第32話 春の闖入者

(これまでのあらすじ……)


愛するおばさんとの辛い別れを経た少年は中学生活の中で思いを募らせた少女と同じ道を歩み始めます。しかし、少年には少女には言えない淫らな性癖がありました。女性のランジェリーへのフェチ的な思いです。ある日、とうとう少年の悪い性癖が少女の前にさらされる時が来ました。しかし、少女の勇気ある行動でふたりはより強く結ばれます。しかし、そのふたりの間を引き裂く出来事が起きてしまいますが、ふたりは改めてその試練を乗り越えて自分達の強い絆を再確認し、少女はベルギーに旅立ちました。少女のいない春休みを過ごす少年でしたが、少女からの愛情溢れる手紙に、少年は離れているからこその強い心のつながりと幸福感を味わうのでした。そして、少女もまた遠くはなれた少年への思いに焦がれるのでした。


**********


 理恵子がいなくなって始まった高校3年の新学期、少年はいつも少女と待ち合わせた駅をひとりさびしく歩き、電車へと乗り込んでいきます。


(春の柔らかい暖かな陽気……、新しい年度の始まり……、そんなナレーションでも聞こえてきそうだ。なんだか、ぼくだけが1人で沈み込んでるみたいだなぁ……。)


 少年の目には、春のうららかな陽気が、皮肉な活気に満ち溢れているように見えたのでした。


 春休みの間はなんとなく過ごすことができましたし、次々に届く少女の手紙が物理的な距離を超越した強い繋がりを感じさせてもくれました。


(やっぱり、いざ新学期が始まってみると、毎日のように理恵子と会って一緒に歩いていた1ヶ月前とはまるで違うよな。……知らない外国に行って、理恵子はこんな寂しい心細い思いをしてたんだろうか。)


 今更ながらに、少年はとても淋しい思いが強くなるのを感じました。少年は、前に少女からもらったキーホルダーをギュッと握りしめ、無言で電車の窓の外に広がる景色を眺めていました。


 これから1年間、こんな風景が続くのを自分に強く言い聞かせるかのように、少年は無表情な目で外に視線を投げつけていました。


**********


 そんな毎日が1ヶ月も続いた5月のある日、少年は駅前の自転車駐輪所でひどく焦っていました。少女からもらったキーホルダーを付けていた自転車の鍵をなくしてしまったのです。


 仕方なく朝は学校まで徒歩で行き、放課後、駅前の自転車屋に自転車を持ち込みに行きました。後輪がロックになったまま持ち上げつつ、前輪だけを転がして、バランスを取りながら自転車を引いて行きました。


(まるで、自転車泥棒みたいじゃないかよ。みっともないな……。)


 少年は自嘲しつつ、ついつい人目が気になってしまいます。


(でも、自転車の鍵なんてどうでもいい。理恵子からもらったお守りのキーホルダー、あれだけは失くせない。こまったなぁ……。家にあれば良いんだけど……。)


 自宅に忘れただけならいいけど、どこでなくしたか、少年にもはっきり思い出せずに、心の中でもやもやしていました。


 折しも、狭い道路に対面でセーラー服姿の女子高生の一団が団体さんで通り過ぎていきます。それは、その先にある私立の女子高から駅へと向かう生徒達の流れでした。


 不思議なことに女子高生の視線が、全部、自分に集まっているかのような、そして、クスクスと笑われているかのような、そんな被害妄想が少年の胸の裡に広がります。


(……ったく、いいさらしモンだよ。)


 まるで自転車泥棒みたいで恥ずかしく情けない気持ちになり、少年の気持ちはますます落ち込んでしまいました。


 そんな時です。対面の女子高生の一団からひとりの少女が出てきて、少年に近づいてきました。


「足立慎一くん……ですよね? 」


 見知らぬ女性から突然の声掛けを受けて、驚きつつ、いぶかしい思いも沸き上がります。


(はて、誰だっけか? )


 少年はちょっと戸惑うように困った顔をしていたのが相手にも伝わったようで、相手は少し、いえ、かなり残念な表情を見せました。でも、今更引き返せないでしょうし、その少女は丁寧に説明をしてくれました。


