終末の始まり、秋の訪れ。 6
***
近づいてみると、ビルの一階は駐車場だった。三台ほどが駐車出来るスペースがあり、どうやら二階だけを事務所にしていたようで、右手に細い階段を見つけた先頭を行く獅子尾が僅かに振り返り、小さく頷いた。
恐らく長い間吹き曝しだったのだろう。
枯れ木や土がそこら中に散乱していたが人の足跡はなく、息を殺して階段を登り、すぐに事務所の入り口を見つけ立ち止まる。
獅子尾が目線の高さにある窓ガラスから中を覗くが、薄暗い室内に人の気配はない。
それどころか地震以降そのままのような散乱した室内に、獅子尾は取手に手をかけ眉を潜めた。
「鍵がかかってる」
「…やっぱり、誰か居るんでしょうか」
「いや。見たところ近くに俺たち以外の足跡はなかったし、この取手もかなり埃を被ってる。恐らく長い間誰もここには立ち入ってないだろうな」
「問題は鍵ね。どうする?壊す?」
「ちょっと離れてろ」
そう言って、獅子尾は勢いよく扉を蹴り付けた。
一回、二回。そうして、三回。
アルミサッシで出来た扉は最も簡単に壊れ、獅子尾の合図と同時に華を間に三人で転がり込む。
けれどやはり人の気配はなくて、静まり返る室内に身構えていたナイフをゆっくりと下ろした。
「誰も居なさそうだな」
正直、ホッとした。
元々は普通の大学生だったのだ。人相手にナイフを向けるような経験なんて微塵もなかった俺にとっては下手に脅しなど出来る筈もなく、あからさまに安堵する俺に獅子尾さんの冷たい視線が突き刺さる。
「まだ気は抜くな。全部確認して把握するまではしっかり構えろ」
「は、はい」
慌てて再びナイフを構える俺を横目に、獅子尾さんはドアを塞ぐように近くにあったソファーを押し動かす。
反対側では俺のように言われるまでもなく、華さんがナイフを構えたまま事務所内をゆっくりと歩き机の引き出しを一つ一つ開けていた。
ドアと言うドアを拳銃片手に開けては閉めを繰り返し机や椅子で塞いでいく獅子尾と、黙々と物資を調達する華。
まるでそれが自分の仕事だとでもいうような。慣れた手つきでそれらを熟す二人に、どれだけの歳月をそうやって二人で過ごしてきたのか察する。
本来なら彼女はまだ高校生のはずだ。それなのに怯えることなくナイフを構え生きる術を覚えた彼女を見て、未だナイフを構えることにすら怯える自分が情けなくなる。
「さすが建築事務所と言うべきか。ここに来るまでほとんどの建物が倒壊してたが、あの地震でよくここまでもったな」
そう感心する獅子尾に、華も「運が良かったのね」と頷いた。
築年は古そうだが鉄筋コンクリート造が功を成したのか、外観が所々剥げていた割に中は大きな損傷はなく、地震による揺れで物が散乱しているものの、雨風を凌ぐには十分だった。
寧ろ今まで野宿同然で歩き回っていた俺にとっては地震以降一番良い寝床だが、最適な寝床を得て喜ぶ間も無く、獅子尾が破壊した入り口のドアの窓を踏み砕く音を聞いて顔を上げる。
「何をしているんですか?」
「誰かが侵入してきたらわかるように階段にばら撒くんだよ。本来なら空き缶を紐や糸で張り巡らすのが一番だが、そんなあからさまなもん人間には効かないからな。二階に上がるにはさっきの細い階段しか通路がないし、ガラスなら踏んだら僅かだが音が鳴る」
「へぇ…なるほど」
「呑気に関心してないでさっさとこれ撒いてこい。それが終わったら外に行って雨水を溜めて煮沸しろ。まだ早朝で人気がない内にさっさと済ませてこいよ」
「あ、はい。でも、一体何に溜めればいいんですか?」
見渡したところでバケツのようなものは一つもないし、火を焚くにしても外は土砂降りの雨だ。
火を焚けば少なからず煙は上がるし、ここまで人目を避けているのなら焚き火などもっての外のはず。
ここに入ってきてすぐに獅子尾が給湯室を覗いてガスコンロを確認していたが、IHだった為に無駄足に終わったところだった。
そんな俺の問いに獅子尾はめんどくさそうに一瞥するだけで、持っていた鞄の中から紙コップを取り出し俺に投げ渡した。
「そこら辺の引き出しの中身を出せばいいだろ。穴があったらガムテープかなんかで塞げばいいし、溜めたらそれで掬って煮沸していけ」
「え、でも紙コップですよ?そんなことしたら燃えてしまうんじゃ…」
そう思わず聞き返す俺に、今度こそ獅子尾さんは心底呆れた様子でため息をついた。
「お前、そんなんでよくここまで生きてこれたな」
「……すみません」
もはやぐうの音も出なかった。
あの地震が起きるまで、世の中には便利なものが溢れかえっていた。大した労力を使わなくとも大半のものは手に入ったし、無いものでも金さえあれば手に入れることが出来て。
便利な世の中になったと皆が口を揃える中で、俺もその便利なものに囲まれぬくぬくと大学生活を送りながら甘えていたのだ。
そんな俺が無理を言って連れて行ってくれと頼んだくせに、二人のために役に立てる事などほとんどなくて。
「医大生はただの飾りかよ」と吐き捨てる獅子尾さんに、「寧ろ知ってる人の方が少ないと思うよ。私も獅子尾に言われるまで知らなかったんだし」と華さんが俺の方を苦笑いで見てフォローしてくれた。
「紙の発火点はだいたい450℃で、水は100℃なんだって。水さえ入ってれば紙コップは燃えないし、時間はかかるけど蝋燭で煮沸出来て明かりも確保出来るから、焚き火が出来ない時なんかはそうやって飲み水を確保してるの」
ただしコツを掴むまでは焦がし易いから気をつけて、と。
何も考えず、何も学ばず、ただがむしゃらに生きてきた自分が急に恥ずかしくなった瞬間だった。
獅子尾さんの言う通り、医学生なんてただの名ばかりだ。
あの日、世界が変わるまで。
誰かが当たり前のように勉強を教えてくれて、当たり前のように道を示してくれて、俺はただ、その既存のものを覚えるだけの、"当たり前"の上で成り立っていただけに過ぎなかったのだ。
この世界では学歴や出生などもはや意味もなく、生きる術を持った強い者だけが生き残る。
俺がここまで生きて来れたのだって、たまたま運が良かっただけのこと。
本来ならあのBARで息絶える筈だった命が、この二人のおかげで今、こうして未だに繋がってる。
「これから覚えていけばいいのよ。千秋には、千秋にしかできないことがあるんだから」
「…はい」
だったら何としてでも、二人の為に役に立てるようにならなければ。
その一心で、獅子尾さんに言われた通り必死にやれることをやった。
階段にガラスを撒き、雨水を溜め、灯が外に漏れないようにカーテンをガムテープで留めた後、黙々と紙コップで煮沸を繰り返す。
どうやら蝋燭や紙コップは俺と出会う前に調達していたらしい。
案の定最初の方は紙コップを焦がしてしまい何個か無駄にしてしまったが、コツを掴めばなんてことはなく。
それぞれの仕事をこなす内に、一体どれほどの時間が経っただろうか。
気づけば、目の前に缶詰が差し出されていて。顔をあげると、華さんが「お疲れ様」と小さく笑った。
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