十九話 旅の始まり

 僕らは歩いていた。


 見えるのは、照りつける太陽。

 辿り着けないオアシス。

 風になびくマント。

 そして……


「砂漠ーーーっ!!」


 ノンの叫びは一面の砂の世界へと、吸い込まれていった……



 時を遡ること数時間前。夜明け。

 指定された時間の通り、集合場所である軍用車両庫へ向かうため、僕は早朝に起床した。

 各々昨夜のうちに、支度や身近な人たちへの挨拶を済ませている。今回の旅について知っているのは、軍の上層部と僕らの隊長たちくらいだ。どうやら極秘任務的な扱いであるらしく、最低限に留めておくよう言われている。僕やリアンは元々交友関係が広くないので困らないが、ノンはどうだろう。言い訳を考えるのに苦労しそうだ。

 リアンは挨拶をしておく相手がいたのだろうか?彼女は僕と同じく孤児なので、親族はいないはずだ。僕ら以外と仲良くしている様子も見たことがない。あるとすれば……食堂のシェフたちとか?

 僕の場合はアフェット隊長と、その家族だ。彼には妻と娘が一人いる。この国へ来て学校の寮へ入るまでの間、僕が世話になった人たちだ。学校へ行ってからも、定期的にその家に行っていた。隊長の奥さんは優しく明るい人で、突然やってきた孤児である僕と会い、一番初めに聞いたのは「好きな食べ物は?」だった。僕がその時答えた料理は故郷特有のものだったらしく、作られることはなかったが、食べさせてもらった料理はどれも美味しく、自然と笑みが溢れてしまうほどだった。「美味しいものを食べれば、体も心も温まる」という言葉は、彼女の口癖だった。そうして僕を迎え入れてくれたのは娘の方も同様だ。当時、僕は十歳、隊長の娘は三歳で、年は離れていたがよく懐いてくれていた。僕の髪を「きれい」だと言って、他の大人たちや少し知識のある子どもたちとは違う反応をしていたからか、僕自身も彼女に対して壁を作ることはなかった。成長してからも彼女はその反応を覆すようなことはなく、今も元気に過ごしている。


「しばらくの間、会えなくなります」


 彼女たちは寂しそうな顔をしていたが、最後には笑顔で送ってくれた。それを見て僕は、必ず巡礼祭を終えて帰ろうと改めて決意した。

 アフェット隊長には既に挨拶を済ませていたのだが、自室を出ようとしていた時に彼の方から訪ねてきた。


「忘れ物だぞ」


 そう言って僕に渡したのは、通信機だった。そういえば、技術部にメンテナンスを頼んでそのままだった……わざわざ届けに来てくれたようだ。僕の物だけということは、リアンは自分で取りに行ったのか?僕にも言ってくれればよかったものを。


「失念していました、すみません」

「そこは謝るよりも、ありがとうの方がいいな」

「あ……ありがとうございます、隊長」

「うん」


 僕は通信機を受け取って、いつもと同じように左耳につけた。けれど、この後はいつもと同じにはならない。

 少しの間、互いに沈黙していた。先にそれを破ったのは僕だ。


「アフェット隊長」


 何か言おうと思ったのだが……言葉が出てこない。すると、隊長が僕の方に手を置いた。


「こういうときは、いってきます、だろ?」

「……そうですね」僕は隊長の目を真っ直ぐ見る。「いってきます」

「ああ、行ってこい」


 彼はいつもの快活な笑みで、僕を送り出した。


 寮の外へ出るとリアンがいた。寮の外壁にもたれかかっている。いつもの軍服にいつもの軍帽。僕も同様に、服装はいつも通り、武器も装備済みだ。

 基本的に、必要なものは現地調達することが前提なので、旅行鞄を持ち歩くような必要はないとアルフェに言われていた。リアンなら自分用のおやつくらい隠し持っているかもしれないが。

 僕に気付いたリアンが手を一度だけ振る。


「おはよ」

「おはよう……ノンは?」まさかまだ寝ているのか。

「ん」


 リアンが視線を向けた先を追うと、広場の隅に置かれたベンチに座って寝ていた。僕が近寄っていくとその足音で起きたのか、ノンは目を開けた。


「……おっす」まだ寝ぼけ眼だ。

「おはよう。まだ眠そうだな」

「水でもぶっかける?」


 いつのまにか僕の隣に来ていたリアンがそんなことを言う。挙げた右手にパシャパシャと水が集まり始めた。本気でやる気か?