「中学3年の時に少年自然の家でやった合唱の夏合同合宿で、足立くんに声をかけて写真を一緒にとってもらったのを覚えていませんか? わたし、南中学の土屋朱美と言います。」


(あれ? あぁ、そんなこともあったっけ……あぁ、そういやそうだ。)


 少年の顔が戸惑った顔から、相手の少女にもそれと分かるような思い出した顔になりました。


 確か、柔道の部活も終わり、暇にしていた少年が、音楽部顧問から一本釣りの勧誘をされ、コンクール用に駆り出された他の男子生徒とともに混声合唱団に入った時のことでした。


 夏休みに山岳ロッジのある少年自然の家で、地元で有名な高校教師を講師として、近隣中学が集まってコンクール課題曲の合同合宿をしました。その時のことをようやく少年は思いだしました。


「ひどいなぁ、手紙をくれる約束をしたのに。私の手紙は届いたでしょ。」


 少年は非常にバツの悪い顔になりました。手紙をもらったのも思い出しましたし、返事を書かなきゃと思いつつ、そのままになってしまっていたことも思いだしました。


 そんな前のツケが今頃来るとは、しかもロックした自転車を引いている情けない状況のタイミングとは、泣きっ面に蜂とはこういうことかと、我ながら自分の間の悪さに呆れてしまいます。


「ごめんごめん、今はメールばっかりに慣れてるもんだから。だから、ぼくも手紙なんて書いたことなくて、慣れてなくて。……書こう書こうと思っていながら、ついついそのままになって書きそびれてしまって、本当にごめんなさい。」


 半分がっかりしつつも、思い出してくれて安堵した様子を見せた少女でした。でも、彼女は言いたいことはしっかりと言うタイプのようです。


「わたしだって、手紙の書き方を調べて苦労して書いたのに……、返事がなくて寂しかったんですよ。なんか怒らせるようなことを書いちゃったかなぁて、すごく心配だったんです。それに……、メールとかのスマホの文字じゃなく、足立くんの手で書いた文字で読みたかったんです。」


(あれれ、理恵子みたいなこと言うなぁ。)


 少年は彼女の言葉に、ちょっとドキッとしました。


 よくよく見ると、彼女はストレートのロングヘアで、後ろ手にポニーテールのように束ねている感じが活発そうな印象を与える、そんな髪型をしているメガネ女子で、やや釣り目がちですが、瞳は大きく、なかなかの美少女でした。


 少年の受けたイメージ的には、メガネの存在が大きく左右しているかもしれませんが、読書が好きな文学少女っぽい印象に見えました。


 制服は上下濃紺のセーラー服で、襟と袖に白の二本線、更に、スカーフは珍しい漆黒のスカーフという、オーソドックスな中にもシックなイメージの制服でした。


 私立の女子校だけに学校側の生活指導がよほどに厳しいのか、通りすぎている一団を見回しても、スカート丈は一様に膝小僧が見えない程度の膝丈で、セーラー服を着崩したりしている子もなく、ウエストを詰めたり丈直ししたりする勝手な改造制服も見えません。


 不思議に貞淑で古風なイメージのある制服でした。


「これ、わたしの住所です。」


 そう言って少年に差し出したオリジナルの名刺には、可愛い女子キャラの図柄に、名前と住所・携帯電話・メルアドが記載されていました。


「今からでいいですから、今度は絶対に返事をくださいね。嫌ですか? 」


 その少女は有無を言わさぬようなテキパキした物言いで、しかも、そんな言葉とは裏腹に、抗いようのないこぼれる程の笑顔で、小首を傾げてにっこりとほほ笑みました。


 そんな笑顔に対しては、さすがに「嫌だ」なんて言えようもありません。ましてや負い目のある少年は彼女にアドバンテージを取られっぱなしです。


「あ……、い……、いや、……そ、そんなことはないよ。前にぼくが失礼しちゃったんだし、……2年半遅れになるけど、ちゃんと出すよ。」


 つい相手の気勢に押されるような体で、少年は返事を約束させられてしまいました。


「ありがとうございます。嬉しい。」


 そう言って、少女は胸の前で両手を合わせて本当に嬉しそうに喜びました。


 その後、少女の主導で、少女の携帯に着信履歴を付けさせられ、更に少女のアドレスに空メールも送らさせられて、少年が唖然とする間に少女のテキパキした対応で、少年の携帯番号とメルアドも全部がちゃっかりと少女の携帯電話に登録されたのでした。


