終末の始まり、秋の訪れ。 1






***




女が言った『獅子尾』とは、どうやら男の名前のようだった。



血生臭い匂いが漂う中、呆れたように「やりすぎじゃない?」と呟く女に、獅子尾と呼ばれた男は「そうかぁ?」と適当に答えながら床に倒れた男達の衣服を漁る。




「勝手に奴隷婦と間違えた挙句、人のご主人様に手ぇ出そうとした罰だ。自業自得だろ」



「普段全然言うこと聞かないくせに、何がご主人様だか。寝言は寝て言ってくれる?」



「あー?言うこと聞いたからあえて殺さなかったんだろーが。本来なら頭に一発づつではい終了、要るもの奪ってはい退散だったっつーのに。肝心の店主の方がさっさと逃げやがった」




「従順すぎて寧ろ褒めてほしいぐらいだ」と。



そう言いながらも、獅子尾と呼ばれた男は手を止めなかった。慣れた手つきで次々と男達の懐から金を引き抜き、煙草やライター、更には衣服などを問答無用で剥ぎ取っていく。



そんな男の様子にもはや女も呆れたようで、「もう、」とため息をつきながら、ふと思い出したようにへたり込む俺に目を向けた。





「大丈夫ですか?立てますか?」





……なぜ、そんなに冷静でいられるのだろうか。



心配そうに問いかけてくる彼女には悪いが、血生臭い匂いが充満するこの空間ではその問いかけに首を横に振るのがやっとで、完全に腰を抜かした俺に、男が「だらしねぇな」と視線も寄越さず吐き捨てる。



正直、あの光景を見て縮み上がるなと言う方が無理がある。いくら世界が変わったとはいえ、目の前で本物の拳銃を見ることなど今までの人生において一度もなかったのだ。挙句頭上でぶっ放されて見ろ、寧ろちびらなかっただけまだマシである。




「やっぱり拳銃はやめた方がいいんじゃない?」



「脅すには最適なんだけどな。まぁそうそう弾が手に入る訳でもねぇし、しばらく自重するよ」




さすがにこれには、男も素直に言うことを聞いたようだった。



結果として、男が放った銃弾は男の左肩を貫いた。


引き金を引く直前、瞬時に軌道をずらしてくれたおかげで死体こそ重ばらなかったものの、頭上で繰り広げられたそれは容赦なく血の雨を降らせ、無情にも俺の体を真っ赤に染めていく。



じわじわと肌に感じる冷たい感触。その正体が他人の血だと考えるだけで吐き気がして、なんとか見ないように必死に意識を反らす。



しばらく痛みでもがき這いつくばっていた男達もすでに意識はなく、辛うじて息はあるようだが、この血の量だ。意識が戻るかは定かではない。



助けて、くれたのだと思う。

しかし直前にあんな光景を見せられて手放しでよかったと喜べるはずもなく、もしかしたら次は俺かもしれないと、二人の動向に目を凝らす。


そんな俺の心情を察したのか、女は一瞬考える素振りを見せると、近くにあった蝋燭台を手に取り無防備に俺の目の前にしゃがみ込んだ。




「華」




瞬時に、男が咎めるような声を上げた。


けれど彼女はすぐさま手を止め立ち上がる男を片手で制し、まじまじと俺の顔を覗き込む。




華。


それが、彼女の名前なのだろうか。


暗闇に浮くような真っ白な肌。

今にも溢れ落ちそうな、長い睫毛で縁取られた瞳は淡く透き通り、ゆるやかに肩口に落ちる栗色の髪の毛を蝋燭の光が静かに照らす。


この血生臭い空間には似合わない澄んだ空気を見に纏った彼女は、誰もが一度は振り返ってしまうような淡い雰囲気を放っていて。



思わず、触れてみたいと。

無意識に彼女に手を伸ばそうとして、はっとする。



彼女の背後に立つ男の目。

少しでも動けば今にも襲いかかって来そうな、殺気に満ちたその鋭い目に慄き、静かに右手がかけられた拳銃を視界に捉えて、身体が固まる。






「……本当に、あんたが主人なんだな」





決して、疑っていた訳じゃない。


疑っていた訳じゃないが、初めて見る目の前の現実があまりに信じられなくて。無意識に声が溢れる俺に、彼女は「あぁ、」と笑って男を振り返る。





「一応、そうみたいですね」



「一応って…」



「私は散々嫌だって言ったんですよ。だって忠犬どころか、どっからどうみてもただの狂犬ですし」



「おい」




彼女の言葉に男がすぐさま心外だと言わんばかりに口を開いたが、「別に間違ったこと言ってないでしょ?」と両断され、罰が悪そうに黙り込む。




この男にそんな軽口が叩けるだけでかなりの度胸があるが、それも主従関係が成立しているが故か。



主人である彼女に対して男の話し方が砕けていた為に最初は気づかなかったが、思い返してみれば男の行動はすべて彼女を守る為に過ぎなかった。



距離はあれど、彼女の背後に立つ男に隙は一切ない。


恐らく俺が今ここで彼女に少しでも触れようものなら、先程の男達と同じような末路を辿ることになるだろう。



熟練された無駄のない身のこなし。

一般人とはかけ離れた身体能力や、殺傷に対して一切の躊躇がない動きはもはや、化物と同等かそれ以上。



そんな男が唯一傅き、頭を垂れ、守る主人。



それが目の前の彼女だと言われて、信じる人間は一体何人いるのだろうか。




何よりも。




「……焼印は、」




焼印は、どこにあるんだろうか。




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