第19話 恋慕の情(改)

(これまでのあらすじ……)


愛し合う者同士が結ばれない不条理を噛み締めながら、少年は愛するおばさんとの思い出を胸に、大人の階段へ一歩を踏み出します。その少年の前にふとしたきっかけから気になってしまった女子生徒が現れます。そのきっかけはやはりスリップでした。やがて、少年は誰もいない教室で、少女のスポーツバッグを開けて覗くという行為に走ってしまいます。初めて触れた制服のプリーツスカート、そして、同級生のスリップ。少年はその女子生徒への関心の高まりを押さえられなくなりつつありました。そんな時、少年は思いがけぬ体調不良に見舞われ、放課後の教室で倒れてしまいました。唯一その場にいたその少女が見事な機転で少年の介抱に走ります。その姿に少年はいよいよ少女への思いを募らせていくのでした。


**********


 とんだアクシデントで時間を食ってしまい、夏とはいえ、外はもう薄暗くなり始めていました。


 ふたりは校舎の裏側、今はもう使われなくなった勝手口のような裏口から出て学校を後にしました。通用口や正面玄関は既にしまっていましたし、かと言って部活の顧問の先生を探して下手に勘ぐられたり騒がれたり、ましてや怒られるのも面倒です。


「鍵も掛けられないけど、仕方ないよね。」


 少女はいたずらな笑顔で少年に話しかけました。


「学校に入る泥棒なんていないよ。掃除当番とか見廻りの先生が、ちょっと注意されて終わりだろ。」


 少年はそう言って、悪いとは思いながら、鍵も掛けられないままに勝手に出てきてしまいました。


 それがまた、ふたりで悪いことでもしたような、不思議なスリルを味わうことになり、少年は少女とのふたりだけの秘密の共有による、変わった幸福感を感じたのでした。


「遅くなったから、理恵子の家まで、ぼくが送っていくよ。確か相生町のマンションだったよね。」


「…え!わたしんち、知ってたっけ?」


 少女は驚きました。なぜ、少年が自分の家を知っているのか?少女の通っていた小学校と少年の小学校は違うことも少女は知っています。それを知っているだけに余計に驚いたのです。


(あっ!…しまった!)


「え?…あ、あの、裕司と一緒にチャリで来て、…いやいや、そうじゃなくて、柔道の練習試合に隣街の中学校に自転車で行った時に、…だから、裕司も一緒で、…たまたま偶然に理恵子を見かけて、…でも裕司は見てなくて、ホントにぼくだけ、…たまたま、ホントに偶然に、…理恵子…を…見かけ…た…から。」


 慎一は真っ赤になって、慌てて、不自然なほど饒舌になって、少女の家を知っているわけを、頑張って話しました…が、頑張りが不自然に空回り…ボロボロです。また、熱中症がぶり返したのではないかと自分で思うような感じでした。


(慎一くん、わたしを見かけて、ずっと、おぼえていてくれたんだ…。)


 少女は、自分に関心を持って見てくれていたことに、胸が少しドキドキするのを感じました。


 でも、少年はしどろもどろ、同級生の女子をストーキングしている変態かと思われやしないかと、焦りまくってヒヤヒヤです。


(なんだか、慎一くん、…かわいい。)


 少女は、そろそろ少年に助け船を出すべく、話題を進めます。


「でも、わたしんち、慎一くんの家と反対方向じゃない?」


 この少女の問いかけで、ようやく少年は気持を取り戻すことができました。少年は、人として助けをうけた事への当然の感謝の思いを、紳士的に行動で示したかったのです。


「いや、今日くらい、ぼくに送らせてよ。……迷惑……かな?」


 少女は頬を赤らめて嬉しそうに答えます。


「ううん、……ありがとう。」


 そんなこんなで、少年の自宅とは正反対ながら、少年は少女の自宅前まで少女を送って行くことになりました。


 帰りの道々、少年は少女の意外な利発さと聡明さに改めて感嘆しました。


 あの的確な応急措置でもそれは見事に発揮され、自分のステンレスのミニボトルを急場の氷のう代わりとしたり、スカートをたたんで応急の枕としたり、そのすべてに少年は驚倒し圧倒されました。


「なに言ってんの、普通だよ。」


「いや、普通のことが、慌てるとできなくなっちゃうんだよ。理恵子はすごいよ。」


「そっかなぁ……結構、慌てたんだよ。目の前で慎一くんは倒れるし、助けを呼びたくてもどの教室にも誰もいないし、とにかく、冷やさなきゃ、て洗面所に行って、ひとりでパニクってたんだよ。」