 その様子を見て、ノンは眠気など無かったかのように元気よく立ち上がった。


「いや!完全に目が覚めた!」

「だとさ。それは必要ないぞ」


 リアンは「なんだ」と言って、魔術で集めた水を誰もいない芝生の上にばら撒いた。

 彼女は魔術を扱う時、僕らのように魔術陣を出さない。正確には目に見えないだけなのだそうだが、僕は今までリアンの魔術陣を見たことがない。陣を可視化せずに魔術を操れるのは上級者の証らしいが、彼女が実際どの程度のレベルの魔術を扱えるのかはよく知らない。そもそも魔術よりも物理的な戦闘力が必要とされるのが特化討伐部隊である。単に披露する機会がなかったというだけか。

僕は空を見上げた。まだ夜が明け始めたばかりで、白んでいる。


「……行くか」


 僕は二人に声をかける。そして僕らは集合場所である軍用車両庫へと歩き出した。


 車両庫には既に総統……いや、アルフェが来ていた。昨日「総統閣下」とは呼ばないように再三注意されたのだ。まあ、この姿のままなら仮に呼び間違えても、正体がバレる事は無さそうだが。


「おはよう、みんな」

「おはようございます」と僕が言うと、アルフェがビシッと指を差した。

「敬語も使わないようにね」にっこり笑って注意される。

「す、すみま……あ、いや、すまない」

「倫、お前もしかしてまだ緊張してんのかー?」


 ノンはいつもと変わりない様子で、僕の背中をバシッと叩いた。全く緊張していないと言えば嘘になる。


「……お前は気楽そうでいいな」嫌味ではなく、単に羨ましい。

「俺までお前みたいになってたら困るだろ!主にリアンが!」

「そうだね。しっかりして」


 リアンもいつも通りの無表情ぶりだ。変に構えすぎても良くない、とは分かっているがこの二人のように緊張しなさすぎるのもどうなんだろう。

 そんな僕らのやりとりを見て、アルフェが声を上げて笑った。


「あははっ……仲が良いね。リアンとノンを同行させて良かったよ」


 僕は少し照れ臭くなって、頭を掻いた。アルフェはやはり、僕に対する気遣いで二人を同行者として選んだのだ。たしかに、二人がいなかったら無言の時間が圧倒的に長くなりそうだ。想像するだけで息苦しい……

 アルフェが「こっちに来て」と言って、僕らを一台の軍用車両の前に案内した。見た目は民間でもよく見る汎用車両に近いが、一回りほど大きく見える。


「これは自律式の新型車両。これに乗って、玄の国を出るよ」


 ドアを開けて、中に乗り込む。席は対面で、四人は余裕で乗れる。荷馬車から馬を無くして、代わりに魔術式を組み込んだようなものである。とはいえ木組の荷車に比べたら、もちろん見た目はゴツい。普段使われる車両は、運転席に人が乗り込んで直接操作する必要があるが、これは術式に経路を設定して魔石を燃料に動くようだ。新型というだけあって、内装は真新しい。


「おお、これが噂の新型車両!」とノンは興奮気味にあちこち見ている。

「技術開発部から借りたんだ。……少し待ってて」


 アルフェは運転席の制御盤で何かしている。おそらく、経路を設定しているのだろう。

 僕とリアンが向かい合い、リアンの隣にノンが座った。僕の腰に下げていた双剣は外して、天井の荷物置き場に固定しておく。


「お待たせ」


 戻ってきたアルフェが僕の隣に座ると、車両が動き始めた。車両庫を出て、朝を迎えたばかりの静かな街中を走っていく。


「それで、目的地は?」


 リアンがアルフェに問いかける。


「うん、これで移動している間に話しておこうか」


 アルフェは地図を取り出して僕らに見せる。


「今回の巡礼祭は、ボクらに加えてあと三人の参加者がいるんだ。そのうちの二人は翠の国で合流する予定だけど、残りの一人は蒼の国にいる」


 地図上に光の軌跡が描かれる。アルフェの術だろう。光の筋は「玄」から南へ向かい、「蒼」に繋がる。


「まず、ボクたちは蒼の国でその一人と合流する。最初の目的地はここだね。その後翠の国へ向かう」

「わかった」


 リアンはそれだけ言って、窓の外に目を向けた。

 僕もそれにつられるようにして、窓に視線を移した。もう既に商業区を抜けて居住区に入っている。夜が明けたばかりで薄暗い街並みは、まだ眠りの気配に包まれている。

 これから蒼の国へ……か。移動だけで丸一日かかりそうだ。


「途中でこの車両を降りるけど、それまで長いから、今のうちに寝ておいた方がいいかもしれないよ」


 とアルフェが言うが早いか、ノンは既に船を漕いでいた。やっぱりまだ眠かったんだな……

 僕はといえば眠れずに、窓の外を見続けていた。窓に映るリアンも、目を開けている。そして、彼女と窓越しに目が合ったような気がして……僕は突然、目蓋の重みに耐えられずに目を閉じ、意識を手放した。

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