第3話 楽しいひととき

(これまでのあらすじ……)


 小学6年生のある日、大好きなおばさんのマンションに行った少年は、そこでおばさんの不思議な姿を覗き見してしまいました。その時、少年はその意味も分からず、不思議な興奮と恐怖を感じて、おばさんの部屋から逃げ出してしまいました。


**********


 衝撃的なおばさんの姿をはからずも目撃してしまったあと、少年はすぐ近くの自宅に戻り、トイレに駆け込みました。


 でも、あんなにオシッコをしたかった筈なのに、いざ、トイレに入ると不思議なことにオシッコは一滴も出ません。あれほどあった尿意もまったくなくなりました。それに、あの不思議な感じは……?


 あれはなんだったんだろう?自分はなんか変な病気にでもかかったのだろうか?そんな漠然とした言い知れぬ不安感が胸の中に広がるのを感じつつ、雨で濡れた衣服を脱いで少年はシャワーを浴びました。


 そして、上から下まで服の着替えを終わってひと心地ついた頃、ふいにリビングの電話が鳴り出しました。


(RRRRRRRR……。)


 それはおばさんからの電話でした。


「やっぱり、しんちゃん、おうちに帰ってたのね。良かった。……ひどい雨だからね、濡れちゃった? 」


 それは、幻想的で不思議に妖しい美しさを醸しだしていた先程のおばさんとはまるで違い、いつもの明るく優しいおばさんの声でした。少年にとっての、いつもの大好きなおばさんの声です。


 もう、魔法使いのお婆さんや人食い鬼婆を信じる歳ではありませんが、それほどに少年は先刻見た姿とのギャップを感じてしまっていました。


「うん、……びしょびしょだったから。さっき、シャワー浴びたし、もう、大丈夫だよ。」


 少年はつとめて平静を装って返事をしました。なんとなく、たった今、おばさんのマンションに行ったことは言わない方が良いように思ったので、それは黙っていました。


「なんだよ~、お姉ちゃんの部屋のシャワーも使ってくれていいのにぃ~。あったか~いココアも飲ませてあげたのにぃ~!……あれ? でも、しんちゃんの着替えはないか?」


 いつもの明るいおばさんのノリに、少年はさっきまでの不思議な疑問が氷解して救われた気持ちになりました。おばさんも、まさかに少年がついさっき来ていたとは予想もしていない感じでした。


「っだよ。……ぼくに素っ裸でいろってか。」


 いつものおばさんの明るい声に、たちまち、少年も快活さを取り戻していました。


「あぁ!しんちゃんの裸も可愛いなぁ!見てみたい~!」


 そのおばさんの軽口は、ちょっと少年をドキッとさせました。少年はちょっと緊張しながらも、それが故に、おばさんに言葉をつい返してしまいました。


「何言ってんだよ、何回も一緒にお風呂に入ってるじゃないかよ。」


「違うよ~、最近はちっとも一緒に入ってくれないじゃないの~!シャワーだけ浴びてさっさと一人でゲームしてさ!」


 実際、少年が4年生になった頃からは、少年にも恥ずかしさが出たのか、シャワーだけ浴びてすぐに風呂から出ていたもので、もう2年くらいは一緒にお風呂に入ることもなくなっていましたが……。ある意味、思春期の少年としては正常な成長過程でもあります。


「お姉ちゃんが長風呂過ぎんだよ、ぼく、湯立っちゃうよ!」


 いつものような甥っ子との掛け合いで、おばさんもエンジンが暖まってきたようです。返事の勢いも乗りに乗ってきたようです。


「いいの、あたしのジャージでもパジャマでもいいから、しんちゃんにいつでも着せてあげるから。……そうそう、風邪ひかないように、ちゃんと頭も乾かすんだよ。……あ、とにかく・とにかく・とにかく、……いま、あたし、ご飯つくってるから、しんちゃんの分も。だから、着替えたら速攻で来いよ~! 」


 相変わらず最後は一方的にまくしたてるおばさんでした。一瞬、おばさんのパジャマなら、良い匂いがして気持ち良さそうかな?とも思った少年でしたが、自分に対する深い愛情のようなものは、少年にもしっかり感じられて、嬉しくなりました。


「うん、分かった。雨も弱くなったみたいだし、もう少ししたら行くよ。」


 少年は、日中のウキウキした気持ちを取り戻し、すぐにでもおばさんのマンションに飛んで行きたいような気持ちになりました。それはおばさんも同じだったようです。


「しんちゃんがいないと、お姉ちゃん、寂しくてうるうるなっちゃうよ~。病気しちゃう前に、早く来てね~。」


 そんな冗談を言いながらも、おばさんが風邪をひいてる様子もなく、至極、元気なのが声の様子でも分かって、少年はとても安心しました。


「わかったよ、すぐに行ってあげるから、ぼくが行くまで、おとなしく待っててね。」


 少年は、おばさんとの電話を終えると、つい先刻の嫌な気持ちも払拭されて、いそいそと出かける準備を始めました。


(今日は学校の宿題なんかないから、何も要らないよな……だけど、ご飯を食べさせてもらうんだから、歯磨きとタオルは持っていかないと……。)


