第33話 ラブレター

(これまでのあらすじ……)


愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めます。しかし、少年には少女には言えない淫らな性癖がありました。女性のランジェリーへのフェチ的な思いです。ある日、とうとう少年の悪い性癖が少女の前にさらされる時が来ましたが、少女の勇気ある行動でふたりはかえって強く結ばれます。次に、そのふたりの間を引き裂く出来事が起きてしまいますが、そこでもふたりは試練を乗り越えて自分達の強い絆を再確認し、少女はベルギーに旅立ちました。学校が始まり理恵子のいない寂しさを改めて実感する少年の前に1人の少女が現れます。少年はその少女のペースにすっかりかき乱されてしまいます。


**********


 いつもの月曜日の朝です。中学時代はいつまでもダラダラと朝寝坊をしていた少年も、中学3年のあの夏の出来事以来、親が不思議がるほどに規則正しく早起きして身だしなみを整えるようになりました。


 すべては理恵子と朝の挨拶を気持ちよく交わすためだけであり、高校生になってからは短い朝の通学時間を楽しく有意義に過ごすためでありました。それは、理恵子がベルギーに行ってからも変わりはありませんでした。


「おはよう、理恵子。行ってきます。」


 少年の毎朝のルーティンになっている、ひとことメッセージをラインで送ります。


「行ってらっしゃい。気をつけてね。」


 間もなく理恵子からのメッセージが届きます。


 そして、机の引き出しを開けると、家族に知られないように伏せて入れていた写真スタンドを立てるのです。


 そこに写っているのはもちろん理恵子の姿です。その理恵子の笑顔に向かって、少年はもう一度、つぶやくように声を掛けます。


「理恵子、行ってきます。大好きだよ。」


 そう言いながら、写真スタンドをしまうと、恥ずかしそうに照れた顔をして部屋を後にします。誰も聞いていないのに……。


 少年が駅に着く頃には、携帯のラインには理恵子からのメッセージがたくさん入っていることでしょう。理恵子はその日にあったことを、たくさん書いて少年に送ります。そして、電車に乗ると少年は理恵子とラインで会話を楽しむのが日課になっていました。


 そうです。今も少年は、こうして理恵子と一緒に通学しているのでした。


**********


 ところがこの日、駅で携帯のラインを開ける前に、ひとつ、出来事がありました。


「先輩、お久しぶりです。」


 いつものように登校で駅に来た少年の前に、ふいに中学時代の音楽部の2個下の後輩達が現れました。ひとりは少年と同じマンションに住んでいる子で、他にも3人、それぞれが新しく進学したのであろう真新しい高校の制服に身を包んでいました。


「ああ、おはよう、久しぶり。懐かしいなぁ。みんなも元気そうで変わらないね。……いや、みんな、なんか大人っぽく綺麗になったね。」


 その後輩女子は、中学の短い合唱団の部活期間で助っ人部員だった少年に、なぜかなついていて、少年もよく仲良く話をした後輩達でした。


「もぅ~、先輩は、いつもクチがうまいんだから。」


「いやぁ、ほんとだよ。ついこの前は、まだ可愛い子供みたいだったのに、みんなすごく綺麗になったよ。」


「へへっ♪」「ふふっ♪」


 少女たちは嬉しそうにキャピキャピと弾んでいます。見た目には大人でも、じゃれあっているその様子はやはりまだまだ可愛い少女でした。


 少年は懐かしさとともに、あの時は小学生に毛が生えた程度の子供だった後輩達が随分と背も伸び、胸も膨らんで大人になったのを驚きをもって見つめました。


(そういや、ぼくだってレミねぇに恋して仕方なかったのは、まだ中学1年だったよな。ましてや高校生ならもう大人だよね。)


 ひとり少年は苦笑しましたが、その後輩達はどうやら、たまたま少年を見つけて、懐かしさで声をかけてきたのではないようです。


 後輩たちのうちの一人、少年と同じマンションに住む背の高めの子が、別の子を肘でこづき何かを促しています。他の子達も、変な愛想笑いをしていて、少年にも何らかの魂胆があるのはありありと見て取れました。


