第5話〜魔心流と魔身流〜

 鍛錬開始から2ヶ月目、前日張り切り過ぎたせいか足の裏にジンジンとした痛み…通算60日目にして漸く達成した魔心流の歩法の基礎の達成感と山頂迄上り詰めた事実と引き換えに、靴擦れと全身の筋肉痛を覚えながらも私は母上の授業を受けている。


 昨日はこの世界での一般的な文字の書き取りであったが今日は地理、そしてこの世界の通貨に纏わる話が主たる授業内容である。



 日本円にして1円が1ユノというのは現代社会を生きていた身としては少々面を食らったが、これは1円以下の単位を1銭、2銭と数える感覚と似たようなもので基本的には銅貨1枚は10円程、純銅貨は100円程、銀貨は1000円程、純銀貨は1万円程、金貨ともなれば1枚10万円程…と、各々に価値が決まっているのは世界が変わったとしても変わらないのだな、というのが私の感想であった。


「…と、此処まで聞いて何か分からない事はあるかしら?」


「はい、……えっと、普通の銅貨や銀貨は何となくわかるのですが純銅貨や純銀貨の違いが…」


 単純な呼び方の違いという訳では無さそうだが、パッと見た感じでは良く分からない為に訊ねると感心したように母上は語り始める。



「確かにそうよね…これは明日以降の歴史の授業の時に話そうと思っていたけど、過去の王政や貴族の間では金銭絡みの不正が横行していた背景も関わってくるわ。純銅貨、純銀貨、純金貨、純白金貨はそういった不正が働けないように今から10年前にガイア王国、ウラノス教皇国、タルタロス帝国の三国共同で作られた魔法士協会の財務省に属する魔法士が、特殊な製法の元形にしたコインに魔刻印というものを刻んだものなの」


 ふむ、この世界にも銀行みたいなものや財務省が存在するとは何かの本で読んだ気もするが魔法士協会というのは初めて聞いたな。


「まぁ、一般の家庭で純金貨以上のお金は多分そう持っていない筈だからあまり気にしなくても良いとは思うわ。人一人が普通に生活するだけなら1年間で純金貨1枚あれば足りるから、勿論美味しいものを食べたいとか、おしゃれをしたいとか欲を出すなら話は別だけど」


「なるほど……母上、話は逸れますが魔法士協会とは…?」


「魔法士協会は過去にも存在していた歴史ある組織だけど…これも歴史が関わってくるから大まかに説明すると三国の何れにも属しつつ、どの国にも肩入れはしない組織。

今し方話した財務省以外にも魔法の研究を専門とする部門や古代の魔法の原理を解き明かしたり、登録基準を満たした魔法士の保護、後は魔法を悪用する犯罪者の捕獲や処分、未知の魔物の調査等をする部門も存在するわね」


 なるほど、つまり読んで字の如く、魔法に関わる全ての事柄に関して一定以上の権力と決定力を有する組織か。…覚えておこう。


「ありがとうございます、授業に関係の無い話をしてしまいごめんなさい…」


「構わないわ、寧ろ自発的に質問をする姿勢は教える側としては嬉しいものだもの…はなまるをあげたくなるくらいよ?」



 優しく微笑む母上に前世での在りし日の母を重ねてしまうが居住まいを正し要点を纏め、与えられた羽根ペンでノートに書き記す。


 学ばねばならない事はまだまだ多い、魔法の技術にしろ、この世界の事にしろ…私が成したい事を成す為に。


----------------


 午後は父上が外出する為に身体を休める時間となった、良質な鍛錬と良質な睡眠、そして良質な学び舎を与えて貰い私は本当に恵まれていると思う。



「……だが、どうしようか…一応父上には身体を休めるのも鍛錬の一環だとは言われたが…」



 二ヶ月経過し私に掛けられた鍛錬用の術式の負荷も当初数倍程度だった重力が今では十数倍の重力が掛かっている。


 本来であれば3歳児が到底耐え切れる負荷では無いが、こと私限定で言えばこの重力負荷は身体を鍛えるに最適な術でもある。

まぁ、普通なら身体が出来上がる前の自重トレーニング以外のトレーニングは効率は悪いのだが、限界値というリミッターが元々存在しない私にとっては、こういう空き時間を活用出来るのは有難くもある。


「…いぃち、にぃ…、さぁん…っ」


 意図的に全身を常時漲らせている魔力を抑え、代わりに身体に伸し掛る重力を徐々に増やす事で自重×重力というハードトレーニングを二ヶ月に渡り密かに行っていた。


 最初は3倍の重力でも、ひぃひぃと情けない声を出していたが転生特典のお陰もあり15キロの体重に加え6倍程度の負荷には耐え切れる様になっているのだから矢張り人間慣れは重要だと思う。


 普段は腕立てを20回、スクワットを20回、腹筋を20回、屋敷の裏手の物置小屋の梁に指で掴まる指懸垂を20回を各々3セット、更に割と広い屋敷の周りを10週という自己流のトレーニングを行っていたのだが、今日は賑やかな闖入者に声を掛けられた。


「あれ〜?ユーくんどしたの?レオさんに休めって言われて無かったっけ?」


 買い物帰りなのかエリスを伴ってリリス姉さんが不思議そうに首を傾げている。


「その…何時も午後は父上と鍛錬をしていたのですが何もしてないと落ち着かなくて…」


 急いで魔力を漲らせていたが、私の足元の地面に残る足跡から私が何をしていたのかリリス姉さんは理解したようだ。


「…ふぅん?そっか!なら今日はお姉ちゃんが魔身流に伝わる鍛錬方法を教えてあげる?エリスもいっしょ「やー…」あ、こらぁ!…全く、逃げ足だけは早いんだから〜…」


 エリスはたまにリリス姉さんから魔身流の手解きを受けている様だが本人のおっとりとした性質が災いしてまともに鍛錬をしている姿を見たのは数える程度だ……だが、少しでも強くなりたい私としては願ってもない誘いだ。


