退魔異聞録 †時忘れの龍巫女†
天生 諷
第1話
人気のない夜の高速道路。
時刻は金曜日の午後七時。本来ならば、沢山の車で行き交うはずの時間だが、今日は一台を除いて高速道路に車影はなかった。
凄まじい気を放ちながら、一体の異形のモノがアスファルトを削り飛ばしながら駆けていた。
一言で形容するなら、三メートルを超える巨大な狐。ただし、それは大まかな外観だけの話で、ディテールまで目を向けると話は別だ。六本の巨大な足は昆虫のように節くれ立ち、爪は小刀のように鋭く尖っている。狐面には鼻筋から額に掛けて八つの複眼がならび、黄金色に発色する毛は針金のように尖っていた。言うなれば狐と蜘蛛の複合体、とでも言おうか。
異形のモノ、第三種生命体が高速道路を疾駆する。それを一台のセダンが猛スピードで追走する。
運転席に座る女性は、ハンドルを握りながらどんどん離されていく第三種生命体の背を見て唇を噛んだ。
「キリコさん! もっと飛ばして下さい!」
「無理よ! すでにメーターは一八〇キロを指してるし」
「リミッターは解除してないんですか?」
「してないわよ! それにリミットを解除しても、このドノーマルのセダンじゃ……。安物だし、そこら辺は理解してよ。こんな事だったら、高速隊から早いの借りてくるんだった」
ハンドルを握る女性、武居キリコはやるせない溜息をついた。
年は二五歳。第三種生命体の事件のみを取り扱う独立機関、『妖魔攻撃隊』の一番隊の隊員だ。黒いパンツスーツを着ているが、その胸元は大きくはだけており、そこから除く魅力的な谷間を黒いチューブブラが覆い、セミロングの髪は邪魔にならないようシュシュで一つに纏められている。大きな瞳に大きな唇、色香が漂う魅力的な女性だ。
そのキリコの横、助手席に座るのは、一見すると女性と見紛う美少年だった。彼は中世ヨーロッパ貴族のようにな派手な刺繍の施された白いジャケット、白いパンツにブーツ、それに裏地が赤色の白いマントを羽織っている。時代錯誤、目眩がするほど場違いな格好をした少年は、キリコを横目で見て深い溜息をつく。
「ゴメーン、カルト君。だって、ね? こんな事態になるとは思っていなかったし。復活した『ベカルド』が、一声鳴いて逃げるとは誰だって思わないでしょう?」
ハイビームにしたライトの中から、ついに第三種生命体、ベカルドが姿を消した。横に座るカルトが露骨な舌打ちをする。
「………ハァ。……ですね」
吐き捨てるように言ったカルトの言葉に対して、クスクスと笑い声が後部座席から聞こえる。バックミラーをチラリと見たキリコは、そこに写る女性の顔を見てホッと頬を緩めた。
「カルト様。こういった事もあります。だから、カルト様が依頼されたのではありませんか」
「分かっているよ、シル」
シル。そう呼ばれた彼女はカルトのファミリア、直訳すると『使い魔』だ。正確にはちょっと違うが、説明すると色々とめんどくさくなるので、ここではファミリアと言う事にしておく。
キリコと同じ黒いスーツを身につけているが、こちらは一見してオーダーメイドと分かる一品だ。緑色の髪は染めたのではなく、真夏の木々の緑を写し取ったかのような自然な色。雪のように白い肌に、緑色の瞳。ナイフで切れ目を入れたような色素の薄い唇には、常に微笑みが浮かんでいた。目の前に立たれても、その存在自体を疑問視してしまうほどの美人。それが、第三種生命体、風の精霊である『シルフェストレ』、シルだった。
「時に、キリコさん。一つ伺いますが、この車、保険は入ってますよね?」
ぞんざいな物言いに、キリコの背筋が冷たくなる。こういう時、カルトは決まってろくな事を言わない。
強い力を秘めたカルトの眼差しは、眼前の闇に据えられている。
「えっと……それって、どー言う事かな? お姉さんとしては、余り保険とかそう言うの使いたくないんだけど……」
「仕方ないので、走って追いかけます。止まっている時間はないので、ドアを壊して」
一瞬の間。カルトの言葉を頭の中で反芻して、キリコは最大限に顔を歪ませた。思わず、ハンドルを握る手が乱れ、車の挙動がおかしくなる。
「ちょっ! ちょっと待ってよ、カルト君! 開けるんじゃなくて、壊すって……!」
キリコが声を上げたときには遅かった。隣に座るカルトの龍因子が高まり、鋭い閃光と共にドアが吹き飛んだ。激しい風が轟音となって車内に吹き込み、車が大きく揺れた。だが、カルトはその揺れにも一切動揺を見せず、後部座席にいるシルに一度頷くと、迷う事無く車外へ飛び出した。
横に居たはずのカルトが、次の瞬間にはバックミラーに映り、更に後方へ流されていく。キリコは舌打ちをしながらも、アクセルを踏み続けた。
「もう! タダでさえ、うちは色々と物を壊すから各部署から文句を言われるって言うのに!」
「キリコ様、良いではありませんか、車一台くらい。ビルの一つ二つを破壊するわけではないのですから。それに、見たところ、走行に問題ないと思います」
「相手によるのよ……。神クラスだったら、街の一つ二つ消し飛んでも文句の一つも言われないけど、あの程度の悪魔、そこらの街路樹一本折っただけで文句の電話がひっきりなしなのよ?」
「でも、それを処理するのは、泉さんですよね?」
「泉ちゃんが電話を手に、申し訳なさそうに頭を下げる姿を見るのが、一番心が痛むのよね」
キリコが呟いたとき、後方から白い何かが迫り、車を追い越していった。カルトだ。白いマントを靡かせながら、カルトは一八〇キロで走行する車を易々と追い越し、ベカルドへ迫った。
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