「ん? どうかした? 」


 少年の催促に応えたわけではないでしょうが、先だってこづかれていた少女が、一歩、歩み出て、突然、少年の鼻先に何かを握った手を突き出しました。


「!!!!!」


 まさしく、『トラ! トラ! トラ! 』、少年はふいの奇襲攻撃に驚き、顔を若干、引き気味にしましたが、そこに差し出されたのは、1通の手紙でした。


「先輩! これ、読んでください! 」


「お、おう……。」


 顔を真っ赤にしながらも、そのあまりの剣幕と真剣な眼差しにに、少年はそう答えるのが精一杯でした。


(あ、あの子は確か、中3の時のバレンタインにチョコレートをくれた……中村、朋美……ちゃんだったよな。義理チョコじゃなく、真面目にぼくにチョコをくれたのは、理恵子以外じゃ、後にも先にも彼女だけだったし。)


 毎年の年中行事のひとつでもあるバレンタインデーは、大多数の少年にとっては憂鬱な日でもあります。しかし、少年にとっての中3のバレンタインデーは、生まれて初めて輝いた日となりました。それはこの子のおかげでした。


 例年の如く、もしやという若干の淡い期待も、下校時には落胆と諦観の思いが完全に支配的となり、帰宅するために生徒用玄関に向かいました。その時、自分の下足箱の中にそれを見つけたのです。


 これを爆発物などの危険物、または、毒ガスサリンなどの不審物と思う、ひねくれた中学生なぞ世の中にはおりません。いえ、仮にそれがまさしく危険物だったとしても、世の中の99%の男子は喜々としてそれを開封するでしょう。なぜなら、この日が聖バレンタインデーだからです。


 ですので、その時に少年が感じた嬉しさは、言葉に尽くせるものではありませんでした。


 しかし、既に時期としては受験モード真っ盛り、ましてや理恵子に対する恋心を日増しに募らせていた当時、少年には時間的にも心理的にも送り主の誠意に応える余裕はまったくと言って良いほどにありませんでした。


 そして、少年はその後輩少女に不義理をしたままで中学の卒業を迎え、そして、理恵子への告白と続き、薄情なことに、少年はその後輩少女のことをまったく忘れてしまっていました。


(異性に告白するなんて、すごく勇気のいることだよなぁ。)


 少年は、電車を待つホームで、中村朋美という後輩の少女のことを考えていました。制服からすると理恵子と同じ中央高校に進学したようです。ひょっとしたら理恵子も知っている後輩かもしれません。


 でも、相手が誰であれ、どんな少年少女であっても、誰かに恋し焦がれて小さな胸を痛めて、眠れぬ日々を過ごしているのでしょう。少年は自分がそうであったが故に、この後輩少女に対しても、同じように思いを巡らします。


(かわいそうなことをしちゃったな。ぼくに何がしてあげられるだろう……。)


 今、理恵子に会えない淋しさと辛さを思う時、少年にはその少女の辛さがよく分かるし、贖罪の意識が次第に募るのを押さえようがありませんでした。


**********


『足立先輩、勇気を出して言います。これはラブレターです。今時、みんなからは三葉虫の化石並みに古いと言われましたが、先輩の携帯もメルアドも知らないし、ましてや、先輩に直接に面と向かったら、緊張して何も言えません。


 先輩はおぼえてないかもしれませんが、わたしが上級生から叱られて泣いていた時、ずっと話しを聞いてくれて、慰めてくれました。わたしが楽譜を忘れて途方に暮れていた時、先輩が貸してくれて自分が忘れたとかばってくれました。先輩はドジばかりのわたしを、いつもいつも助けてくれました。


 先輩は、失敗ばかりのわたしに「辛いときの特効薬をあげるね」と言って、満面の笑みで、わたしのほっぺたを引き上げました。……痛かったです。……でも、先輩は笑いながら「薬を十錠飲むよりも、心から笑った方が効き目があるよ」と言ってくれました。あの時の先輩の笑顔と言葉は今でもおぼえています。


 わたしは、先輩が卒業してからも先輩のことが忘れられなくていました。でも、高校に進学して、駅で先輩を見かけて、改めて自分の気持ちに気づきました。だから、言わないで後悔するより、私の気持ちをちゃんと伝えたいと思いました。


 わたしは先輩のことが大好きです。


 でも、先輩には大切な彼女がいることも知っています。とても素敵な方ですし、わたしにはとうていかないません。だからこそ、だめなのは知ってて、先輩が好きだと伝えたかったんです。先輩のことを忘れられるか、今はまだ自信がありません。でも、私は先輩に思いを伝えないといけないと思いました。


 自分勝手でごめんなさい。でも、私は先輩に感謝しています。短かったけど、先輩と一緒にいたあの思い出のおかげで、私の中学時代の青春はとても幸せでした。


 先輩、もう一度、言わせてください。


 わたしは、足立慎一先輩が、慎一さんのことが大好きです。』


**********


 少年は手紙を読んで、今更ながらに驚きました。先輩に叱られて泣いていた子、楽譜を忘れていた子、ひとつひとつのことは、なんとなくおぼえていましたが、それが全部、同じ子だったとは、まったくうっかりしていました。