 少女はかえって恥ずかしそうにしていましたが、どんなに冷静ですましていても、突発的なトラブルで人の性根は出てしまうものです。


 この少女は常に無邪気にはしゃいでいるようで、腹の据わり具合はかなりのものです。少年には到底彼女にはかなわないと感じました。


「でも、誰もいなくて、良かった。理恵子と二人っきりで。」


「うん、……え?」


 少女がちょっと意味を解しかねるように小首をかしげました。


 軽く言ったつもりの少年でしたが、自分の言葉が別の意味にも取れることに気付き、やや慌て気味に説明をしました。


「え?……あ、ああ、いや、その、そういうわけじゃなくて、……なんだ、その、……誰にも知られないで、変に騒ぎにならないで良かったって……。」


 その少年のかすかな狼狽に、少女はクスリと微笑みました。しかし、それに返された少女の返事もまた微妙なものでした。


「わたしも、慎一くんを介抱できて、嬉しかったよ。」


(な、なんだ、それ。……いったい、どういう意味だよ。どう、受け止めてたら良いんだ~!)


 少年の心は、一時的ながらも千地に乱れ、計らずも少女の蠱惑的な魅力に引き込まれていくのでした。


**********


 そんなこんなではありましたが、少年が改めて少女のことを思う時、その現場での臨機応変の対処能力だけでなく、的確な状況判断能力にも少年は舌を巻きました。


 少年に意識があり、熱中症でも初期の軽度な症状であると判断し、少年の気持ちをおもんばかって騒ぎをおおごとにしなかった配慮までしてくれたのです。


 少女は、他に誰もいなかったからだよ、と言うでしょうが、そうではありません。少年の状況が見るからに重度の危険性が認められれば、恥も外聞もなく大声を張り上げて助けを呼んでくれたことは想像に固くないし、もちろん、携帯からすぐに救急車を呼ぶくらいはやってのけたでしょう。


(可愛いくて、明るくて、素直な良い子だとは思っていたけど……こんな、すごい人だったんだね。かなわないなぁ。)


 少女は、クラスでも成績は中の上くらいですが、少年は改めて、勉強ができることと、頭が良い、賢いということは違うんだなということがよく分かりました。


 いつものクラスでの無邪気な表情とはまったく違う一面を垣間見てしまった少年は、急速に少女への感情の傾倒を強めていきました。


(レミねぇみたい……いや、レミねぇ以上に素敵な人が、こんな近くにいたなんて……。)


 麗美おばさんも、普段はおっちょこちょいかと思うほどに無邪気で可愛い人でしたが、本当はすごいしっかりした聡明な女性であることを少年はよく知っています。


 しかし、目の前の少女は、早生まれで、まだ15歳の誕生日を迎えてもいないのに、冷静な判断力と的確な対処能力に優れていることが分かり、少年はこの少女に急速に惹かれてしまいました。


 少女との帰り道、少年はこの時間が無限に続くことを願いました。


 クラスでは気軽に挨拶をしたり、ツッコミを入れる程度の会話がほとんどで、こんなに長い時間を一緒に共有してゆっくりと話し合うのは初めてでした。しかも、同級生の女子とこんなにも楽しく気さくに話しあえるとは少年も思ってもいませんでした。


今日の出来事だけでなく、学校の友達の話し、先生の話し、授業の話しなど、共通の話題には事欠かないにしても、その印象や感じ方などが意外に共感できる点が多いのにも驚きました。これが話が合うということなのでしょうか。


 それに、少女と並んで歩いて話しているだけで、少年は不思議にウキウキと心が浮き立ちます。


**********


 しかし、時の流れは誰にも平等にはたらき、楽しい時間ほど経過は早く感じるものです。少女のマンションの前に到着すると、少年は改めて姿勢を正しました。そして、改めて少女にお礼を言いました。


「理恵子……いや、三枝さん、今日はありがとうございました。お陰で本当に助かりました。」


 少年は帰り道でも使っていた日頃の親しげな呼び捨て口調とタメ口を改めて、少女に向かい姿勢を正し、角度45度弱の丁寧なお辞儀をしました。


「やだなぁ、改まって。恥ずかしいからやめてよ。人が見てるよ。」


 少女は照れたように笑いました。


「それと、三枝さんの制服を汚してごめんなさい。スカート、預からせてください。綺麗にクリーニングをして返します。」


 少年は真面目な顔でお願いしました。


「いいよ、そんなの。スカートなんて汚れるもんだよ。」


 少女は笑って少年の前で手を振りました。


「ダメです。ぼくの気が済まないから、それだけでもお願いします。」


 再び少年は少女に頭を下げました。今度は90度に近い最敬礼です。ちょうどマンションから出てきた顔見知りらしい近所の人が、怪訝そうな顔をして、ふたりに視線を送りました。それで、とうとう少女も根負けしてしまいました。


「わかった、わかったから、お願いだから頭を上げてよ。もお、恥ずかしいなぁ。」


 少女はもはや苦笑いを通り越して、慌てたような困った顔で、逆に少年にお願いしました。


(慎一くんの汗なら、わたしは別に構わないんだけどな……。)


