終末の始まり、秋の訪れ。 7
「お腹空いたでしょう?少し休憩して、ご飯にしよ」
「あ、ありがとうございます」
没頭して気づかなかったが、どうやらすっかり夜が明けたらしい。
変わらず雨音は聞こえてくるもののいつの間にか小降りになっていたようで、気づけば事務所内も綺麗に整頓され、蝋燭の灯を囲むように目の前に華さんと獅子尾さんが座り込む。
俺が一つのことを必死にやっている間に、この二人は当たり前のようにそれ以上先を進んでいる。
恐らくこの缶詰も、俺と出会う前に二人が調達したものなのだろう。
獅子尾さんが言っていたように、人が増えると食い扶持も増える。ただでさえまともな食料が少ない今、俺が居るせいで二人の食料が削られて行くのだ。
「すみません」と、思わず口から謝罪が溢れた。けれど何に対しての謝罪かわからず「何が?」と頭を傾げる二人に、溜め込んでいた感情が次々と溢れ出す。
「自分がどれだけ無知で、今まで沢山の便利なものに囲まれて甘えていたのか。こんな状況になるまで、考えもしませんでした。蛇口を捻れば出てくる水も、お金を払えばすぐに手に入る食べ物も、当たり前のようにあったものがすべて一瞬でなくなったあの日まで。俺は、何も知ろうとしませんでした」
得ようと思えば簡単に得ることが出来た知識も、今はもうそう簡単には手に入らない。
ネットで検索すれば誰かが教えてくれた。そんな便利な時代で生きていながら、こんな状況になって役立つ知識など何一つ俺は持っていなくて。
「役に立てなくて、すみません」
俯くと同時に徐々に弱くなっていく語尾に、獅子尾さんのため息が重なった。
「お前が役に立たないことなんてとっくに知ってる。そもそも最初から期待なんてしてないから安心しろ」
「ちょっと、獅子尾」
「辛気臭ぇんだよさっきから。今更色々後悔したって遅い。後悔するくらいなら、これからどうやって生き延びるかだけを考えろ」
自分のことは自分でなんとかしねぇとそう簡単に誰も助けてはくれねぇぞ。と。
一切視線を合わせることなく告げる獅子尾さんに、隣に座る華さんが困ったように笑う。
華さんもフォローしようがないのだ。
獅子尾さんの言うことはいつも正論で、だからこそ時に胸をえぐられるような感覚を覚える。
慰めでもなんでもない。
本当に最初から期待などしていない冷たい声はもはや悔しさなど抱けないほど容赦なく現実を突きつけ、同時に、この二人がどれほど過酷な日々を生き抜いてきたのかを察する。
いくら俺がここで嘆いたって現実は変わらない。そんなことわかっているはずなのに、俯いたまま顔を上げることができない俺に華さんが「ごめんね」と呟いた。
「この人かなり口が悪いけど、まだ千秋のこと少し警戒してるだけで別に他意はないの。慣れるまでは不快な思いさせるだろうけど、あまり気にしないで」
「おい」
「獅子尾みたいな人間の方が稀なだけで、私たちみたいに知らないことが普通よ。日本は他の国よりも地震に耐性があった。災害への意識も高かったし、建物も強固で、備蓄も豊富だった。そのおかげで今、私たちはこうして生き延びていられる。ただ唯一の欠点をあげるとすれば、日本は便利になりすぎた」
便利なものが溢れかえっていた世界から、丸裸で戦後よりも酷い状況の世界へ放り出されるような。
当初は世界中で地震が起きたことなど知る由もなかったのだ。それどころか、日本全土が巨大地震に見舞われていたことなんてつゆ知らず、きっと避難所にさえ行けば自衛隊や国の偉い人たちがなんとなしてくれるだろうと、日本は地震大国だからすぐに救援が来る、世界のどこかの国が助けてくれると、そう信じて疑わなかった。
しかし、現実は残酷だった。
避難所どころか、生きている人間を探す方が困難なほどの惨事と、待てども待てどもやってくることのない国からの救助。
足元に転がる死体の山は今でもしっかり脳裏に焼き付いていて、時が経つに連れ容赦ない天候の変化のせいで体力のない者から死んでゆき、飢えに苦しみ、絶望に自ら命を断つ者が増え、やがて多くの善人と秩序を失った。
「"何でもある"日常に慣れてしまっていたから、突然訪れた"何にもない"非日常に対応し切れなかった。専門家や偉い人たちがいくら予測したって、結果はいつも予測を上回るもの。ただ運が良かったから生き残れた。それだけの話よ」
「……でも、生き延びても先が見えないじゃないですか。俺はたまたま華さんと獅子尾さんに出会えてやっとこれからのことを考えられるようになりましたけど、一人の時はずっと考えていました。このままひとりで生き延びて、いつか食料が底を尽きるのを怯えながら待って飢えて死ぬのか、もしくは、誰かに殺されて自分が家畜のように食われるのか。生き延びたところで、明るい未来はきっと来ない。少なくとも俺は……ずっと、そう思ってました」
「このまま誰も何もしなければ、そうなるでしょうね。でも幸いにも私たちは、便利な世の中を"知っている"。何をどうすれば何が出来るのかある程度のことは知っているし、はじめてのテストを受けて満点を取るよりも、一度答えを知ったテストで満点を取る方が簡単でしょ?」
「死ぬのはいつでも出来るんだし、もう無理だと思うまでは生きてみればいいんじゃない?」と。
そう言って、人生で一番最悪と言っても過言ではない程どん底の状況に居ながら笑う華さんに、獅子尾さんが「聞く相手を間違ったな」と憐んだように俺を見る。
出会った時から感じていたが、彼女は本当にただの高校生だったのだろうか。今のこの世界で、きっと華さんのような考え方を出来る人間はほとんど居ない。
たとえ居たとしても、上辺だけだとすぐに見抜けてしまうような。
御託を並べるだけの主導者なんかよりも、華さんの言葉は不可能だと思うことでさえ可能にしてしまいそうで。
どこまでも先を見据える二人を素直に凄いと思う反面、彼女が話すたびに、優しさを感じるたびに、言い表しようのない僅かな違和感を覚えるのだ。
それはまるで、一種の恐怖心のような。
嘘偽りない彼女の言葉や態度を目の当たりにする度に、誰よりも信頼できる安心感を覚えると同時に、一気に湧き上がる肝が冷えるような感覚。
彼女が怖い訳じゃない。
それなのに俺はーーー彼女の何かに怯えている。
ふいに、獅子尾さんと目があった。
すべてを見透かしたような深い色をした瞳が俺を射抜き、何かを告げようと息を吸い込んだ瞬間、華さんが「完全に夜が明けたね」と呟く。
「千秋も歩き疲れただろうし、そろそろ休んだ方がいいわ。片付けはしておくから、先に休んで。一応何かあったときのために、二時間おきに交代ね」
「あ、はい……ありがとうございます」
そう言って再び視線を戻す頃にはもう、獅子尾さんはこちらを見ていなかった。
もしかしたら、彼女に対する違和感も、獅子尾さんの意味深な視線も、すべてが俺の思い違いなのかもしれない。
けれど、この時感じた違和感をーーー俺はずっと、頭の片隅に留めることとなる。
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