土屋朱美の章

第40話 ハートブレイク

(これまでのあらすじ……)


愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めます。しかし、少年には少女には言えない淫らな性癖がありました。女性のランジェリーへのフェチ的な思いです。ある日、とうとう少年の悪い性癖が少女の前にさらされる時が来ましたが、少女の勇気ある行動でふたりはかえって強く結ばれます。その後も更にふたりの間を引き裂く出来事が起きますが、ふたりは試練を乗り越え自分達の強い絆を再確認し、少女はベルギーに旅立ちました。学校が始まり少女のいない寂しさを改めて実感する少年の前に2人の新たな少女が現れましたが、少年はいつものようにベルギーの少女とリモートでの会話を楽しみつつ絆を深めます。しかし、そんな少年のもとにとんでもないニュースがまいこんできます。少年は愛する少女の安否を思い、街を自転車で激走します。しかし、現実は残酷にも少年の望みを打ち砕いたのでした。理恵子の死後、少年に届いた少女からの愛情溢れる手紙は、しかし、少年を驚愕させます。理恵子を死に追いやったのは他ならぬ自分ではなかったのか? その苦しみを胸に抱き、少年は葬儀の時間、理恵子と出会った懐かしい中学の教室にいました。そこで少年は誰憚ることなく号泣しました。


**********


 鳥のさえずりが聞こえてきます。すがすがしい晴れ渡った朝の光は、どのような人の上にも平等に降り注ぎます。たとえその爽やかさをどんなに疎ましく思ったとしても……。


(♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪)


 携帯に設定したアラームが鳴り、同時に勢い良く布団を跳ね除けて起き上がった少年が、ベッドから降りて立ち上がります。


 しかし、次の瞬間、まるで呆けたようになった少年が、再びベッドにストンと腰を落としました。そして、少年は無言のまま携帯のアラームを止めました。


 しばらく、固まったように携帯を握りしめていた少年は、その携帯をベッドの上にポイッと投げ捨てました。そして、少年はパジャマ姿のまま、再び、ベッドの上に仰向けになりました。


 別に眠かったわけではありません。少年は目を開けたまま、天井を見つめていました。


 少年には、もう、朝、早起きする理由がなくなっていたのですから……。


**********


 今日も駅には登校する生徒たちの人波が続々と続いています。そして、若者たちの元気な挨拶の声と楽しい会話が途絶えることなく続いています。


「ほれ、さっき話しをしていたの、あいつだよ……。」


「え?なんだっけ?」


「なんだよ、ほら、ベルギーで死んだ中央高校の女の子……。その付き合っていた彼氏だよ。」


「ああ!……え!じゃ、あいつ?……二股かけて、葬式にも来なかったって最低薄情男。」


「だよ。ケロッとして登校してるじゃんよ。さすがだね。こっちにも彼女がいるから平気なんだってよ。」


「へえ~、羨ましいこった。冴えないツラして、意外にモテるんだね。」


「お前とは違うぜ。よっぽどナニがデカいんじゃなくね?」


「じゃあ、しゃあねぇか!」


 駅には、今日もいつも通り、賑やかに若い生徒たちの声が溢れています。


「ほら、見て、あの子みたいだよ……。」


「あぁ、知ってる、南高の子よね……。確か2中でしょ、一緒の中学じゃなくて良かったよ。」


「それどころか、付属高の子がさぁ、子供を堕ろさせられたとか聞いたよ……。」


「マジ?こわっ、……最低だね。」


 ……。


**********


 最愛の少女を失った少年は、その後、一般的な高校生と同じように、普通に学校生活を送るようになりました。時折、どこか彼方に心を飛ばしているような時もありましたが、それと気づく同級生は誰もいませんでした。


むしろ、理恵子の葬式に際して顔も出さない冷たい奴だという噂だけは、同級生の間に急速に広まっているようでした。始めは少年のことを気遣う友人もいましたが、少年の噂が広まるのと反比例するように、少年の周りから友人の姿が消えていきました。