(おぉ~! な、なんという! まるで、おいはぎに身ぐるみはがされたような……。すばやい……。)


「じゃあ、これで、ラインもメッセージも、どっちも自由に使える筈だから。」


 少女はこぼれるような満面の笑みで、少年に携帯を返しました。


 その対処の見事さについても、少年はついつい要領の良い理恵子の手際の良さに似たものを感じてしまいました。


**********


 自宅に帰り、部屋の机をひっくり返して探しまくった少年は、ひとつの引き出しの奥の奥に、2年前に彼女から届いた手紙をようやく見つけました。


 ベッドにごろんと横になった少年は、改めてその手紙を読み返しました。その手紙には、合宿での女子達の話しに始まり、好きなアイドルは誰とか、最近見た映画がどうとか、コンクールに向けての練習とか、とりとめのない話しが綿々と綴られていました。


(へぇ……、アナログな文学系メガネ女子かと思ったら、普通に女子高生してるよね。……いや、当時だからJCやってるってか。)


 その当時、女子率の高い合唱活動の中での男子の存在は非常に貴重でもあり、更には多くの中学が集まるような合宿で寝食を共にするという珍しい機会でもあり、結構な確率で他校間でのカップルが誕生したり、女子からのモーションをかけられたり、ということがあったようです。


 少年も中学ではどこにでもいるありふれた男子中学生であり、中学でも特にもてた記憶はさっぱりありませんでした。でも、希少価値なるがゆえにか、その合宿の時には、土屋朱美という女子生徒から一緒に並んでのツーショット撮影と住所交換を頼まれたのでした。


 しかし、その時は少年の同じ中学の男子グループの中に、バスケ部から助っ人に駆り出された高身長の男子がダントツの一番人気で、他校女子からのアプローチもすごく、みんながうらやむ中で、少年も『その他大勢』の中に埋没していました。


 その後、卒業前のバレンタインに後輩の1年生からチョコレートをもらったりもしましたが、当時は受験勉強と理恵子に対する思いが強く、後輩女子からのアプローチも、他校メガネ女子への手紙の件も、そんな環境の中で少年の頭の中からは完全に払拭され忘れ去られていました。


(こいつはうっかりだったなぁ。でも、約束しておきながら返事もしなかったぼくが、間違いなく悪いよなぁ。)


 少年は別の女子と話しをしただけのことに過ぎませんでしたが、なぜか不思議な罪悪感にとらわれてしまいました。そして、その夜、少年は理恵子の制服を抱きしめることができませんでしたし、理恵子のスリップに頬擦りすることもありませんでした。


 それに、理恵子からもらったキーホルダーも、結局、まだ見つかりません。


**********


 少年はベッドの上にゴロンと横になりました。そんなときでした。


(ピポッ!)


 少年の脇、ベッドに放り投げられた携帯が、何かを受信して画面が明るくなりました。


《足立くん、今日はありがとうございます。お手紙、待っています。よろしくね。》


 最後に可愛らしいキャラクターのスタンプ付きです。もちろん、それは土屋朱美からのラインメッセージでした。


(げっ!……さっそく!)


 少年は、理恵子の不在の時に別の女の子と会っただけでも後ろめたいのに、本意ならずともライン交換までしてしまったことに忸怩たる思いにかられてしまいます。


(浮気じゃない……別に、浮気じゃないよ、これは……そ、そう、不可抗力ってやつだよ。)


 少年は、たまらず頭から布団を被ってしまいました。


(浮気したくなったら、私のスリップでオナニーするんだよ。)


 そう言った理恵子の声が、どこまでも耳に付いて離れません。


「ごめん、理恵子……そういうんじゃないから。……ほんと、ごめん。」


 誰に言うでもなく、ベッドの中でそう言わずにはおれない少年でした。


 そして、少年は布団を頭までかぶったまま、無理くり眠りにつこうとしました。でも、今夜はなかなか寝付けそうにありませんでした。

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