第35話 後輩へのお礼
少年は市民会館の前で中村朋美と待ち合わせをしました。少年も芸がありません。ここは2年前に慎一が理恵子に告白をした場所です。少年は約束の時間の30分も前にここに来て、2年前を懐かしく思い出していました。
(懐かしいなぁ。あの時は、もう死にそうなくらい、ドキドキしたっけ。)
少年はどこに行っても、愛する少女の面影を追い求めてしまいます。街角のどの場所にも、少年が愛した少女の姿が蘇ります。この少年の2年間は、すべて愛する少女と共にありました。
(理恵子、見ててよ。ぼくはいっときだってきみのことを忘れたりはしない。きみにふさわしい、誠実な人であるために、今日のぼくを見守っていてね。)
少年にとって今日これからの後輩とのデートでさえ、それは理恵子のためなのでした。明らかな自分勝手な男のエゴで、そんな理屈が通用するなら、世の中に浮気なんてありえないことになります。
しかし、少年は大真面目でした。少年は、少女のいないこれからの1年を清廉に生き、また、人として恥ずかしくない紳士たらんとしようと自分に誓ったのです。
(ぼくは自分に誓った。今度、理恵子が日本に戻ったら、二度と理恵子を放さないと。そうするためにも、ぼくはもっと人として成長しなければならない。)
少年は、未来に向けて考えていました。理恵子とのふたりの将来の生活のためです。それには自分が早く大人になって社会的にも認めてめらわなければならない。
タイムマシンで時間を早めることは出来なくとも、人として後ろ指刺されるようなだらしない人間では、理恵子の周囲の大人たちも自分のことを認めてくれない、少年はそう思いました。
後輩のことにしても、理恵子は自分を信じているからこそ、だらしない格好じゃなく、早起きして身だしなみを整えて行きなさい、と送り出してくれた。少年にとってはすべて同じことなのでした。
(理恵子との新しいぼくらの未来のために、ぼくはこの1年間を無駄にしちゃいけない。いつまでも、レミねぇと結婚したいと駄々をこねた子供じゃいけないんだ。それをぼくに教えてくれたレミねぇのためにも、ぼくには理恵子を幸せにする責任がある。)
理恵子からもらったお守りを握りしめ、市民会館の噴水前のベンチに腰をかけていた少年は、心に強く誓うのでした。
間もなく、息を弾ませた少女が、邪気のない素直な笑顔をたたえやってくるでしょう。少年は、それまでの僅かな時間、その場に残る最愛の少女の面影を追い求めるのでした。
**********
「先輩、ごめんなさい!お待たせしちゃいました!……ほんとに、ごめんなさい!」
息を弾ませた少女が、息咳きって、駆け込むように少年の前に現れました。少年は、にっこり微笑んでベンチから立ち上がります。
「まだ、15分も前だよ。全然、遅くないよ。」
彼女は、真ん中から分けた肩まではギリギリかからないミドルのボブで、大きな瞳に唇は小さく、衿付きの白シャツにチェックのキュロットスカートといった姿で、肩から長くかけた小さく可愛いポシェットをぶら下げていました。
(理恵子とはまた違った可愛らしさだね。朋美ちゃん、こんな可愛いかったっけ。)
少年は、その少女の眩しさを改めて感じました。
「……じゃ、行こうか。」
「え?……ど、どこへ?」
「今日は、ぼくが朋美ちゃんにお礼をするんだし、ぼくに任せてよ。」
「そ、そんな、お礼なんて……。」
「朋美ちゃんから、バレンタインのチョコをもらったのに、2年以上も放ったらかしで、こんなヒドい先輩もないもんだよ。朋美ちゃんが行きたいところがあれば教えて。何でも朋美ちゃんの好きなようにしてあげたい。今日1日、朋美ちゃんがぼくのお姫様だから。」
また始まりました。これが少年の長所でもあり短所でもあるところです。この調子の良さは、時に相手に気をもたせますし、第三者的には誤解を生んでしまいます。
少女も、『お姫様』という言葉に、ドキッとして、少しだけ頬を染めました。でも、少女は先輩のそばにいるだけで幸せなのです。
「わたし、先輩と一緒ならどこにいても楽しいです。全部、先輩にお任せします。」
「そっか……。ありがとう。」
また、ポリポリと頭をかく少年でした。