(それにしても、我ながら、随分と偉そうなことを言ったもんだ。あれは国語の教科書に載っていた『アンネの日記』の受け売りじゃん。国語の授業も聞かないで暇つぶしに読んでいたんじゃないか。恥ずかしいなぁ。よくも偉そうに言えたもんだ。)


(しかも、れっきとした女の子のほっぺたをつねって引き上げたなんて、子供扱いにもほどがある。相手によっちゃ、喧嘩に、いや、いじめや虐待で教育委員会やPTAで騒ぎになるよ。)


(でも、あの頃、レミねぇの結婚式で自分は一生分、泣き尽くした。だから、レミねぇに心配かけないためにも、もう泣かないと決めていたんだった。だから、泣いている後輩を見かけたら、我慢できなかったんだよな。)


 少年は帰宅してから、中学時代のアルバムを開いて見ました。自然の家での合宿、コンクールの県大会、地方大会、慎一が写っている色んなショットがあるなかで、およそ半分くらいには彼女の姿が紛れ込んでいました。


「いやぁ、全然、気づかなかったなぁ。」


 少年にとってはみんな可愛い後輩の女子でした。中学生といえば、ちょうど異性を意識し始めた思春期で、肉体的にも性的な特徴が著しく発達をするために、異性を過度に意識してしまうものでした。


 でも、少年は、早くに大人の女性への恋を経験したためか、歳の近い異性に対してはあまりそういうのがなく、平気で親しげに何でも話しができました。だからか、同級生の女子からもあまり異性とは意識されずに、まるで小学生のように女子の中で会話もできるし、女子からも緊張感を強いられない『安全無害』な男子と思われていました。


 それは後輩の女子にも同じで、同レベルで一緒にふざけあえる優しい先輩と思われていました。優しさを恋愛感情と錯覚するのは十代にはままあることです。まして、先輩からいつも守ってもらったなんて思い込んだら、そうなるのは当然です。


 しかし、少年の異性意識が希薄だからといって、少年はトランスジェンダー的な性同一性障害のようなものがあるわけでなく、当時でも、普通に勃起してオナニーもする健全な男子中学生です。確かにスリップという特定ランジェリーへのフェチ的な感情はありましたが、それがそのまま異性装・女装という行為に直結するものでもありませんでした。


 ただ、同級生や後輩の女子にも、平気で「今日もきれいだよ」「いつも可愛いね」「そういうとこ、好きだよ」というセリフを、面と向かって思ったままに素直に言える少年でしたから、結構、誤解された時もよくあります。


 少年の初恋が歳上の大人の女性だったことが原因のひとつかもしれませんが、とにかく、少年は子供でありながら、思春期の恥じらいが理解できないのでした。


 一方で、よく女子にありがちな中学生・高校生でも異性の前で平気で着替えたり、父親と平気で風呂に入るような意味でもないので、少年の場合は特異な発達障害にもあてはまりにくい状況でした。。


 恐らく、少年の思春期は中学生前半の歳上の女性への強烈な思いの中で、急速に激しく燃え尽きてしまったのかもしれません。


 しかし、少年はその手紙を読んで、そんなに自分のことを思ってくれる一人の女性に対して、少年の心からの誠意を表さねばならないと思ったのです。それがたとえ後輩であったとしても、もう高校生であれば、大人の女性として誠意を果たさねばならないと思ったのです。


**********


 翌朝、少年は中村朋美の姿を駅の人混みの中に見つけました。いつもの友人グループと一緒に居ましたから、見つけるのは容易でした。少年はさっそくにその少女に声をかけました。


「手紙、ありがとう。とっても嬉しかったよ。ゆっくり話しをして、お礼もしたいんだけど、今度の日曜日はあいてる? 」


 廻りの後輩女子たちは「うわぁ~!」と、やや騒然となりました。もちろん、中村朋美も顔を真っ赤にしながらも、感激に目を大きく見開いて喜びをあらわにしました。


「はい! 全然、朝から夜まで全部、完璧に空いてます! 何があっても全力で開けときます! いつでも準備万端です! 」


(お、……お、おう。)


 少女は、喜び……というより、何かの決闘にでも挑むような勢いで、真剣な眼差しで答えました。少年がタジタジとなるほどに……。

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