、生物とか食べ物とか検疫とかなんとか、よく分からないけど、空港の知らないおじさんに開けられて、わたしの下着を見られたら恥ずかしいから、今度、どう送ったら良いか、ちゃんと調べておくね。
それに、こっちの名物はチョコレートやビールだけじゃなくて、日本人にはアンティークの小物がすっごく人気なの。明日、お父さんが久しぶりに休みが取れるからって、アンティークの小物のお店が多くある街にレンタカーで連れていってくれるの。
しんちゃんとお揃いの可愛いグッズを探してくるから、楽しみにして待っててね。しんちゃんが良い子にしていたら、良いことがあるって言ったでしょ。7月の誕生日祝いにはちょっと早いけど、良いのを見つけて、また、わたしの下着でくるんで送ってあげるからね。
こっちはもうすぐ『猫祭り』なんてのもあるし、8月には『フラワーカーペット』て言う、広い中央公園に花を敷き詰めるお祭りもあるから、わたしもベルギーの可愛い民族衣装を着てる写真や動画をしんちゃんに見せてあげる。猫好きなしんちゃんと一緒に行きたいけど、わたしの写真で我慢してね。
それじゃ、また、リモートで会おうね。もちろん、手紙も書くよ。
大好きなしんちゃんへ。』
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少女は少年へのプレゼントを探すために両親を連れて出かけたのです。しかも、わざわざ、レンタカーを借りて出かけたのです。少女の両親も含め、3人の尊い命が異郷の空で空しく果てる元を作ったのは、誰あろう彼自身なのでした。
(ぼくだったんだ……理恵子を死なせたのも……理恵子のお父さんやお母さんを死なせたのも……みんな、ぜんぶ、ぼくのせいだ……。)
少年は、これからの人生、償いきれない罪の意識を背負わねばなりません。少女を失った今、少年はその半身をもぎ取られたも同じような痛みに苦しんでいます。
そこに更に、愛する者とその家族を死なせてしまったという、とてつもない十字架を背負っていかねばならぬ運命を、少年は知りました。そして、それを受け入れる決意をしたのです。
(理恵子の……スリップ……。)
泣き濡れた少年は、少女から送られてきたサテンのスリップを両腕に乗せて、大事そうに持ち上げました。手紙にある通り、合繊ながらシルキーな美しい光沢のあるサテンのスリップです。
少年はそのスリップに顔を埋めます。愛する者の懐かしい匂いが少年の顔にまとわりついて、泣き腫らした少年の顔を優しくなでてくれているようでした。
「理恵子……。」
**********
理恵子と両親の三人がにこやかにひとつの写真におさまっています。その写真は、一人娘の高校入学を祝って親子で撮った写真のようでした。
真新しい制服を着た理恵子を中心に、華やかなパステルピンクのスーツを着た美しい母親と、濃紺の三つ揃いスーツ姿の背の高い父親が、三人ともに笑顔で一枚の写真に収まっていました。
その写真を取り囲むかのように、祭壇にはたくさんの花が飾られており、その仲睦まじい様子の家族写真は、さらなる参列者の涙を誘いました。恐らく、その祭壇の写真を見ることに、少年はとても堪えられなかったことでしょう。
斎場にはしめやかに葬送の読経が流れていきます。そして、粛々と葬儀のプログラムが消化されていきます。
ひときわ、読経の声が大きくなったところで、司会者の差配で参列者の焼香が始まります。最初に親族が焼香し、礼服姿の焼香がひとわたりすると、色とりどりの制服に身を包んだ多くの女子高生が前に歩み出て焼香し、祭壇に向かい手を合わせます。
「うっ……、ううっ……。」
「ぐすん……。ぐすっ……。」
「さよなら、りえこ……ううっ……。」
目を真っ赤に泣きはらした少女たちの一団がしばらく途絶えることなく、続きました。その姿は更に参列者の涙を絶え間なく呼び起こします。
しかし、その合間も、会場後方では、さっきまで目を真っ赤にして泣いていた筈の少女たちが、降って湧いたイベントの噂話に余念がありません。
「ヒサちゃんさぁ、理恵子とクラス一緒だったでしょ、慎一はなにやってんの?」
「わたしも、知らないけど、南高に行った男子が慎一に今日のお葬式のこと、言ったんだって。」
「うんうん、それでそれで、慎一、なんだって?」
