2話・1日で催眠術師になれたら苦労しない

2話・1

 翌朝登校すると、先に来ていたキョージンが教室に入るおれを見るなり、待ってましたとばかりに席を立った。

 うれしそうにおれのあとを追って席まで来る。



「で、で! 昨日あれからどーだった!?」



 期待いっぱいの眼差しが、背中からでもわかるくらい突き刺さってくる。

 横目で殺意いっぱいの眼差しを返すが、さすが狂人、あえて空気を読まないからおれが諦めるしかなかった。



「当然だけど、かからなかったよ」



 淡々とそう伝えると、キョージンはあからさまに落胆の色を浮かべた


 昨日、桑田エンジェルという派手なおじさんに事務所に拉致され、最初に彼の得意とする催眠術をかけてもらうことになった。

 けれど、1mmも桑田さんの指示に体は従うことはなく、固まるはずの手足は動き、わさびはめちゃくちゃ辛かった。

 さすがに申し訳なくなって謝ったら、「いやー君はそうかなと思ったんだよ、全然予定の範囲内!」と桑田さんは余裕そうに笑っていたけど、じゃあなんでわさび食べさせたんだ。



「んじゃ、教えるって言ってたやつは?」



 諦め切れないとばかりに喰い下がられる。



「講座は、受けた」

「実戦はしてないの?」

「事務所にいた人にかけさせてもらったけど。あの人の身内だし、やってんのかやってないのか分からん」

「お、じゃあかけるのは一応できるんだな。俺にもやってみてよ!」



 つまらなさそうにしていたキョージンの目が、わかりやすく輝いた。



「いいけど、かからないと思うぞ……」



 昨日一日そこらで教わった技術で、期待に応えられるのか自信はない。



「いい、いい。やってみたかったし!」



 まぁ、システムは気になるか……。



「……んじゃなにやる?」



 おれが机の上を片付けている間、キョージンはあごに指を当てて考えていたが、



「いや、初めてだからわからん。すごいやつで」



 と、最後にはいい笑顔でぶん投げられた。



「……じゃあまず予備催眠からかけてみるな。腕を伸ばしてぶらぶらして、体から力抜いて……」



 昨日と同じく前の席に座って腕をぶらぶらと揺すり、さらには首を回しながら、キョージンはおれの動作を注意深く見ていた。



「5円玉とかは使わんの?」



 椅子に座ったまま、指示するだけで一切動かないおれに問いかける。



「教わってないけど……あれがよかったのか?」

「むしろあれ以外でできるのがびっくりだよ! おもしれーな」

「楽しそうでなによりだよ。じゃあちょっとこれから集中してくれ」



 話しながらだと暗示はかけられないらしいので、ひとまず黙らせた。


 桑田さんの催眠術は、「予備催眠」という一度催眠術にかかりやすい体を作ってから「本催眠」に入る。料理でいうと材料や道具を揃え、下処理もして、あとは調理だけという状態にしておくいわば準備の催眠だという。

 予備催眠をかけたら、次は本催眠へ。



「おれの目の奥を見て……」



 机越しという体勢で、じっと目を覗き込まれる。


 普通の人同士なら目を合わせると、居心地が悪くて数秒ももたずに背けたくなるだろう。

 だけどおれの目はどうやら特殊らしい。

 恋人たちが見つめ合っても疲れないように長く見ていられる目らしく、桑田さんに「君の瞳は引き込まれるし力があるから、それをぜひ利用しなさいよ」と言われた。


 それについては、そこまで驚かなかった。むしろ「あー、またか」とすら思った。

 昔からよく、いろんな人にそんなことを言われてきたから。

 ……占い師の目だと。

 そして、おれはそれがとても嫌だった。



「眠るよ」



 パチン!


 右手で指を鳴らして左手で肩を軽く叩くと、キョージンの頭が前へ落ちた。

 机に頭を打ち付けないように、そのまま肩を支える。


 さて。こいつには昨日の恨みがあるからな。



「……あなたは、言葉という概念が、頭から消えてしまいます。けれど、なぜか“ワン”とだけは言うことができます。OK、3つ数えて目覚めると、あなたはワンしか言えなくなる。必ずそうなる。3、2、1……」



 パチン!


 暗示のあとに指を鳴らし、再び肩を叩く。

 マニュアルではこれでかかっているはずなのだが。



「おはようキョージン」



 声をかけるとキョージンが頭を上げた。

 まぶたを重そうに、ゆっくりと開く。

 そして口を開いて……。



「うん、おはよう」



 おれたちはしばし見つめ合った。

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