「え? ……なに? 」


 少年は何か怪訝そうに少女の顔をまじまじと見ていました。


「な、なんでもないよ。」


 つい慌てたようになった少女が、サブバッグから制服のスカートを取り出しました。その時でした、慌てたあまりに、少女がスカートの下にたたんでいたものまでが、勢いでバッグから飛び出してしまいました。


「あっ! なんか落ちたよ。」


 拾い上げた少年は思わず目の前でそれを広げてしまいました。すかさず、反射的に繰り出された少女の平手が、少年の頬へ問答無用にクリーンヒットします。


(パチ~ン! )


 そして、少年が広げたものをひったくるようにつかむと、少年の胸に自分のスカートを押し当てたのでした。


「こ、これ! ……急がなくていいから。」


 少女は、顔を真っ赤にしたまま少年に背を向けて、マンションの入り口のガラス戸を押し開けて中に入っていきました。少年は呆然と立ちつくし、平手打ちされた頬を撫でながら唖然として少女を見送りました。


(あれ……スリップだった……よな……、確か……。)


 マンションのエントランスに入った少女は、真っ赤な顔のまま少し振り返り、斜め顔で恥ずかしそうに少年を一瞥すると、ニッコリ笑って中に消えていきました。


(あちゃ~。まずったかな? )


**********


 室内では、今時には珍しいアナログな置時計が、カチカチと静かに秒針が時を刻んでいます。誰もいないかと思われるほどに静かな部屋の中ではありましたが、そこには確かに少年がいました。


 帰宅すると、少年は、夕食もそこそこに、机の上に少女のスカートを置いて腕組みして考え込みました。そして、今日1日の出来事を振り返りました。


「ふぅ~。」


 少年は大きく吐息をつきました。


(どうしたんだろう? 最近、理恵子のことばかり気になっている。今日も大変な目にあった筈なのに、理恵子と一緒にいる時間がとっても楽しかった。……こんなに楽しくて幸せな気分になれたのは、レミねぇと一緒にいた時、以来……だよな。)


 再び、少年は考えこんでしまいました。少年は目の前のスカートをじっと見つめています。


 スカートのどこが前かどこが後ろか、少年にはよく分かりません。しかし、スカートのプリーツは綺麗に規則的な美しい配列を描き、理恵子が言ったような汚れているもののようには見えません。


 スカートのファスナーを開けると、ちょうどポケットの辺りに『三枝理恵子』のネーム刺繍が、紺地に鮮やかなオレンジ色の糸で縫い付けられていました。


 それを見た時、体操着に刺繍してあった少女のネームと胸の膨らみを思い出し、更には、自分に接近する少女の唇をも思い出し、思わずドキッとしてしまいました。


 改めてスカートを見ると、ファスナーの位置から、前部分とお尻部分が分かりました。椅子に座るお尻部分は、テカるほどではありませんが、よく見るとわずかに生地がへたっているようにも見えました。


 確かなのは、そのウエストベルト部分は、間違いなく理恵子のお腹に、彼女のウエストに密着しており、お尻部分は、間違いなく理恵子のお尻に密着していることです。


 少年は、顔を真っ赤にしながらも、つい妄想をしてしまいます。いつもの教室の風景の中にいる様々な理恵子の姿をひとつひとつ思い出していきます。


 始めは理恵子の笑顔を思い出しつつ、次第に頭の中にスカートの映像が大きくなってきました。その翻る濃紺の中に白くチラチラ見えるものがあります。


 その瞬間、ついさっき目の前で見てしまった純白のスリップの映像が頭の中に飛び込んできました。そして、間髪を入れず繰り出された頬の衝撃……少年は頬をぶたれたのに、なぜか少女のその反応に微笑ましく可愛い印象を受けました。


(どうしてかな? 理恵子といた時はあんなに楽しくて幸せな時間だったのに、今、理恵子のことを思い出すと、なんだか胸が切なくて、なんか変な気持ち……。)


(胸が締めつけられるとか、胸が苦しいとか、女子達がよく言うよな。……そういえば、レミねぇが結婚する時も、こんな気持ちになったような……。)


 少年は再び考えこんでしまいました。


(……やっぱり、ぼくは理恵子のことが好きになっているのかな? )


 そして、少年は目の前のスカートを抱きしめました。


 少女にスカートを預かることを申し出た時、少年は純粋に少女の制服を汚したことを反省し、心からの謝罪に嘘偽りはありませんでした。しかし、今こうして理恵子のスカートを手にした時、少年はその思いを抑えることはもはや出来ませんでした。


(あぁぁ……理恵子の香りがする……理恵子の良い匂いがする……あぁぁぁ……。)


 不思議なことに、そのスカートを抱きしめて、その香りに包まれていると、胸の不思議な圧迫感が緩和されるような気持ちになります。


 結局、その夜、少年はそのスカートを抱きしめたまま、理恵子の香りに包まれて、幸せに眠ったのでした。

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