第7話〜流転〜

 私は今、屋敷の周辺に位置する森の最奥地に居る。


 普段手にする木剣ではなく父上が私用に、とテラさんに打たせて造られた日本刀に酷似した真剣を手に、独りで100キロ程離れた屋敷に夕食までには帰ってくる、という制限時間付きの鍛錬…いや、ここまで来たら修行か。


「屋敷からここに連れて来られたのが確か…9時くらいか、…18時には皆で夕食を食べているから何の障害も無ければギリギリ帰れそうだな」


 単純な平地であれば帰るのは途中休憩を挟むのを想定した上で5時間程掛かるが出来ない事は無い、だが場所は入り組んだ森だ。野生動物や底無し沼等の障害は寧ろ当たり前のものとして考えるべきだろう。


「…考えるより動くか…」


 方角的には東側からこの地に降り立ち、そして私に刀を授けた後、燕翔で飛び去った父上。


 取り敢えず、周囲の状況が解らない内に空歩で走り抜けるのは得策では無いだろう。父上の様に気配や魔力を感知する技があれば話は別だが、私はその様な業は昨日初めて見たし何より修行の趣旨に合わない気がする。


(それにしても、こうしていると前世を思い出す…)


 尤も、前世では上官の指揮の元で行軍をしていたから今の状況ははっきり言って当時よりハードだが。


 先ず、現在の持ち物だが刀一本と稽古着として着ている軽鎧、通気性は良く軽い為一見マシだとは思われるが、水を確保出来ていないのは痛い。父上の事だ、恐らく森の中には水を確保出来る場所があるのだろうが私は4歳児相応の背しか無い、視界は緑が覆い茂っていた森しか見えない。


 と、なると水辺を探しつつ野生動物の接近時に頼れるのは聴覚と気配のみだ。


 それに、食料の調達も必須だろう、出来れば見た目的に食べれるものがあれば良いな…前世の父親はレンジャー部隊に居た頃は蛇を喰ったらしいが…。


 gurururu…


「…どうやら、蛇は食べなくても良さそうだ…熊鍋にありつけそうだからね」


 涎を垂らし唸り声を上げる野生の熊、私を食おうとしているらしく近付いてくるが…ふと、木の幹で小熊が何頭か様子を伺っているのが木々の間で見えた。


「………やれやれだね…」


 gururulalalaッ!


 熊が振り降ろしてきた腕を鞘の鋒で受け止めると刀から手を離し跳躍、顎下を的確に狙い蹴り上げると刀を握り直すと同時に背中から倒れ込む親熊を片手で持ち上げる…その光景に、親を助けに駆け出し飛び掛ってきた2頭の小熊の頭を撫でる。


《大丈夫、多分だけど餌が取れてないんだろ?ちょっと遠回りする事になるけど餌場になりそうな場所を探そう》


 心の魔法で私の意志を小熊達に伝えると小熊達は驚いたように、何より親熊を殺されないと解った安心感からか涙を浮かべる。


《ほんと…?まま…ころさない?》


《殺さないよ、僕はこの先の屋敷に帰りたいだけなんだ》


 昼迄に帰れるなら別に食料を確保する必要も無い、無論必要なら命を絶つ覚悟もしているが…親や家族を喪う恐怖や悲しみ、……何より、奪われる怒りは私自身が理解している。


《おやしき?エリスねーねのおにーたん?》


 ふと、エリスの名前を聞いて面を食らったが首を縦に振る、年齢や外見上はエリスの方が歳上だが……まぁ、精神年齢は私は30代だからね。

 私の返事を聞き2頭の小熊はぱぁっと朗らかに微笑みながら私の周りを駆け回り始める。



 ……うん、エリスって普段なにしてるんだろう…不思議と幾許の興味を引かれるが取り敢えず親熊を降ろしてやりたいんだがなぁ…


----------------


《そう、あのエリスちゃんの…ごめんなさいね…そうとは知らずに…》


《いえ、構いませんよ。…餌が捕れないのは何か理由が?》


 母熊が事情を話すのを切り出し易い様に小首を傾げると母熊は少し言いにくそうにしながらも語り始める。


《……実は、ここから少し離れた場所に川が流れているのですが最近何故か瘴気が発生して私達親子を含め多くの動物達が飢えを凌ぐ為に住処を追われているのです、…その時に私の夫も…》


