終末の始まり、秋の訪れ。 3





男の言うことはもっともである。

けれどどうしても聞かずには居られなかった俺に、彼女が「遠回しに聞かれるよりよっぽどマシでしょ」とフォローを入れてくれる。



主従関係を結ぶ条件は実に単純だ。


主人となる者が金を払って身を守ってもらい、従者となる者はその金を貰って主を守る。


実際はただの口約束のようなものなので金で契約しなくとも成立はするが、金以外に主従関係を結ぶメリットはない。


よって単純な話ではあるものの、焼印という束縛があるせいで結果として命をかける契約となる。生半可な気持ちで簡単に手を出せるようなものではない。




生きる為に従者となる者がほとんどだろうが、たとえ金を持った女が従者を得たとしても、主人は女だ。


男達が数名で襲い掛かれば力の差は一目瞭然で、主従関係が成立する前に金を奪われ、最後には殺されてしまう。




男が女を従者にする場合も同様で、護衛ではなく、性奴隷として扱うことが多い。それらは奴隷婦と呼ばれ、従者というよりも奴隷のような扱いを受けることになり、こちらも最後は殺されてしまう事がほとんどだった。


もし仮にこの二人が恋人同士だったとしても、恋人同士なら尚更主従関係を結ぶ必要はない。



よって、女が主人になるメリットなど皆無。



この男の場合は尚更、さっきの僅かな動きだけでも相当な実力の持ち主だとわかる。悪気はないが、わざわざ女の彼女に仕えなくとも、もっといい主人を見つけられるはずなのに。




「こいつに教えてやる義理はねぇ。行くぞ、華」




俺の問に答える気など更々ないとでも言うように、 男が彼女に無理やりフードを被らせ立ち上がらせる。



そんな男に彼女は一瞬不服そうな表情を浮かべ何か言いたげに口を開こうとしたが、すぐに諦めたようにため息をついた。




「ごめんなさい。私達、先を急がないといけないの。少なくて申し訳ないんですけど、よかったらこれ受け取ってください」






渡されたのは、 ペットボトルに入った水とおにぎりだった。



彼女は少ないと申し訳なさそうに言ったが、昨日からロクなものを口にしていなかった俺にとってはこれだけでもありがたくて、久々に見た手作りのおにぎりに思わず泣きそうになりながらお礼を告げる。




これをやるからこれ以上聞かないでほしい。

遠回しに、そう言われているように感じた。



けれど「華」と男が制止する呼びかけも無視して、貴重な食料を分けてくれる彼女の手があまりにも暖かくて。


無性に離れがたいと、そう思ってしまうのはなぜだろうか。




「…どこに、行くんですか」




彼女は、曖昧に笑う。




「聞いてばっかりだな」



男も、呆れたようにため息をつく。




「すみません…」



「謝るのも癖か?」



「ちがっ…」



「逆に聞くが、お前はなんでここまで来たんだ」




男の問いに、思わず言葉に詰まった。

目的などなかったのだ。


世界が一瞬で変わり、たくさんの人間が死んだこの現実で。食べ物もなく、寝るところもなく、当たり前にあったものが消え、居場所もなくなった。



何をすればいいかわからない。

誰を頼ればいいのかわからない。



ただがむしゃらに進んで、何度も死にかけて、そうやって必死にここまでやってきたのだ。



一体、何日歩き続けただろうか。

一人で歩き続ける中で、得体の知れない恐怖が渦巻く中で、悟った。



先が見えないとは、こういうことかと。



それは、この二人も同じはず。






「どうすればいいか…わからないんです。家族も、友達も、あの日から安否も取れずに、生きているのかさえもわからない。ずっと一人でここまで来ました。その間にたくさんの死体を見て、瓦礫の山を見て、何日も何日もその光景を見続けて。次第に、諦めがつきました」




