求めすぎの行き着く先は地獄


 みんな、あれもこれも求めすぎだ。そう思うことがある。


 特に人に関してのそれは酷く、生まれたときからそれは始まる。


 まだ歩けなければ、


「早く歩けるようになれ」


 まだ話せなければ、


「早く話せるようになれ」


 と言われる。


 学校へ入れば、


「もっといい成績を取れ」


「いい高校や大学へ行け」


 とばかり言われる。


 あまりにハードだ。その道を歩んでいく過程で、世の諸人が望む正道から脱落してしまう人間が出てしまう。この過酷さからして、当然の理だろう。




『沙石集』という鎌倉時代の説話集に、こんな話があったことを思い出した。


 昔、年ごろになった娘を持ったネズミの夫婦があった。


 ネズミの親は、


「どうせ婿を取るなら、天下に並ぶはずもないヤツにしよう」


 と思い立ち、太陽や雲、風と縁談をすることになる。


 だが、太陽や雲、風は自分の弱点を理由に、ねずみの娘の婿になろうとするのを拒否してしまう。


 ネズミ一家は、風に勧められた筑地婿になってもらおうと考える。だが、ここでも、


「我々壁は風を防ぐことはできますが、ネズミに食われたらどうしようもないですよ。だから、婿はネズミにした方がいいんじゃないですかね」


 と言われた。


 このことを承けて、ネズミ一家は、


(もしかしたら、ネズミって結構強いんじゃないか?)


 と思い立って、最終的には同類のネズミを婿に入れた。


 非力なネズミが「最強の婿を取ろう」と思い立って、強力な自然や人工物に縁談を申し込む。けれども、短所を理由に断られてしまい最終的には同類のネズミを婿に取る。


 この構図から、話ができた当時は、


「分不相応な家柄と縁談をしても、必ずどこかで無理が出ますよ。だから、相手は釣り合う相手としましょうね」


 ということを伝えたかったのだろう。


 シンデレラのように、いい家のお姫様になれた。だが、生まれた子供はよほどのことがなければ跡取りになれない。中古から近世初期までの社会では、母親の実家の資力でその子の将来が決まっていた。源頼朝や織田信長が三男でも家を継げたのはそのためだ。


 身分制度が無くなった現代社会

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