第2話

「プルソン」


 カルトの右手が素早く宙を動き、プルソンの印を描き出した。青白く輝く二重円の内側に、『PURSON』と書かれた。プルソンの印章は仄かに輝きだしたかと思うと、急速にその輝きを増し、周囲を明るく照らした。


 龍因子の感じから、ベカルドとの距離はおよそ二〇〇メートル。だいぶ距離が開いてしまったが、この程度の距離ならば追撃することは容易い。この調子だと、一分もしないでベカルドと対峙できるだろう。


 体を巡る龍因子を更に高めたカルトは、アスファルトをブーツの底で踏み砕きながら、さらに走るスピードを上げた。凄まじい風が体を叩きつけるが、それは服に纏っている簡易結界で全て相殺してくれる。その為、簡易結界内部にいるカルトには、微風程度の風も届かない。


 二十世紀初頭。各国政府機関から人類の新たな敵が公表された。古より人々の隣に潜み、闇から闇へ、影から影へ葬りされられていた者達。人はそれを妖怪、悪魔、妖精、精霊、妖魔、天使、魔神、神、様々な呼び方で呼ぶが、結局の所、人外の存在というのは一部の存在を除いて大旨敵である。


 各政府から公表された瞬間、人の敵は人ではなくなった。悪魔など、人外の存在は第三種生命体と呼ばれた。第三種生命体は龍因子と呼ばれる因子を持ち、それにより絶大な力を獲得していた。肉体の強化に始まり、簡易結界、結界、魔方陣、魔法など、龍因子は様々な事に応用される。


 身に纏う簡易結界は強力で、銃火器など既存の兵器では、第三種生命体に殆ど傷をつけられない。それに対抗するのは、やはり龍因子を身に秘める人間だけだった。


「みっけた!」


 プルソンの印章が照らし出す高速道路に、ベカルドの後ろ姿が見え始めた。カルトは掲げた右手に龍因子を集約させる。


 極めて流動的で指向性のある龍因子。細胞から生み出される龍因子は、術者の意志をくみ取り、様々な効果のある魔法へと変化する。魔法と一口に言っても、その効果は多岐に渡り、炎から凍り、雷などはもちろん、重力を操ったり空間を断裂させたりするものまで存在する。


 先ほどカルトが用いたプルソンの印章は、『ソロモンの印章』と呼ばれるもので、かのソロモン王が使役した七二体の悪魔の印章を用い、その力と龍因子を等価交換して力を発現させる。悪魔の力の一部を使う為、効果の程は知れているが、様々な事に使える便利な物だった。


 魔法は術者のイメージと龍因子の量と制御により左右されるが、召喚に用いる五芒星や攻撃に転用する魔方陣は、魔方陣に描かれた文字の意味で効果を発揮する。他にも、言霊を用いる魔法なども、その言葉の持つ力により威力が左右される。


 カルトの右手から延びた光の刃が天を貫き、逃げるベカルドに向けて振り下ろされた。ベカルドは振り下ろされる刃を確認せずに、横に飛んで躱すと、そのまま高速道路から横の森へと入っていった。


 幅一メートル、長さ数十メートルの範囲で、高速道路の表面を削り取った魔法の刃を消したカルトは、口元に笑みを浮かべると、ベカルドの後を追って森の中へと入った。


「シル、後は頼むぜ……」


 此処までは予定通り。カルトは気配を消し、ベカルドの後を慎重に追った。




 貸し切り状態の高速道路。


 ドアを吹き飛ばされたキリコは、路側帯に車を停車させた。


 ハンドルを握り締めたまま、胸に堪った二酸化炭素をゆっくりと吐きだし、空っぽになった助手席を見る。


「あ~あ、やっちゃった……」


 何度見ても、吹っ飛んだドアは直りはしない。ここから数百メートル後方に、ボロボロになったドアの残骸が転がっているという事実。キリコ個人としては、車の一台や二台壊れようがどうと言うことないのだが、これは妖魔攻撃隊の持ち物である。政府の機関を標榜しているだけあり、おんぼろセダンと言えども税金で購入した物だ。そうなると、話がややこしくなってしまう。


 車から出たキリコは、ポケットから取り出したスマホを見て、ふと思い出したように振り返った。目の前には、優雅な仕草で車から降り立ったシルがいた。


「カルト君の居場所分かるかしら? GPS付きのスマホを持っていると思うんだけど」


「一応、カルト様はスマホを持っていますが……」


 シルは、ハンドバックから最新型のスマホを取り出す。


「万が一、壊れるといけないので、私が代わりに持っています」


「それじゃ、意味ないじゃないの。ま、いっか。ここからならカルト君とベカルドの気配も追えるし」


 言って、キリコはジャケットのフロントボタンを外す。一度大きく伸びをして、グッと腰を屈める。


「しっかし、皮肉よね。車使うよりも、走った方が早いなんてさ」


「ええ、全くですね」


「ホント、古代龍人様々だわ」


 肉体を巡る龍因子を活性化させ肉体を強化させる。龍因子の増加に伴い、スーツに纏っていた簡易結界の効力も増していく。



 カチッ…



 背後で音がした、チラリと振り返ると、シルが優雅な仕草でタバコに火をつけた所だった。シルは気持ち良くタバコを吸うと、細く長い紫煙を吹き出した。


「………」


 何だろう、違和感を感じる。


 キリコは眼前に延びる高速道路を見やる。カルトの気配はプツリと消えたが、ベカルドの気配はまだ追うことができる。


「キリコ様、カルト様とベカルドの位置を把握できていますか?」


「ええ、直径五キロくらいだったら、大凡の位置を把握できるわね」


 得体の知れない違和感が、形を変えて不安に変化する。何かがおかしい。カルトも、シルも。いつもの彼らではない。そもそも、シルがタバコを吸っているのを見るのは今回が初めてだ。子供の前でタバコを吸わない親のように、カルトの前では吸わないだけなのだろうか。


「そうですか」


 まだ長いタバコが、見る見る灰になっていく。シルは胸一杯に溜めた紫煙をまた吐き出す。


「……一応聞きたいんだけどさ」


「何でしょう? 私に答えられる質問なら、何でもお答えしますが」


「シルさんは、敵? それとも味方?」


「………」


 ニコリと微笑む美女。何処からどう見ても、キリコの知っているシルだ。他人のそら似で、こんなにズバ抜けた美人が居るはずもない。それに、漂ってくる気配は第三種生命体特有の物。風の精霊らしく、清々しい気が流れてくる。


「カルト君といい、シルさんといい、ちょっとおかしいわよ」


 知らずのうちに、キリコの注意はベカルドから目の前のシルへ移っていた。

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