 少年は、洗面所から歯磨きを持ってきましたが……。


(……あ、そうか、明日は休みだし、泊まりになるかもしれないから、パジャマも要るかな?……まぁ、どっちでも良いように、下に体操着でも着てけばいいや。)


 少年はタンスの中から、体操着を取りに戻り、一旦、服を脱いで下に体操着を着込みました。大概、こんな週末の夜は、おばさんの部屋にお泊りになる場合が多いものです。少年はそれを思うと、不思議に気持ちがウキウキしてしまうのです。


 なぜか不思議とおばさんの部屋に行きにくいような気持になってしまいましたが、いざ、おばさんとちょっと話してみれば、いつものように、またウキウキして行きたくなってしまいました。少年もそれが当たり前のように感じて、さっきまでの気持なんかは、まるで、最初からなかったように、すぐ気持ちが自然にいつも通りに戻っていました。


**********


(ピッ……。)


 まだ薄暗いリビングの部屋の中、ソファーに座ったままの神部麗美は、携帯電話の通話を終えました。


 たった今まで、甥っ子と楽しそうにはしゃいで話していたばかりの麗美でしたが、電話を終えた途端、まるで別人のように、薄暗い部屋の中で静かに佇んでいました。


 既に通話の終わった携帯を握りしめたままの彼女は、料理を始めるでもなく、宙に視線を向けて、なぜか表情を固くしたまま、何か心配事でもあるかのように、まるでソファーに根が張ったごとく動かずにいたのでした。


 すると、ふいに視線を膝の上に落とした彼女は、表情を硬くしたまま、少し頬を赤らめます。…まるで、何かに恥じるかのように。


 勢いが衰え、稲光もなくなったとはいえ、外はいまだ雨がしのついていました。


**********


 しばらくの後、少年の姿はおばさんのマンションの中にありました。雨も小降りになり、先程とはうってかわって静かな夕方になっていました。


 その日は、慎一の両親ともに仕事が長引き、帰宅がかなり遅くなると、少年の母親からおばさんの家に電話がありました。


「…ううん、そんなことないよ。……うん、うん、……大丈夫、明日、しんちゃんを送っていくから。……うん、安心して。……うん、じゃあ、お姉ちゃん、そういうことでね。うん、バイバイ。」


 次の日は学校が休みということもあり、おばさんは少年を自分のところに泊まらせることで一方的に決めてしまいました。そんな流れで、結局、少年はおばさんの部屋にお泊まりということになります。


(ピッ……。)


 携帯電話の通話を終了したおばさんは、クルッと少年に振り向くと。笑顔で誇らしげに右手でVサインを突き出しました。


「お姉ちゃんも良いって言ったし、今夜はしんちゃんと遊ぶぞ~! 」


 おばさんが言うところの『お姉ちゃん』というのは、もちろん、少年にとっての母親のことです。母親からの許しをもらった少年も立ち上がってガッツポーズで応えます。


「やったぁ! 」


 少年は、僅か数時間前のおばさんの不思議な様子のことも完全に忘れて、大喜びではしゃぎました。そんな少年の様子を見て、おばさんもいつも以上にテンションを上げて嬉しそうにしていました。


「よ~し!じゃあ、まずはいっぱい食べるぞ~!しんちゃん、テーブル拭いて~!今からどんどん、持ってくるからね~!」


 おばさんも余程に嬉しいのか、明るい声で少年に声をかけます。


「は~い!」


 少年も、まるで修学旅行か遠足の食事のように、嬉しそうに食事の準備のお手伝いを始めます。


 その日、少年はおばさんが作ってくれたハンバーグとオムレツを食べ、デザートにおばさんお手製のガトーショコラのケーキをいただきながら、おばさんとたくさんゲームをして、楽しく夜を過ごすのです。


**********


「しんちゃん、楽しい?」


 テレビゲームをしながら、おばさんは、優しい視線を投げかけて、微笑みながら可愛い甥っ子に尋ねます。


「うん、今日こそはこの面をクリア出来そうだから、最高だよ。お姉ちゃん、見てて、お姉ちゃんに、僕がエンディングを見せてあげるからね。」


 少年は、画面を食い入るように見つめながら、ゲームに夢中になっています。


 その無邪気に楽しむ少年の可愛い横顔を見ながら、彼女はなぜか、ホッとしたような安堵の表情を見せていたのでした。

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