バイオレンス〔主観〕

【殴りの日】

「パンチ! パンチ! パンチ! 脇を絞って、クソ親父の顔をえぐるように……打つべし、打つべし!」

 オレは、自分の部屋の鏡に映る自分に向かって幾度も、一撃必中のイメージトレーニングを重ねる。

 別にオレは、女子プロボクサーを目指しているワケじゃない。


 カレンダーに赤マルで印をした、もうすぐ訪れる特別な国民の日──【殴りの日】に備えて、クソ親父の顔面に叩き込む渾身の一撃のために、練習を重ねている。

「クソ親父! わたるの野郎! ドロボウ親父! 娘のパンツ盗みやがって!」

 ショートパンツと、ピンク色のTシャツ姿のオレは、壁のハンガーに掛かっている女子制服を横目で眺めながら、ペットボトルの水を飲む。


 オレは女だ、でも持久力では男子に負けていない。

(『いぶき』も、あの細い男の腕で殴ってくるのかな?)

 いぶきと言うのは、オレの幼馴染みの軟弱男子だ、小さい頃はいつもピーピー泣いていた。


「さてと、【殴りの日】のために練習、練習」

【殴りの日】は、気に入らない相手を一発だけ、強打するコトが許されている。

 気に入らない相手が多ければ、その人数分だけ一発づつ殴るコトができる。


 殴る時は拳でも打撃具でも構わない。殴られる相手も黙って殴られるばかりでなく、相手の打撃を防御するコトが認められている──ただし、反撃して殴り返すコトは認められていない。

 殴り返して返り討ちにしたら、傷害致死罪が適応される。


 オレは、政府の広報ホームページからプリントアウトした、【殴りの日】の概要を再確認する。

 憎い相手を殴るのは一発のみ、防御する側も反撃はナシ。

 そして、互いに遺恨を残してはならない──さらに【殴りの日】の最大の特徴は、一撃で死亡しても殴った側は罪には問われないというコト。


 そのために、その一発のために。恨みがあっても国民は耐えて耐えて、殺傷事件が激減した。

「いぶきのヤツも、やっぱり、なんらかの恨みをオレに抱いているんだろうなぁ……半分食べかけのたゼリーをくれてやった時の恨みか? いぶきが男子トイレで小用をしていた時に、背後から忍び寄って『膝カックン』してやった時の恨みか?」


 本人が気づいていない恨みを、他人が抱いている場合もある。

 それは、悪人でも善人でも恨まれるコトに変わりはない。


 アイドルグループのセンターの女の子が、自分が推していた女の子に選ばれなかったコトに恨みを抱く者。


 ファストフード店で騒ぐ子供や学生が、目障りでうるさいと、内心殺意を秘かに抱く者。


 高齢ドライバーの運転マナーにイラつき、高齢ドライバーを無差別で【殴りの日】に殴るコトを決意する者。


 自分よりも優秀に感じた者を妬み【殴りの日】に備えて準備を進めている者。


 人によっては偽善者に見えてしまう、心の優しき著名人に嫉妬する者、など何気ない日常の中で人の恨みは渦巻く。


(とにかく【殴りの日】が制定されてから、毎日が誰かの恨みを買ってはいないか? 確認の連続だよ)

 オレは、近づく【殴りの日】に備えて、一撃必中のパンチをクソ親父、渡の顔面に繰り出す準備を進めた。


 そしてついに【殴りの日】当日がやって来た。

 朝から緊張する一日のはじまり、制服に着替えて玄関にスカート姿で座ってスニーカーを履いていたオレは、背後に感じた気配に迷うことなく、すばやく立ち上がると体を反転させて。

 鉄拳を背後にいた、人物の顔面にめり込ませた。

「あめぇんだよ! ドロボウ親父!」

 頭にオレのイチゴ柄パンツをかぶった、変態親父はドッとフローリングの床に倒れて動かなくなった。

 親父の手から、握っていた〝すりこぎ〟が床に転がる。

(そんなモノで娘の後頭部を殴ろうとしたのか……娘を気絶させて何をするつもりだったんだ? 親父、オレのパンチで死んだかな? まっいっか、今の反転パンチを天誅パンチと名づけよう)


 オレは緊張を保ったまま外に出た。

 外では、すでに殴る者と防御する者の、攻防がはじまっていた。

 ゴミステーションのルールを守らないワーキングガールと、いつも注意をしていた主婦がボクシンググローブをはめた手で、クロスカウンターの相打ちを決めて。

 立ったまま白目を剥いて気絶していた。


 いつも通学で使っている公園内を横切る途中では、男性老人と四人の園児が戦っていた。

「くそジジィ! いつも、いつも、ウゼェんだよ!」

 女児のパンチを男性老人が、腕に巻いたクッションで防ぐのがオレの目に映る。


 渾身の一撃を防がれて、舌打ちをする女児。

「チッ!」

 老人が油断した瞬間、一人の男児が、老人の脇腹目掛けて痛恨のパンチを叩き込む。

「ぐはっ……」

 屈んだ老人の背中に、別の男児が必殺の跳びひざ蹴り。


「くたばれぇ! ジジィ!」

 背中を押さえて、地面に倒れた老人の後頭部に向かって、最後の男児がトドメのひじ打ちを浴びせ、老人は沈黙した。


 園児たちは、清々しい表情で会話しながら、歩いていく。

「あたしのパンチ、不発だった」

「ドンマイ、また来年ジジィを襲えばいいから」

「幼稚園の先生も、ボクたちを殴ってくるかな? 日頃のうっぷんで」

「その時は、みんなで先生を袋叩きにすればいいよ……園児は反撃しても罪にはならないから」

 笑いながら去っていく黄色い帽子の園児たちに、オレは日本の将来を見た。


【殴りの日】は一日中、あちらこちらで、殴る者と防御する者の姿があって、救急車のサイレンが鳴り響いた。

 夕暮れの帰宅路、幸いオレを殴ってくる者は誰もいなかった。

 いぶきは学校を休んでいた。

 オレは今日のために用意した、金属バットに有刺鉄線を巻いたモノを手に歩く。

(結局、いぶきのヤツ、ビビって学校に来なかったな)


 そんなコトを考えながら歩いていた、オレの視界の隅に、ものすごい勢いで向かってくる黒い物体が見えた。

 建物の解体に使われる、クレーン鉄球が横殴りでオレの体を吹っ飛ばす。

 空中に吹っ飛んだオレは、クレーン車の運転席で薄笑いを浮かべている『いぶき』の姿を見た。


(そうか……こういう打撃もありだよな……これが青春か)

 涙を流しながら、道路を挟んだ民家の壁に激突したオレは……死んだ。


  ~おわり~

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