「はい!ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致しますっ、リリス姉さん!」


「ユーくん難しい言葉知ってるねぇ…あは、教える側としては見ていて清々しいくらい好感が持てるけど〜」


 買い物袋を置いてくる、というリリス姉さんの荷物を半分持つ事で随伴すると、私は新しい技術を学べる喜びから期待を胸に抱いていた。


----------------


「それじゃあ、先ずは魔身流について説明するよー、そのままの体勢で聞いててね〜」


「は、はい…っ」


 私は今、普段父上と素振りの稽古をしている山の中腹で空気椅子をしながら8倍の重力に耐えリリス姉さんの話に耳を傾けている。


「そもそもぉ、魔身流と魔心流は元々は同じ流派が、ある争いで二つに分かれたんだよねぇ。だから魔心流の秘剣拾弐手は魔身流にも伝わっているけど、唯一違うのは魔心流は心に剣を持つ様に、魔身流は身体を武器にするの〜、所謂ステゴロ?」


 リリス姉さんは右手で手刀を繰り出すと練習用の踏み込み台の首は刃で切断した様に跳ね飛ばされていた。


「っ…」


「驚いたぁ?でもー、これくらいなら多分コツさえ掴んじゃえばユーくんにも出来るよ〜……だから、今から見せる業をよーく覚えといてね?」


 足元に転がってきた木人形の首、そのあまりに美しい切断面に思わず息を呑むが更に上の業を見せるとばかりにリリス姉さんは指をぱきぽきと鳴らすと木人形に掌打を加えるがその瞬間、腕から指先が火炎系の魔法を放つ際に発光する魔法陣、その紅蓮色に類似した光が一瞬奔ると打ち込み台は掌打を受けた箇所が燃え滾り、一瞬で消し炭に変わる。



「ッ!?」


「今のが魔身流と魔心流の一番の違いかなぁ、火魔法以外でも氷や雷、風みたいに打撃に魔法を練り込むの〜」


 打撃に、魔法を練り込む…それは速すぎても遅すぎても恐らくダメなのだろう、適したタイミングに最大限の火力を炸裂させる常軌を逸した魔法のコントロールと格闘センスが必要だ。


「多分ユーくんが成りたいユーくんには魔心流も、魔身流も必要だからこれからも時間があったら教えてあげても良いよ〜?その代わり、ちゃんと言いつけを護るならねぇ」


 !!


「は、はいっ!是非お願いします!厳しくても辛くても何でもしますから!」


 まさに棚から牡丹餅だ、何という幸運か!返事には自然と力が入るというもの、空気椅子をしていた足にも再び力が宿る。


「ユーくんは真面目だねぇ、エリスにも見習わせたいかなぁ…───けど、レオさんが休めって言ったらちゃんと休まなきゃダメ。どうせレオさんの事だから休むのも鍛錬だって具体的に言わなかったんだろうけどちゃんと意味はあるんだよ?」


 空気椅子をし、腕を正面に突き出していた私の額を指先でつん、と突っつくリリスさん。厳しく言い聞かせるでなく窘めるのは一児の母故だろうか、人差し指を突き出し言葉を続ける。



「身体を休めながら頭の中で何十、何百って模擬戦をする事で身体は更に動く様になるし魔力を素早く練り上げる鍛錬にもなるの〜、まだ小さなユーくんに細かく説明しないでいたレオさんが悪いから後でめっ!てしとくけど、私が休めって言ったらそういう意味として身体を休めてね?」


 なるほど、身体を鍛えたり知識を得るだけでなく想像の中で……確かに、少し焦り過ぎていたきらいはあるか。


「…わかりました、少し無茶し過ぎていたようです」


「ふふ〜…良いよ〜?そーだねぇ…魔身流にも遊びの中で力を培うものもあるし、エリスもユーくんとなら遊ぶだろうし良かったらそうしてくれたら嬉しいな?ユーくんも私の息子だもん♡」



 っ…そうか、…この人は他人ではなくあくまで息子として私に接してくれていたのか…。



「あ、でもおばさんとかババアとか言ったら「ピー」して「ピー、ピーー」するからねぇ?」


 うおぉぉい!?

 数秒前の感動を返せ!と、言いたくはなるが余程年寄り扱いされて嫌な思いをしたトラウマでもあるのだろうか…。

 見た目だけで言えばリリス姉さんは童顔と言っても差し支えなく20代前半にしか見えない、乳房も爆乳とまでは行かなくても巨乳と呼ばれる類だろう。括れた腰はボディラインを更に強調し、臀部も所謂安産型と呼ばれる類のものだ。

 これでさんじゅ「ユーくん?」ひっ…私の心の声でも聞いたのだろうか…私は頭を振り雑念を振り払いリリス姉さんを見つめる。


「…?取り敢えず、今日は私とエリスとで遊ぼ〜?」


「は、はい!よろしくお願いしますっ」



 どうやらたまたまタイミングが悪かったらしく不思議そうにしているリリス姉さんに訝しがられたが、それを誤魔化すように駆け寄れば私は密かに誓った。


 今後、如何なる状況下でもリリス姉さんの前で年齢関係の弄りはしない、と。




 ───十数年後、その誓いを私ではなく、とある人物が、とある状況下で破り血を見る事となるとは露にも思わずに。

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