Sixteen.Nineteen.
黒不素傾
蕩非行(とうひこう)
夕焼けが焼き付いたような色の街灯が、夜景を作る幹線道路。そこには、都心から逃げるように帰路につく車列が生まれ、彼らは、渡鳥の一群のように規則正しく、道路をなぞる。
愚直めいた渋滞に囚われた私は、刺さる様なブレーキランプの群に目を細めるしか出来ずにいた。
金曜日の夜。10時半を時計が示した頃。
ラジオの交通情報が伝えるには、もうすぐ、この混雑から抜る事が出来るらしい。
夜の渋滞は、排気ガスが車のライトで浮かび上がり、ホラー映画の演出のように辺りをぼやけさせ、車内という密室を、より深く外界から切り離し、際立たせる。
手持ち無沙汰でいじったラジオは、どの局も下らなくて、どうでもいい話ばかり。加えて、運転手の彼は、この渋滞で苛立ち気味。
それを窓ガラスの反射越しに眺める私だけが、高揚と焦燥で浮き足立っていた。
私と彼の関係は、複雑なようで……。単純に言い表す事もできる。平たく言えば、彼は、私の片想いの友人。
正確に言うならば、友達の兄で、ちょっと不良が入った、優しく素敵な人で、私の白馬の王子様だ。
王子様……。と言っても、彼のした事は、普通に犯罪行為だ。しかも、その手口は、海外の工作員が人を誘拐するそれと大して変わらない。
それらと大きく異なるのは、誘拐の対象である私が、依頼主であり、犯行の際も従順に、彼の指示に従った事だろう。ただ、行方不明で構わないので、狂言誘拐とも違う。
私自身は、これを勝手に駆け落ちだと思っている。
ゆるりと車列の蠢きに合わせ、私たちの車も道を進むが、僅か数メートルで、また赤色灯が世界を染める。
パァーッ!
突然。どこかの誰かが、近くでクラクションを鳴らした。大きな音は嫌いだ。心理的には、殴られるのと大差がないので、怖い。
唐突な騒音で、身体は勝手に跳ねるし、過剰反応気味に、冷や汗が止まらなくなる。挙句に、頭の中がこんがらがって、思考すらもおぼつかなくなってしまう。
やっとのことで、自制心を繕い、落ち着きを取り戻す。すると、今度は、今の一部始終を見られていた、という恥ずかしさと、見られたかどうかを確認したい衝動が沸き起こった。
ふっと沸いた衝動だ。抗うという発想もなく。それを満たす為、息を整えながら、彼を様子を伺う為に振り返った。
外から車内に戻る視界。そのすぐ目の前に、彼の手があった。
何故、伸ばしていたのかは分からない。髪を撫でたかったのか、ダッシュボードの中に用があったのか……。
なんにせよ、目の前に迫る、男らしい大きな手。節榑立った男の手。
それを認識した途端。私は、パニックに陥った。
咄嗟に、その伸びた腕を避けようとして、彼の手を振り払う。
パシリと手の甲に彼の手が当たった。
やってしまったという後悔が、全身の血液を凍らせなように襲い、その恐怖は、一瞬で脳味噌を咀嚼した。
過剰な反応なのは自覚してるが、私の人生経験は、この行為の代償は必ず、痛みを伴った報復で払わされる事を告げる。人を不快にした。それは、めちゃくちゃに殴られても仕方ない事で、当然、殴られるだろうという事を、条件反射で覚悟してしまう。
焼け切れそうな理性は、それでも、彼は絶対にそんな事をしないとも、確信している。
だか、それ以前の私の体験から体に染み付いた癖は、咄嗟に頭を庇い、何十回もの謝罪の言葉を叫ばせた。
当然、彼は、アイツらとは違う。拳打も、罵声も無く、「良い、スナップだった」と手をひらひらさせ、笑うだけ。
「ごめんなさい………」
「そんな何度も謝らないでもいいよ。俺が驚かせちゃったんだから、自業自得さ」