 そんな中で月日だけは流れ、少女の死から一か月以上たって、カレンダーは6月に変わりました。


 あの日以来、少年は同級生などの他人との接触を極力避けるようになりました。もちろん、学校においても必要最小限の会話以上のものはありませんでした。


 また、噂の広まりは、同じ中学出身者からだけでなく、様々なところから尾ひれが付いた形で急速に進み、少年は、教室の中でも薄情で根暗な奴だと思われて、より一層、孤立を深めていきました。しかし、少年はその孤立と冷たい視線を、むしろ望んでいるかのようにさえ見えていました。


 そんな中、再び街の中で少年は土屋朱美と出会ったのでした。


**********


 既に衣替えの時期となり、彼女は濃紺のセーラー服から、真っ白い中間服のセーラー服姿となっていました。セーラー服は袖も襟も共布の白地の上に銀色の二本線が付き、セーラーの襟にはスカーフではなく明るいグレーの棒タイが付いていました。


「慎一くん、久しぶりね。お手紙、ありがとう。」


 慎一の高校から駅に向かう道すがら、そこに少女はいました。今の慎一には眩しすぎるほどの明るい満面の笑みで、少女は慎一に声を掛けました。


 理恵子の事件の直前、慎一は土屋朱美に返事の手紙を出していました。少年はそのことをある意味において悔いていたのでした。


 この世に神というものがあるならば、慎一にとって、その事実が理恵子を死に追いやった小さな原因のひとつのように思えて仕方ありませんでした。理恵子とは別の女性に手紙を書いたこと自体に、自分の不貞が感じられて辛かったのです。


 それにしても、前回は苗字で呼んでいた朱美でしたが、手紙をもらったことで急速に親近感を感じるようになったのでしょうか、今回は最初から慎一のファースト・ネームで呼んできました。


そんなフレンドリーな朱美の様子には関係なく、少年はまったく気乗りしない様子で、さっさと足早に立ち去ろうとしました。しかし、彼女は自然な流れで話しを切り出して、立ち去ろうとする少年の足を止めました。


「そうそう、慎一くん、中学は2中でしょ。この前、ベルギーの事故で亡くなった中央高校の女の子って、慎一くんと同じ中学じゃない?」


彼女はまるで少年の反応を確かめるかのように、そこで言葉を止めて少年の様子をうかがいます。


しかし、歩みを止めた少年は表情を硬くしたままで、まったく無反応のように彼女には見えました。少年は朱美に対して正対せず、斜め前を見て少女と目を合わさないようにしています。


「 うちのクラスでも話題になっていてね、慎一くん、知ってる子? 」


 少年としては触れたくもない話題でもあり、無表情のまま、そっけなく答えました。


「知らない。」


 しかし、そんな返事を予想していたかのように、少女は話しを続けます。


「へぇ、同じ学校でもクラスが違ったら知らない子も多いしね。……でも、いいなぁ、海外に留学なんて。」


 そこで少女は話を区切り、更に少年の様子を確かめます。少年は、相も変わらずに、まったくの無反応を装っています。試みに少女は突っ込んで話を続けてみました。


「わたしだったら言葉も通じない外国なんか、怖くて行けないなぁ。でも、あっちに行ったら、向こうの白人のカッコいい男の子いっぱいと仲良くなって、楽しそうだよね。イケメンのボーイフレンド、いっぱい作って楽しく海外生活、帰ったら帰国子女で注目の的……。」


ついにイライラを募らせた少年は、思わず叫んでしまいました。


「そんなんじゃない! 」


 少年は、彼女の言葉を遮るように、声を荒げてしまいました。しかし、少女は更に少年の神経を逆撫でするように言葉を続けます。


「え? 慎一くん、何で怒るの? だって、知らない人でしょ。大学で語学留学するならともかく、親の仕事の都合とかいって、海外にホイホイ行きたがるなんて。高校生だったら、親がいなくても日本で一人暮らしだってできるし……。」


 そんな話しを聞きたくもないと言うように、少年が号びます。


「おれ、帰る。」


 少年はいらついたように、彼女に背中を向けて帰ろうとしました。しかし、彼女は少年を帰そうとはしません。少年の背中に決定的な言葉を投げかけました。


「全部、知ってるよ。」


「! 」


 少年は驚きました。知っているとは何か?何を知っているのか?海外で死んだという女の子のことを知っているのか?それとも、その女の子と自分の関係を知っているのか?そして、それを知っていながら自分に声をかけて来たのか?