もしかしたら生きているかもしれないと、そんな僅かな希望さえ抱けないほどに。




「終わりは見えるんです。自分が死ねば…そしたら、次に目を覚ましたときは違う世界になっているはず。でも死ぬ勇気なんてない。それなのに、この世界に生きていたら先なんて見えない。ただ同じ場所に留まって死を待つだけなんて、そんなこと怖くて出来ない。だったらもう、進むしかないじゃないですか」



死ねば楽になるのに、怖くて死ねない。

だから宛もなく歩くしかないと、そう震えながら告げる俺の言葉を、二人がどんな顔をして聞いていたのかはわからない。



けれど。




「世界はもう、私達を救ってはくれない」




はっきりと聞こえた彼女の声に、ゆっくりと涙が頬を伝う。




「…確かにさっさと死んでしまえば、次に目を覚ました時は今とは違う世界かもしれない。でもその世界を作るのは、"今"生きている人たちよ。たとえ神様というものが存在したとしても、神様にこの世界を救おうという意思があればとっくに世界は変わっているし、神様が存在しないとしても、神様が居ないからこんな世界になったと勝手に嘆く。結局この世界を変えられるのは、いま生きている私達だけ」



「…わかってます。でもそんなの、変えられるわけない。みんな死んだんだ。生きている連中だって、まともな人間はほとんどいない。世界を変えるなんて絶対に無理だ」



「そうね。地球上で最も最強だと言われた恐竜ですら絶滅したんだもの。人間が絶滅するのも、きっと時間の問題でしょうね」



「だったら、」



「でも不可能じゃないわ」





一体、何を言っているんだと。

唖然とする俺に、彼女は笑う。




「仮に神様が居るとしたら、神は恐竜を不要だと判断して絶滅させた。"あの日"もきっと、神が人間は不要だと判断したんでしょう。それでも私達のように、生き残っている人間が存在する。一瞬で絶滅させることも可能なのに、神はわざわざ私達を残した。神はまだ、人間に猶予を与えるつもりでいる。そうは思わない?」



「……本気で、言ってるんですか」



「うん、本気。まぁ凄く馬鹿げてるけど。私も獅子尾に言われるまでは信じてなかったんだけど、そろそろ神でも信じないと説明がつかないことが多すぎてね」



彼女の言葉に、思わず男を見た。

相変わらず嫌そうな表情を浮かべ彼女の背後に控えているが、「余計なこと言うな」と言う表情はすでにもう俺に対して敵意はないようで。



「だって獅子尾に出会ったときの私みたいなんだもん」と笑う彼女に、一瞬なんとも言えない表情を浮かべて、すぐにため息をつきながら諦めたように頭をかく。




「同じ場所に居てもどうにもならないことを知った。だったらもう、進むしかないでしょう?」



「…だからって、一体どこに、」



「あてはないわ。でも世界が今どうなっているのか、日本がどうなっているのか、知らないことには何も始まらない」



見るのか、世界を。

その目で確かめると言うのか、この絶滅に向かう日本の現状を。



無理だと思った。


見たところでどうにもならない。若い彼女がこの国を救おうとしたところで、道中で死ぬ可能性の方が断然高い。




それでも。





「…俺も、連れてってください」






見てみたいと、思ってしまった。



この二人が行き着く終着点を。


何も持たない俺の、唯一の希望を。



先が見えないのは同じはずなのに、それでも先に進もうとする二人に、ついて行きたい。



そんな俺の言葉に、男が僅かに目を見開いた。





「本気で言ってんのか」




男の声は低かった。

一瞬怒らせたのかと、そう錯覚してしまう程男の表情が厳しくて、震える声で「はい」と頷く。




ここで引くわけにはいかない。


このまま一人で野垂れ死ぬのを待つか、この二人と先に進むか。選択肢はもう限られているのだ。



自分でもわかってる。

この二人にとっては、俺の存在が邪魔になることも。



今ここで会ったばかりで信頼などあるはずもなく、そんな人間を、この男が彼女の側に置くことを許すはずもないことを。それでも。



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