秘密(2)

 別に安藤に助けを求められたわけでもない。安藤は俺のことすら知らない。俺は図書委員ですらない。だから、俺はこれ以上この話に首を突っ込めない。

「安藤さん大丈夫かな」

 帰るために階段を降りながら、片桐が呟いた。こいつも心配しているらしい。心配だろう。あの佐山の怒り方は普通ではなかった。佐山はもともと、ちょっとしたことを「悪いこと」としてすぐに怒るところがある。でも、普段は周りに「そんなことで怒らなくても」と言われると「みんなのことを考えて言ってるのに……」とかなんとか言いながらも引っ込むのだが、今日の佐山は様子が違った。絶対に安藤を図書室に引きずってくる。そんな迫力がある。

「水戸先生に言った方がいいかな……告げ口みたいだけど……」

「告げ口だよなぁ」

 今朝にらまれたのを思い出す。何怒ってるんだこいつ、と呆れていたが、よくわからない怖さがある。告げ口がバレたら嫌だな。1階まで降りると、片桐は職員室の方を見た。水戸先生に言おうか言うまいか、迷っているのだ。

「俺、水戸先生にやっぱり言ってくる……佐山変だったもん……」

「そうだよなぁ。俺も行こうか?」

「うーん」

 片桐は腕を組んで考えた。やがて、首を横に振り、

「ううん、俺図書委員だし、俺が行くよ。もし佐山にバレても、高見沢は知らないって言って」

「いいのか?」

「その方がいいような気がする」

 それは願ったり叶ったりだが。

「わかった。じゃあ俺待ってる」

「下駄箱で待ってて。20分しても俺が戻ってこなかったら帰っていいよ」

「いや、待ってるよ」

「ありがとう」

 片桐はにこっと笑うと、職員室の方に歩いて行った。俺は片桐が職員室の中に入って行くのを見届けると、昇降口に向かう。下駄箱で靴を履き替えて、ひとまず外に出た。靴を履き替える他の生徒があとからあとからやってくるからだ。邪魔になる。20分つまでは、俺がいなくても大丈夫だろう。そう思って、下駄箱がくまで校舎の周りを一周することにした。やっぱり寒い。ニット帽を耳まで下げると、校門と反対方向に歩いて行く。花壇かだんに花はない。この前1年生がチューリップの球根を植えたらしい。咲くのは春か。

 とかなんとか考えながらぶらぶらと校舎の裏手に入る。ここには年に2回ある大掃除の時にしか来ない。そう言えばそろそろ大掃除か。学校の周りを囲うフェンスの向こうは住宅街になっていて、自転車も車も通る。今も、知らないおばさんが驚いた顔で振り返りながら自転車をこいで走り去って行った。

 ……驚いた顔?

 何かあったのか?

 俺は疑問に思って、フェンスに近づいて道の向こうを見た。そして慌てて下がった。フェンスの外じゃなかった。内側だった。

 佐山と安藤が向き合って立っている。

「わかってるんだからね。あんなに触っちゃいけないって言ったのに。どうして私に黙って持って帰ったりしたの!」

「ご、ごめんなさい……」

 安藤は震えていた。佐山が怖い、と言う感じではない。多分、その「持って帰ったもの」が怖いのだと思う。

「……それで、何だったの。あの本」

「まだ開けてません……」

「嘘吐き! 持って帰っただけでそんなに怖いわけないじゃない! いい加減にしてよ!あんたがやったのはいけないことなんだから! 持ち出し禁止の本を持って帰るなんて!」

 ははあ。俺はそこで事情を知った。多分、安藤と佐山が当番の時に、持ち出し禁止の本を見付けたのだろう。本好きの2人のことだから、すごく興味があった。安藤が抜け駆けしてそれを持って帰ってしまい、正義感の強い佐山がそれに激怒している……そういうことだろう。しかし、怖いってどういうことだ? 安藤はうつむいて震えている。

「開けたんでしょう。開けるなって書いてあったのに」

「ごめんなさい……ごめんなさい……わ、わた」

 私、と言おうとしたのだろう。しかし安藤はそこで吐いた。おえええ、と呻きながら更に下を向く。佐山が慌てて後ろに飛び退いた。

「何これ!」

 佐山が悲鳴を上げた。ゲロだろ。そんなに驚かなくても……と思ったが、佐山が動いたことで、何かを吐き出す安藤の姿が目に入った。それを見るなり、俺は驚きのあまり見つめてしまった。

 黒い何かを吐き出していた。今日の給食じゃない。だいたい、黒いゲロだなんて聞いたことがない。

「どうしたんだよ!」

 俺は思わず2人に駆け寄っていた。

「何でいるの!?」

「片桐待ってうろうろしてたんだよ。安藤、一体どうし…」

 そこまで言って、俺は安藤が吐き出したものが何なのかわかって絶句した。

 文字だ。スープにたまに入っているABCマカロニ、あれよりももっと小さくて、印刷したみたいな黒い文字だ。ざらざらと音を立てて、安藤は文字を吐き出した。小石でも吐き出すような音だった。

 俺が動いてその内いくつかを踏みつぶすと、それこそ砂のように崩れてしまった。安藤は泣きながら咳き込んでいる。

「先生呼んでくる!」

「早くして!」

 安藤の背中をさすりながら、佐山が俺に叫ぶ。俺はランドセルを放り出すと、全速力で走り出した。運動会の50メートル走では3位くらいの速さの俺だが、今だけは1位の足が欲しかった。職員室までの、そう遠くない距離がすごく遠く感じた。靴を脱いでる場合じゃなくて、俺は怒られるのを覚悟して、土足で廊下に上がった。

「じゃあ先生、安藤と佐山のことお願いします」

 職員室からは、ちょうど片桐が出てくるところだった。片桐は俺が走ってくるのを見て目を丸くする。見送るためだろう。水戸先生も後ろから出てきた。

「高見沢ぁ、上履き履けよ。どうしたの?」

「片桐! 先生! 大変だよ! 安藤が文字を吐いてる!」

「何ですって?」

 水戸先生は「吐いてる」に反応したのだろう。さっと表情が変わった。

「どこで?」

「校舎裏! いつも大掃除で行くところ! 道路から見える、校門と反対のところだよ! 今、佐山がついてるけど、早く来て!」

「立川先生! 生徒が吐いてるそうです! 一緒に来て下さい!」

 水戸先生はすぐに職員室に向かって呼びかけた。白衣を着た保健室の立川先生が驚いた顔で出てくる。

「どちらですか?」

「校舎裏です! 早く!」

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