 辛そうに話す母熊さんを心配するように小熊ちゃん達は擦り寄る…その光景は人間とか、動物とか関係ないと思える程には私の心を打つには充分だった。


(……父上、ごめんなさい…)


 川を汚染する程の瘴気、余力を残したままでは浄化し切れないと判断すればいざという時に私に試練を与え続ける重力の枷を一時的に諌める呪文を口にする。

 この修行を始める前に、私は父上と、もし危機に陥った時や遭難した時はこの呪文を迷わず唱える様に言われていたが…今が、必要な時だと判断した。


「…テイア…!」


《!…凄い魔力…貴方はいったい…》


 迸る魔力の奔流、それは滝を登りあげる鯉の如く逆境を跳ね除け不可能を可能にする程の力を私に与えてくれる。


《僕は、ただの子供ですよ。…家族は姉以外は皆英雄ではありますがね》


 母熊から川のある方角を聞くと100キロの距離等一瞬で詰めてしまう程の脚力を以て川を目指すと横幅500メートル程の川が道を遮っていた。


(けど、今なら…!)


 枷を解き放った今なら私なりに父上の業を模倣するのは容易い、一度大きく跳躍し背後に見えない壁があるのをイメージして無属性の初級魔法である障壁を蹴る事で滑空を可能としてみせる。



 が、突如前方から神聖さと邪気を纏った不可思議な気配を感じ刀を鞘に収めた儘振り抜く



「…汝は何だ?何故妾の領地に足を踏み入れる…」


 振り抜いた刀が弾いたのは巨大な尾、大人でも丸呑みにしてしまいそうな巨大な白い大蛇であった…この状態で対面しているからか、普段感じない…父上やリリスさんが口にする 気 と呼ばれるものを今まで以上に鮮明に感じる事が出来る。


「私はユウキ、ある動物の親子に話を聞き川の瘴気の調査に訪れました。貴女はこの川の主で相違ないか?」


「如何にも…妾は齢1000を超えるこの川の化身也、…瘴気の調査か…ふん、人間がそれを言うか、とは思うが汝は未だ幼い童………あぁ、故に憎くもあるが、良いだろう。話してやる。

───この地は何れ滅びる、貴様達人間が動物達を必要以上に狩るせいでな」


「この地、とは川が、ですか?それとも森全体が、ですか?」


「両方だ、更に言えば未来ある童である汝と違い妾の生命の灯火は風前の灯……あぁ、口惜しや…!」


 怒りの余りにのたうち回る大蛇、否、この森と川を永い年月見守り続けてきた精霊の怒りは地を揺らし、川は激流と変わる。

 その怒りも或る意味では正当な怒りではある、誰だって住処を荒らされたり見守ってきた対象を理不尽な理由で害されれば怒りの念を持つのは仕方がない事だ。





 だが、だからこそ彼女の怒りを鎮めてあげたい…自分以外の他者の為に怒れるヒトに悪い存在は存在しないからだ…!


「…なら、貴女のその痛みを私に与えてください」


「……正気か?」


「…人間全てのカルマを背負うつもりはありませんが、貴女の痛みを肩代わりはしたい…優しいヒトが傷付いて、何も知らないで誰かを傷付けているヒトが得をするのは間違っているから」


「…───良かろう、……ほう、汝、面白い魂をしておるな……偽りの正義を誅す者…それが汝の原点か…為れば、未だ未完である器と妾と波長を合わせるのだ…やり方は妾が手解きをしよう」



 ぐ…ッ……!