 知っているからなんだ、君には関係ないだろうという、半分怒りに近い憤りの思いで、少年は振り返り、彼女を睨むように見つめました。しかし、それくらいでは彼女もひるみません。


「ニュースに出ていたあの女の子、三枝理恵子、あの子、慎一くんが付き合っていた、大好きな彼女だったんでしょ。」


 その言葉に少年は動揺を隠せませんでした。さして親しくもない偶然に出会っただけの女の子に、なんでそんなことを知られ、また、言われなければならないのか。


「なっ、なにを……。」


「見てれば分かる。」


 慎一の疑問に、彼女は即座にそう言い返しました。しかし、それもおかしな話しです。少年にすれば、中学での合唱の合宿の時はともかく、先月に会ったばかりで、今回でまだ会って二度目の女の子が、なぜ、少年の状態が分かるほどに見ているというのか?


 まさか、新聞社に飛び込んだ一部始終を彼女に見られていたとは、少年にはまったく思いもよらないことでした。そのため、そこの矛盾にさえ気づかないまま、少年は彼女の思いを突き放します。


「君には関係ない。」


 しかし、ここでひるむようでは最初から少年に接触したりはしません。彼女も負けずに切り返します。


「関係ある。慎一くんを元気づけてあげたい。」


「よけいなお世話だ!」


「あっ、待って、慎一くん!」


 引き止める少女の声を無視して、とうとう少年は捨て台詞を残すようにして、少女を残して駆け去っていきました。しかし、その場に残された土屋朱美は、無理に追いかけるでもなく、少年の後姿を見つめながら不敵に笑っているのでした。


(いったい、なんだってんだ!知っているなら、そっとしておいてくれ!……それとも、これもぼくの罪に対するむくいのひとつだとでも言うのか!)


 少年は、その少女から逃げ出すように駆けながら、悶々とした堂々巡りからだけは、どうしても逃げ出すことが出来ずにいました。


**********


 実は、少年に会う前に、少女は少年と同じ南高校に通う複数の中学時代の同級生から、彼の様子を聞いて知っていました。


「なんか色々あったんだろうけど、ここんとこ誰とも口をきかねぇで、教室でもずっと1人らしいよ。」


「彼女が死んだんだろ、そりゃ暗くもなるだろうけど、ありゃ、異常だよな。それまで仲の良かった奴らも、みんなお手上げだそうだぜ。」


「どんだけ仲が良かったか知らねえけど、葬式に顔もださない薄情な奴だって噂だよ。ほんとにその女の子と付き合ってたのか?」


「聞いた話しじゃ、ひでえ奴じゃねえか。男の面汚しだろ。まぁ、聞いた話しだし、関係ねぇけどよ。」


「あんなやつ、知らねぇよ。思っただけでもムカムカするぜ。お前、どういう知り合いか知らねぇけど、あんなやつ、関わり合いにならねぇ方がいいぞ。」


 噂の半分以上は悪意に満ちたような内容で占められていました。


 しかし、新聞社に血相を変えて飛び込んで、必死に職員に食い下がっている姿をその目で見た朱美は、悪意の噂の根拠となる彼の薄情さという点については問題にもしていません。


 むしろ、その後の彼の様子は、亡くなった女性に対する彼自身の誠実さを如実に物語っているようにしか、朱美には思えませんでした。


 だからこそ、少女は敢えて少年の忌諱に触れてみたのです。案の定、少年は過敏な反応を見せてくれました。悪い印象だろうが、少年の心理に少女の存在は強く刻み付けられたのです。


(これは序の口。言葉を返してくれただけ、まだ、脈はあるよね。……じゃあ、次はソフトモードに作戦変更といこうかな。)


 少女は妖しい笑みを浮かべて、ひとりごちます。


(男なんて、抱きついて泣き崩れるとか、ちょっと肌を見せればチョロイもんよ。男子校の彼氏なんて、なかなか良いアクセサリーだしね。)


 今の彼女にとって、これは恋活でありゲームなのでした。状況が難しいとしても、それはそれで落とし甲斐のある難易度の高いステージであるというだけのことかもしれません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る