そう言って、はにかみながら彼は前方を向き直る。
「ありがとう……ございます」
優しさと、飄々とした態度で私に接する彼。彼の持つこう言った面は、私の知るどの年長者のタイプとも異なり、心底、理解の出来ない魅力に満ちていた。
そして、得体の知れないその魅力に充てられると、調子を狂わされ、絆される。
ゆるりと車列が動き、程なくして、ついに渋滞を抜けた。
本来の車らしさを思い出したかのように、窓の向こうの風景が流れだし、消されたテレビ画面みたいな闇の中に、ぽつりぽつりと、ライトで無作法に切り出された安ホテルが横切ってゆく。
この道路は、道こそ、煌々と照らされている反面。それ以外は漆黒に包まれていて、寝ぼけ眼のような夜道だった。
ヘッドライトが、夜道を切り開いている様を眺めていると、どこからとも無く、夜風が髪を撫でた。そして、すぐ、澄んだ空気と物悲しげな冷気に、タバコの匂いが混じる。
どうやら、換気の為に、彼が窓を少し開けたので、風が入ったようだ。
彼は、私の知る他の大人同様に、喫煙者だったが、彼が吸うのは、鮮やかな青色の箱のタバコで、他の大人の物とは、違う匂いがする。タバコの煙は大嫌いなのだけど、彼のだけは、耐えられる程度に心地良い。
何気なく目を向けたガラスに。そこに写る自分と目が合った。
その顔は、いつの間にか微笑み、久しぶりに自分の笑顔を見た。
しばらくして、二人は高速道路へと進み、夜間の空いた2車線道路を、二人の乗る純白の車は、頭上の月や、夜明けから逃げるように、アテも無く、延々と西方面を目指す。
彼は、運転の技術にも自信があると公言していた。事実。確かに運転が上手く、車を右へ左へと巧みに操り、遅い車をどんどん追い抜きながら道路を駆け、それはまるで、映画のカーチェイスみたいだった。
追っ手がいるわけでは無いけど、逃げているのは事実だ。
逃げているのは、ギャングや警察じゃなくて、もっと、運命みたいなヤツ。抽象的で、掴みどころが無く、一人ではとても敵わないような相手だ。
「次のサービスエリアで止まろう」
気がつけば、渋滞を抜けてから、1時間以上も経っていた。どうりで、座った姿勢に疲れを感じるわけだ。
彼の提案に、「はい」と小さく頷く。
断る意味は無いし、断る権利も無い。私は、彼がいなければ何も出来ないのだから……。
道路上の看板には、直近のサービスエリアまで、3kmとあった。
そのサービスエリアは知らない名前。それどころか、既に見たことも、聞いた事無く、地名も読めないような、土地にまで来ており、この頃には、焦燥は薄れ、不安と解放感が入り混じった酩酊へと、私の心境は変化していた。
そんな自己分析をしていると、サービスエリアには、あっという間に到着した。
「うわぁ。すごい」
思わず声が漏れた。
本線から外れ、カーブを曲がった途端。目の前に、太陽の骨組みみたいな、ライトアップをされた観覧車が現れたのだ。
「休憩がてら、乗る?」
感嘆をあげる私に、駐車する場所を探しながら、彼が尋ねた。
私は、自身の胸が高鳴りを感じながら、二つ返事で、同意したものの、いざ、近づいてみると、とっくの昔に観覧車の運営時間を過ぎていて、停止していたので、断念した。
車を停め、伸びをする彼。
時刻は、日付が変わって間もなく。深夜の一層静まった空気を胸一杯に吸い込むと、肺から背すじへと、冷めた高揚感が突き抜けた。
チッ、チッ、チッ。
彼の車も疲れていたらしく、停まったエンジンがそんな音を立てていた。
小休止。澄んだ夜風が誘う、背徳感を根底に据えた興奮。現実離れした静寂。少し狂った気持ちになる。
ゴドン!