 内側に物凄い力と、それと同時に瘴気が入り込んでくるのを感じる、力の方の本質は気や魔力ではあるのだが、質も量も人間のそれを優に超えている。

 瘴気の方は私自身に浄化魔法を掛けているが……このままでは川の神は…


「当たり前だ、…妾は汝等人間が言う処の土地神、自然の一部を内側に取り込むとはそれ即ち一時的に人を逸脱するという事だ…同時に、あれだけの瘴気を浄化出来る汝は今は人の域を逸脱した力を持つとも言えるがな」


 今、私と川の神は一つになっているのか互いの思考や記憶をお互いに垣間見ている状況なのだろう。


「……然し…哀れよな、1000年を生きた妾だからこそ、汝の願いの果てには何も無いのが解る…せめて種や時代が違えば変わるのではあろうが…」


「…永きに渡り人々や動物達の暮らしの根底を築いてきた貴女に比べたら「…それが、いけないと言うのだ」…と言うと?」


「誰かに比べて、等自身が歩んで来た道を軽んじる事に他ならん。…少なくとも、汝は妾が知るようなヒトの子では無かった…非礼を詫びよう、幼きヒトの子よ」


「……そうですか…」


 精神世界での対話を終え何時の間にか、大蛇の姿はそこには無かった…その代わりに、私の内側から膨大な迄の魔力…否、恐らくこれが自然に流れる気を取り込むというものなのだろう。

 私の中に元々渦巻いていた魔力に自然から授かった気が川の神に手解きを受けた様に波長を合わせる事で融合し元々の魔力を足し算ではなく乗算したかのように爆発的に上昇しているのを肌で感じている。


「……えぇ、わかっています。…」


 託された想いに応える為に、私は川の神が巻き付いていた木を依代とし瘴気を浄化する為の光魔法の大浄化をベースに荒れた土壌や流れる川を清浄な水質へと変える為に土属性と水属性の初級魔法を付与する。

 彼女が最後に望んだ、我が子にも等しい森の動物達がこの先も平穏に生きていけるように。



----------------


《…そうですか……主様は眠りについてしまわれたのですね…》


《……えぇ、最後は穏やかに…》


《……最後を看取ってくれたのが貴方のような方で良かった…》


《おにーたんいっちゃやぁ…》


《もっとあそぼぉ?》



 短い時間ではあったがそれでも私に懐いてくれる小熊達に愛おしさを覚えながらも、私は彼等の頭を優しく撫で額をこつん、と軽く触れ合わせ視線を合わせる。



《ふふ…ありがとう?でもエリスが待ってるから…また逢えたら遊ぼう?》


《ほんと?またあそんでくれゆ?》


《またよしよししてくれりゅの?》


《うん、勿論。約束するよ?》


 熊の指では指切りは難しい為、指先と指先を合わせそれを約束の代わりとすれば母熊さんに会釈をする、人間流の挨拶ではあるが母熊さんもそれに応えてくれた。


《わかったぁ、じゃあまたあそうの!》


《ばいばいっおにーたん!》


《可愛いなぁ…では、また》


《えぇ…本当にありがとうございました…》



----------------


「……奴は、笑って逝ったか?」


「……はい。父上何時からご覧に…?」


「お前が事前に教えていた呪文を唱えてから直ぐに、な……そうか、逝ったか」


 見れば道中腐乱していた動物達の骸は瘴気のみを浄化され近くには彼等の死を悼む為に彫られたと思わしき真新しい慰霊碑が設置されていた。


「…ありがとうございます、お墓を作ってくれて」


「構わない、…帰るぞ」


「…はい……」


 何時も以上に口数の少ない父上の背中が、何処か悲しげに…寂しげに私には見えた。

 生命は流転する、川の神もまた然り。


 転生者である私は、その流れに背いている気がするが…なればこそ、私に出来る事をしていこう。



 それこそが、私に出来る唯一の事なのだから。

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