体育祭は公開処刑

 1ヶ月前までは蒸し暑かったのに、今では動くのに調度いい気温の日が続く10月。運動会や体育祭が行われる学校も多いだろう。終わったところでは、文化祭の準備を始めているところだろうか。


 私は運動会や体育祭は嫌いだった。


 小学生のころは体力もあり、足も速かったので楽しいと感じていたが、中学生のときから体育祭が嫌いになった。周りが運動部に入って体力をつけたり、運動能力が高まったためか、私の運動音痴が目立つようになったからだ。


 私の運動音痴レベルはどれぐらいなのかというと、まず逆上がりができない、そして体が硬いため側転と逆立ちができない、瞬発力がないうえに足も遅いといったありざまだ。


 当然私が戦力にならないのは周知の事実であったので、それほど期待はされていない。そのため、当日の種目に関しては、いつもの調子で種目に挑んでいた。


 だが、当日の種目よりもきつかったのが、応援練習だ。


 十分声が出ていても、「もっと声を出せ!」と実行委員から怒鳴られ、ダンスの振り付けがぎこちないだけでも、「もっと上手く踊れ!」と言われ、指導を受ける羽目になる。


 最後の体育祭をより良いものにしたい気持ちはよくわかる。だが、その人の性質を無視してまで、「もっと声を出せ」、「今よりももっと上手く踊れ」というのはいかがなものかと当時の私は考えていた。


 大きな声を出したり、踊ったりするにしても、人の能力や性質には限界がある。このような背景から、「もっと声を出せ!」と言われた人物が出した声の限界が、その大きさだという可能性も否めない。「今よりももっと上手く踊れ」と言われた人の身体能力に関しても同様だ。


 きつ過ぎる応援練習のためか、放課後に行われる応援練習の後は、心身ともに疲弊しきっていた。おまけに部活もあったので、帰ったころには宿題どころではなく、布団の上でぐったりとしていたものだ。


 それよりも地獄だったのが、最後に行われる「フィナーレの会」だ。「地獄」というよりは、「気まずい」と言った方がいいかもしれない。


 どのようなことをするのかというと、男女一列になり、グラウンドを一周しながらハイタッチをするのだ。


 女嫌いな私にとっては拷問だった。


 肉体も精神も摩耗しているところで、嫌いな女子とハイタッチしなければいけないのだ。健全な男子生徒諸君にとっては、合法的に触れられるから嬉しいだろうが。


 私からしたら、『To loveる』の古手川さんのように、「ハレンチです!」と叫びたくなる案件だ。


 とにかく、体育祭は世間一般に「リア充」と呼ばれる人間にしか楽しめる要素しかない。それ以外は蚊帳の外なのだ。


 声が出なくても、踊りが上手でなくても、力になろうとする気があるならそれでいいではないか。最高の体育祭は勝つことだけじゃないから。そして、体育祭が終わればゆっくり休める! 休みを楽しみにして無理なく頑張って行こう。

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