「理恵子なんて、知らね!なんで俺が葬式に行かなきゃいけねぇんだ!……だってよ。」
「うげ~!サイテー!慎一って、そんな奴だったんだ!」
「サイアクだよね、わたしも見損なっちゃった。」
噂好きな雀たちは、もはや真相の真偽などには関係なく、このイベントに伴う扇情的な情報に飢えて、それがセンセーショナルであればあるほど、満足感に浸るのでした。そして、聞いた話しに更なる誇張と尾ひれを付けて、物語を勝手に増殖させていくのです。
この場合、この場に居ない反論しようのない者が、雀たちの格好の餌食でした。そこに少女への同情と、外国留学への嫉妬がないまぜになり、慎一と理恵子が生贄にされたのでした。
「ねぇ、聞いた聞いた?慎一の奴、理恵子が外国に行ってから、すぐに浮気していたんだってよ。」
「え!理恵とあんなに仲良かったじゃん!」
「それがさぁ、浮気相手に本気でのぼせちゃって……理恵子には可哀想だけどさ、死んでくれてせいせいしてるみたいよ。」
「マジ、サイテー!他人事でもムカツク!」
悪意の第三者の言葉は、善意の第三者にも誤解と疑惑を増殖させ、物語をどんどん再生産していきます。
**********
少女と両親の葬儀が営まれているその時、少年は、夕方の黄色い残照に照らされた学校の教室にいました。そこは2年と少し前まで少年が通っていた中学校の3年生の教室でした。
少女とその両親の人生を奪った者として、少年はとても葬儀には出られませんでした。顔向けが出来ないという思いだけでなく、異郷に散った少女の『恋人』として、同級生や友人たちの前にはとても出られませんでした。
友人達は、彼を最愛の者を失ったかわいそうな少年として慰めてくれるでしょう。でも、今の少年はその慰めや同情に自分が値するとは思っていません。
(そうなんだ、ぼくは償いを、報いを受けなきゃいけない。ぼくは、一生、3人もの人の命を奪った罰を受けなければいけない。)
最愛の少女を死に追いやったのは、他ならぬ自分自身ですから、慰めを受ける資格も、葬儀に参列する資格も、自分にはないと思っていたのです。もし、それで薄情者としての冷たい烙印を押されるなら、自らへの罰として甘んじてそれを受け入れようと決意したのでした。
日曜日の校内は誰もおらず静かなものでしたが、部活動で来る生徒もいますので、学校の玄関は開放されており、少年は誰に断ることもなく校舎に入ることができました。
少年の座席は、廊下側から3列目の前から3番目、少年が初めて少女に会ったのもここでした。少女は廊下側から2列目の前から3番目の座席、少年の右隣に座っていました。
(ここから始まった……。)
少年が少女のことを好きになったのもこの教室でした。そして、この教室の後方で少年は少女から介抱してもらったこともありました。
少年が右に振り返ると、そこには中学の制服姿の少女が笑顔でたたずんでいました。少女はそこで立ち上がりスカートの裾をひるがえしてくるくるとまわりながらイタズラな笑顔を少年に投げかけています。スカートの裾が舞い上がり、美しいスリップの裾レースがひらひらと揺らめいています。
そして、その姿の中に、一週間前のリモートで、最後に聞いた少女の肉声が、何度も何度もこだまします。
(しんちゃん……わたしも、大好き……。愛してる……。)
(しんちゃん……わたしも、大好き……。愛してる……。)
(しんちゃん……わたしも、大好き……。愛してる……。)
(しんちゃん……わたしも、大好き……。愛してる……。)
「理恵子……。」
少年は机から身を乗り出して少女の手をつかもうとしますが、つかめません。
そして、少年が次に少女を抱きしめようとした時、少女の姿はたちまち雲散霧消してしまい、少年は少女の座席に手をついて倒れこんでしまいました。
少女の姿が消えたモニター画面にも、少女の姿が現れることはもう2度とありません。ただ、無機質に真っ黒な画面が映るだけです。
「うっ……うっ、うううっ……りえこ……りえこ……。」
慎一はそこで泣いてしまいました。今、彼に許されるのは一人で泣くことだけです。理恵子が座っていた椅子を抱えるように、誰はばかることなく、彼は大声て泣いたのでした。
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