**********
少年は、改めてデートをした記憶がありません。理恵子と外出する時は、買い物でも遊びでもスイーツでも、あらかじめ二人で決めた目的があって出かけるので、悩むことはありません。
普通にデートするなら遊園地やムーディーな水族館なんでしょうが、少年にとっては目的が微妙に違うので、コース取りには随分と悩みました。
まずは時間潰しになる映画、そして、ボウリングと、今時はあり得ない昭和的なコースをこなしてから、食事も出来るカフェに行きました。
「ごめんね。こんな時はどこに行って何をしたら良いかも分からないから、朋美ちゃんをあちこち引き回しちゃったよね。疲れてない? 」
「いいえ、先輩と一緒ならどこにいても楽しいです。今日は先輩のことが色々と聞けて良かったです。」
少女は心から嬉しそうに答えました。始めはガチガチになっていましたが、映画を見たりボウリングをしたりと、適度な距離感から始めたのが、結果的に少女には良いように作用したようです。おかげでだんだんとほぐれて、話もスムーズにできるようになりました。
「そう言ってもらえると助かるよ。ぼく、デートなんてしたことなかったから。」
少年はいつもの癖で、恥ずかしそうに頭をポリポリとかきました。
「え! そんな、まさか。先輩、彼女とはデートしないんですか? 」
どうやら、理恵子との仲は本当に後輩までにも広がっているようです。少年も理恵子も特に目立つような生徒ではなかったし、特にスポーツや勉強で秀でているような意識もありませんでしたから、それは意外でもありました。
「先輩たちはわたしたちから見ても憧れのカップルなんですよ。みんな、先輩たちみたいになりたいって思っています。だって、ふたりともとっても素敵で優しくて、みんなからとっても好かれているんですよ。」
それは少年にはとても意外な言葉でした。少年もうらやむようなスポーツ万能の男子は中学の同級生にもたくさんいたし、少年は地味で泥臭い柔道部、それに、学業優秀な生徒会長タイプだって他にもいます。
女子だって理恵子のような可愛い子は他にもいたし、みんなが認める押しも押されぬ美形の美人だっていました。それなのになんで?という思いが少年にはありました。
「なんでって言われても、……なんていうか、先輩たちはとっても自然なんです。どっちも気負ってないし、変に作ってないっていうか、……わざとらしくないし、……だから、とっても素敵なんです。」
「ありがとう。なんか、恥ずかしいな。」
また、少年は恥ずかしそうに頭をかいてしまいます。
「先輩の彼女の留守を狙って先輩をお誘いしたみたいで、本当に申し訳ありませんでした。でも、今日は、わたしにとって、一番、素敵な思い出になりました。本当にありがとうございました。」
少女は心から嬉しそうに話しをしました。しかし、少年は自分の変態的嗜好で無意識の内に目の前の少女をチェックしていた事に、我ながら呆れて内心で苦笑してしまいました。
それは、そう、中村朋美の背中から透けて見えたそれでした。彼女のこの日の服装から察するに、それがスリップではなくキャミソールであることは明らかでした。
でも、大手全国的スーパーで取り扱っている一般的なスクールインナーとは違うのは明らかでした。大手スーパーのスクールインナーのキャミソールは、ポリウレタンでストレッチ性を高めた綿素材の丸編みのリブ編地で作ったものです。
でも、彼女が着ているキャミソールは、一般的なスリップと同じく光沢も美しく肌触りもしゅるしゅると気持ちの良いトリコット生地のように見えました。
光沢ではサテンのスリップには劣りますが、伸縮性もあるので着やすい素材です。何よりそのレース模様の美しさがエレガントで少年の心をつかんで離しません。
中村朋美のシャツから透けて見えたそれは、まさしくそれでした。少年は我ながら病的な偏執的観察眼が情けないやらで、さすがにこれは理恵子に言えないなと思いました。
「先輩? どうしました? 」
「あ……、いやいや、ごめん、ごめん。」
少年は少女の肩に見える4本のストラップに見とれていたことがばれたかのように、つい慌ててしまいました。
何はともあれ、少年は後輩に喜んでもらい、ひとしきり安堵のため息をついたのでした。
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