自販機の中で缶の落ちる音でさえ、夜空にまで響き、車中泊の人々を起こしてしまいそうだ。
「ほい。どーぞ」
「ありが……。あっちっち!」
貰った缶コーヒーは、灼熱で、あわや落としかけた。すぐ機転を利かせて、パーカーのポケットを利用して、コーヒーを持ち直す。
彼は、それを、始終笑って見ていた。
カシュリ。
飲み口を空けると、そこから湯気が立ち昇る。我先にと這い上がるような白いモヤ。
陰鬱な閉鎖空間から、開放される気分は、最高だろう。私も同じだから、共感できる。
コーヒーを一口飲めば、ミルクと砂糖で甘く、口内から喉、お腹へと、温かい液体が、幸福を浸透させながら降りて行く。
ふぅと吐く息も、霧のように白い。ふざけてタバコの真似していると、彼は、静かに言葉を溢した。
「なんか、本当に来ちまったな………」
声色と言葉尻に、若干の罪悪感が混じった物言い。
「はい。来てしまいました。もう、誰の手も届きませんね」
私は、努めてはっきりと皮肉を言った。 含みを持たせたその言葉に当てられて、彼の目線は、私の体を這う。
そこに色っぽい意味は無く、純粋な心配から向けられていて、少し申し訳なくすらもある。
もし、彼の目に透視能力があるのならば、身体中の痣とかミミズ腫れが見られてしまうのだろう……。その時の表情を見たいようで、見たくない。
ただ、その時、彼がどんな顔をしても、彼は、すぐに私を気遣って、優しく慰めてくれる。それが分かるからこそ、彼の目線を浴びるだけでも、堪らなく嬉しい。
それこそ、バレリーナみたいに、駐車場中をぐるぐると周りたい気分だ。
「今なら………。いや、これから………。うーん。何でもない」
彼は、歯切れ悪く、釈然とさせてくれないまま会話を途切れさせ、車のボンネットに腰掛けた。
自身の缶コーヒーを、地面置き、入れ替えるようにタバコを咥える。
「まぁ、ハクナマタタ、だな。気にしてもしょうがない。なるようなるし、なるようにしかならない」
「そうですよ。なんだって、自由に選択する余地がありますから! なるようにしましょう」
私の言った事の揚げ足取りなのか、彼は、紫煙を燻らせながら含むように笑い、タバコを持った手を、私に向けて差し出した。
肩と眉のコミカルな仕草の意味を、意図せずとも、分かる。ソレも、どうするか、自由に選んで良いんだ。
火のついたタバコを受け取とり。咥えた。
チュー。
何故かシェイクでも、吸うような音がして………。
「ゲッホ。ゲホ、ゲホ」
「あははっ…………一気にいくなぁ。かっこいいな。お前」
ボンネットに寝そべってしまいそうな勢いで、ケラケラと笑う彼。
私に、それを構う余裕は無い。とにかく、煙い。そして、
ついには、立っている事もままならなくなり、千鳥足で、車へと戻る事を余儀なくされた。
ガラス越しに手で、「ごめん」とは言っているが、喫煙を中断してまで、気を使うつもりは無いらしい。
ぐわんぐわんする頭。取り留めの無い単語が脳内を旋回し、ある事に気がついた。良く考えてみれば……。さっさのは、間接キスだった。とかそんな事だ。
なんなら、現在進行形で、彼は私と、間接キスしてる。体調を崩した私をほったらかした状態でだ……。
そうだ。彼は、会った時からそうゆう人間だった。自分勝手で、自由を謳歌し、そして、何より自分の生き方を大事にする。
馬鹿の巣窟で、その日暮らしの毎日だった私からすれば、それは雲の上のような存在で、憧憬であり、そんな彼が、私のSOSを、二つ返事で受けてくれた時、正直。理解が出来なかった。彼が、私に一番優しくしてくれた人ではあったけど、そんな事で、本気で心酔する程、自分が馬鹿だとは思っていなかったし、彼にとっては、面倒で、迷惑でしかない、戯言だったはずだ。でも、彼は、私の願いを聞き溢さなかった。
その、私の頼みの所為で彼が、何を捨てたのかは分からないけど、私の全てを捧げれば吊り合う物だと、祈るばかりだ。
もしかしたら、私のこの気持ち自体が、彼の重荷になるのだろうか?
でも、どうだろう。
私は、彼と同じように自由に物事を決めれるのだ。それなら、彼のように、自分に正直に振る舞ったて良いはず。
最後の一吸を終えた彼は、タバコを投げ捨て、この車へと乗り込んできた。
相変わらず、頭はぐわんぐわんしているけど、大丈夫なフリをする。
そうしてでも、もっと前へ、もっと二人だけの道を進みたい。
車が動き出したら、それとなく、行き先を聞いてみよう。決まっていれば、ついて行くし、決まってないのならば、「貴方が、連れて行ってくれるのなら、どこでもいい」そう答えるだけなのだから。
Sixteen.Nineteen. 黒不素傾 @DakatuX
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