第4話
頭上を見ると、切り裂かれたスーツはピンポン球程度の大きさまで圧縮されていた。魔方陣は凝縮され丸まったスーツに張り付くと、その効力を失った。
「封印、ですか……?」
シルは美しい裸体をキリコへ向ける。
「ま、ね。殺そうかと思ったけど、シルさんの命はカルト君、じゃないわね。クリシュナちゃんが持っているんでしょう? つまり、不死身じゃない」
「ええ、広義の意味で死を迎えますが、私にとってその死は一時の物。数時間すればまた精製されます」
「でしょぅ? それだと、私としても今後、顔を合わせづらいじゃない。カルト君からも怒られそうだし。だったら、とりあえず封印かなって思ったんだけど。やっぱり、一筋縄じゃいかないか」
そう言いながらも、気がつくと二射目を構えているキリコ。恥ずかしい話だが、彼女が矢を取り出し構える瞬間を、シルの目は捕らえられない。それほど、SSクラスのハンターの力というのはズバ抜けている。
「力の差は歴然ですが、私だって無策でキリコ様と相対しようなどとは思っていません。よって、すでに策は張らせてもらいました。小細工ですが、時間稼ぎくらいにはなります」
指先をならすと、シルはキトンに似た薄い一枚布を体に纏った。
「おお~、なんか凄味があるわ。その、ギリシャ彫刻なんかが着てるような服。なんか、本当に風の精霊っぽいわね」
「本当に風の精霊です」
周囲に突然霧が立ちこめた。その霧は、一瞬にして数メートルしか離れていないシルとキリコの位置を見失わせるほど深く、濃くなった。
「これは、霧じゃない、煙……? さっきのタバコの煙」
驚いたようなキリコの声が聞こえてくる。
音も無く、煙を揺らすことなく宙を移動するシルは艶然と微笑む。
「どうですか? これならば、流石のキリコ様も易々と私を見つける事は叶わないでしょう」
「気配を消して、声をあらぬ方向から響かせているわね、風の精霊らしいやり方……」
人であるキリコは、目の前で鼻を摘ままれても分からないだろうが、精霊であるシルには、煙の中でもキリコの姿はハッキリと写っていた。シルは両手を口元にもって行きお椀を作る。フッとそのお椀に息を吹きかけると、一枚の呪符が現れた。
「悪く思わないで下さいね、キリコ様」
呪符を指先に持ったシルは、それを深い霧の中へ放った。キリコの頭上に音も無く移動した呪符は、そこで霧散した。
キンッ
甲高い音が空間を振るわせた。キリコの今いる場所を中心にして、結界が張られたのだ。眼下で慌てて走るキリコの姿が見えた。青い円錐形の結界に触れると、キリコはコンコンと拳で叩き、次は風錐の本弭(もとはず)の部分を結界に突き立てる。
「うっそ、硬い……。これって、絶?」
キリコの攻撃を悉く弾いた結界は、大地が特別に認めてくれた呪符に込められた『絶』と呼ばれる結界だ。あらゆる攻撃を無効化する強力無比な結界だ。外部からも内部からも破壊困難な結界で、これがある限り何処へもいけない。
「大地様の助力を頂きました。結界士である大地様には遙かに及ばぬ力ですが、キリコ様の足を一時止めるだけなら十分かと」
「なるほどね。参ったわね」
弦をつま弾き、張り具合を確認したキリコ。言葉とは裏腹に、彼女の龍因子がこれまでにないくらい高まった。
「んじゃ、仕方ないわね。いかに二番煎じ、三番煎じの絶といえども、破るのは結構大変だし。だったら、シルさんをどうにかしちゃおうかしら」
目にも止まらぬ早さでキリコは矢を射る。どの矢も、大した力の込められていない矢だ。見当外れの場所に飛んでいく矢だったが、その矢は結界に当たる前にピタリと動きを止めた。
(何が起こる……?)
