「ひとりぼっち」と私の世界

「ひとりが好き」


 これの何が悪いのだろうか?


 私は普段一人でいるのが基本だ。子どものころから団体でいると、違和感を感じることがよくあったからだ。そのためか、知り合いとどこかへ行くとき、必ずと言っていいほど、知らないうちにはぐれてしまう。


 このことについて、縁を切った知り合いからは、「浅野くん勝手にどこかへ行かないで!」とよく怒られていたものだ。


 私にとっては、置き去りにしているように思えた。みんなどこかへ行ってしまうし、ちゃんとチェックしないから。


 この出来事を私とよく遊ぶ友達に話したところ、


「独立心が強いんじゃない?」


 と返ってきた。


 私は今までの行動を振り返ってみる。確かに、「自分の世界を持っている」と他人からよく言われる方だ。それに、やりたいこと、興味を持ったことがあると、そのことばかりを考える。


 どうやら、普通の人が干渉できないほど、広い世界を持っていることは確からしい。


 後でわかったのだが、その世界は、私が何か好きなことを見つけたり、この人いいな、と思える人と出会ったりすると、広がっていくもののようだ。


 私はいつも一人でいるので、先生やクラスメートが、「浅野くんはなぜいつも一人でいるのかな?」、「いい加減友達作ったら?」と哀れむような声色で聞いてくることがよくある。


 正直余計なお節介だ。私は好きで一人でいるのに、あたかも「誰かと一緒にいないこと」が罪のように聞いてきて、余計な罪悪感を植え付けさせてくる。誰かと一緒にいるのも一人でいるのも個人の自由なのに。


「一人が好き」ということの何がいけないのだろうか? 常に誰かと一緒にいる人たちですら、そう思うことがあるというのに。


 私は「一人が好き」ということに関して、悪いことではないと思っている。むしろ、誇るべきことだとさえ思う。


「一人が好きな人」の心の中には、誰も邪魔することのできない「自分の世界」がある。


 その世界は、広く様々なもので満ち溢れていて、それらを構成しているものは、自分の感性で、「美しい」、「カッコいい」と思ったもの。好きなことと「情熱」だ。


 これらが集まって、周囲の人間や環境といった、外的な要因ですぐに崩れ落ちてしまう不安定な世界を支えている。耐震構造のビルや、100人載っても潰れないプレハブ小屋のように強固な造りだから、崩壊の心配はほとんどない。


 だからこそ、一人でも振り返ったりすることなく、ひたすら前へと突き進める。誰かから心ない罵詈雑言を浴びせられても、何事も無かったかのように自分の求めるモノへ向かって走り出すことができる。しっかりとした自分という軸があるから、誰が何と言おうと信念を突き通せるのだ。


 それゆえに、一人が好きな人は強く、美しい。



 だから、「一人が好き」ということを胸を張って言ってもいい。たくさん遊び、勉強して、自分の中に広がる世界を豊かにしていこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る