中空で動きを止めた矢。矢尻の部分が仄かに光り輝いている。この矢に何か仕掛けがあるのは確実だ。ヘタに攻撃を加えてしまえば、キリコはシルの位置を特定してしまうだろうし、自爆型の矢だとしたら、こちらがダメージを負いかねない。どうすべきか。逡巡した一瞬、こちらを見上げたキリコと目が合った。
「ッ!」
煙は張れていない。気配も消しているし、風の流れも止めている。キリコにこちらの場所を知る手立てはないはずだ。
「動揺したわね? その矢から、シルさんの動揺を感じたわよ。私、こう見えても結構敏感で感じやすいの」
ペロリと、キリコはルージュの引かれた唇を舐めた。
危険だ。そう感じた瞬間、シルの左足が炸裂していた。簡易結界が反応したのも、一瞬だけだ。シルの意識が反応するよりも早く、キリコの矢は簡易結界を貫いていたのだ。バランスを崩し、シルは地面に落下する。スレスレで体勢を立て直したが、膝から下を失った足を見て舌打ちをした。
「逃げ切ることはできない。ならば」
戦うだけだ。一分でも、十秒でも、一秒でも、多く時間を稼がねばならない。
両手を広げたシルの手に煙が集まってくる。
「いきます!」
シルは両手に集めた煙を放った。二本の風の道が、高速道路を砕きつつキリコへ向かう。キリコは横に飛んで風を避けたが、風は絶の壁面を滑るようにして上ると、頭上からキリコに降り掛かった。煙が炸裂し、アスファルトが粉々に砕け散る。
「ふんっ、上等上等!」
暢気な言葉を口にしながら、キリコが走ってくる。シルは宙に飛び上がったが、キリコも跳躍してシルとの距離を詰めてくる。
「風よ!」
カッターのように切れ味の鋭い風の壁が、シルとキリコの眼前に立ち塞がった。
無造作に手を伸ばしてくるキリコ。風の壁がキリコの手を切り裂くと思われたが、風はキリコの簡易結界に阻まれた。
「なら!」
キリコはシルの胸ぐらを掴んだ。シルはその手を切り裂こうと手を添えたが、力を入れる前に、風錐を握り締めた拳が側頭部に炸裂した。一瞬、意識が遠のき、力を失った。キリコは口元に嬉しそうな笑みを浮かべながら、風錐の鳥打ちで顔に強烈な一発を見舞った。
シルは頭からアスファルトに落下した。その傍らにキリコが降り立った。満身創痍なシルに対し、キリコは息一つ切らしていない。分かりきっていたが、力の差は歴然だった。
「さって、勝負あり、ね。これ以上、私は続ける気無いけど、どーしよっか?」
「そうですね」
顔を歪めて上半身を起こす。キリコは膝を付いて、シルの背中を支えてくれた。
「時間にして約三分。私も目的を果たせたようですし、戦いはこのくらいにしましょう」
「そうね。私もこれでメンツを保ったわけだし、じゃ、さっさと傷を治しちゃいましょ」
言って、キリコはシルの失った左足に手を翳した。指向性のある龍因子は、体の一部を失ったとしても、数時間は体があった状態でその場に残っている。体の形を成している龍因子を辿れば、欠損した体を修復することは可能だった。ただ、手足を失い、長い時間が経過して龍因子が消えてしまった場合は、欠損部分を治す事はできない。
見事なキリコの手際。失われた左足は修復し、顔にできた痣も消えていた。
「残念ながら、スーツまでは直せないけど、ま、仕方ないわよね」
「気にしないで下さい」
シルは言いながら立ち上がった。右手の指を弾くと、周囲を取り囲んでいた絶がフッと消えた。絶が消えたことにより、清々しい風が流れてくる。
「やっぱり、カルト君もベカルドの気配も消えてる。私のセンサーの外まで行っちゃったか。結局、カルト君達に良いようにやられたって訳ね。私の手柄は、シルさんの高級スーツをおシャカにした事くらいかしら?」
イタズラな笑みを浮かべるキリコ。彼女は風錐を一振りすると、ヘアピン程度の大きさに戻し、髪に止めた。
「私のスーツ代は、セリス様から妖魔攻撃隊へ請求が行くと思いますので」
「えっ! スーツ代を私達が支払うわけ?」
キリコは目を剥き、声を張り上げる。
シルは深々と溜息をつく。
「私だって横暴だとは思いますけど……。だけど、それを決めるのは私ではなく、セリス様ですので」
「何が起こっているのか、私は把握もしてなのに? お金だけ払うわけ?」
「もし事件の事が知りたいのでしたら、セリス様に直接お聞きになってください」
「それ、無理って事でしょう! 不可能って事よ! 私の辞書をセリスって文字で引くと、不可能とか、逆らっちゃいけないとか、そんな感じのとってもとってもマイナスな言葉で埋め尽くされているのよ!」
キリコは頭を抱えて、少女のようにイヤイヤをする。先ほどまで、常人を遙かに超える力で戦っていたとは思えない。
「まあ、この道路の修繕費と一所に、こっそり私のスーツ代を忍び込ませれば、きっと気付かれませんよ」
シルは道路を見渡し、頬を引きつらせる。シルとキリコの戦闘で、道路は目茶苦茶になっていた。これを直すには、相当な時間もお金も掛かりそうだ。
「……そうね、この道路の修繕費……。車代、スーツ代……。帰りに、泉ちゃんに菓子折の一つでも買って帰ろう」
「私も選ぶの手伝いますので」
「ありがとう、シルさん」
キリコはスーツが汚れるのも気にせず、どかりと道路に腰を下ろした。
「所で、カルト君はどのくらいで戻ってこられるの?」
「お答えできません」
そう言ったシルだが、「ハァ」と溜息をつくとキリコの横に座った。
「と言うよりも、私も分かりません。すぐに終わるかも知れませんし、少し時間が掛かるかも知れません」
「そ、じゃ、一時間ほど待ってこなかったら、旅館に戻りましょうか。私、お腹空いちゃったわ」
「そうですね、そうしましょう」
シルとキリコは車の通らない高速道路できっかり一時間カルトの帰りを待ったが、カルトは帰ってこなかった。次の日も、カルトは帰ってこなかった。
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