第12話 殿下に捕まる
ライオネルに小麦の品種改良についての話をうっかりしてしまってから、ライオネルと顔を合わせづらくなったマリエッタは、中庭へ出向く事を避けていた。
品種改良やら、交雑育種法やら、この世界にはまだ無い技術かも知れない。
もしそうであれば、この先面倒くさい事になる。思わず言い訳でミレーネの名前を出してしまったので、ミレーネにまで迷惑をかける訳にもいかなかった。
マリエッタがライオネルと顔を合わせないようにしてから、二週間が経ったある日。
いつものように授業が終わり、自室へと戻る途中の、廊下の角を曲がった時だった。
その避けていた人物が壁にもたれた姿勢で腕を組み、少々不機嫌な様子で立っていた。
(やばっ!)
マリエッタは思わず声を上げそうになるが、なんとかこらえる。声はこらえる事ができても後ずさりまではこらえる事ができなかった。
二、三歩後ずさりした後、このまま回れ右をして逃げようかと悩んだが、なんとか思い止まりドレスの裾を持ち、少しだけ頭を下げる軽い礼をした。
「やはり避けていたな。」
「そんなことありません。」
「そんなことありません。」とか言いながら、目を合わせられない。そんなマリエッタの顔をライオネルはのぞき込む。
ライオネルの艶やかな黒髪、涼やかなエメラルド色の瞳、整った美しい顔でのぞき込まれては、マリエッタの心臓も穏やかではいられなかった。
「品種改良について聞かれるのは、マリエッタ嬢にとってそんなに困るのか?」
ライオネルのその言葉に、なんて察しのいいお方なんだろうかと思うが、返答に困った。
国の為に、農作物の収穫量を増やしたいと真剣に考えているライオネルに対して、避け続けるのは申し訳ない気持ちが湧いてくる。
「品種改良について問われることが嫌なのではありません。何処で知ったのかとか、誰から聞いたのかを問われることが怖いのです。」
「───分かった。マリエッタ嬢に知識を授けた者を探るのは止めよう。それならば、協力してくれるな?」
「───はい。」
マリエッタは何故そんなことを知っているのかと追及されない事に安堵し、頷いた。
「よかった。
マリエッタ嬢、今から少しだけ時間あるか?
合わせたい人がいる。」
城内ではエリザベートとライオネル、講師、メリッサ、父親、母親、たまに兄のフィリップスが会いに来てくれる程度でそれ以外の人とは話をしたことがない。どうしようかと側仕えのメリッサに目を向ける。
「本名を名乗らないでくださいませ。エリザベート王女様を名乗って頂きます。」
一応、王女を名乗る事で許可が下りた。ライオネルは頷き、
「了解した。応接室の方だ。」
と応接室の方へと先に歩き出した。
✳
応接室には、一人の中年の男がソファに腰をかけ、ライオネルの戻りを待っていた。
つい先ほどまで、ライオネルから小麦の品種改良で、交雑育種法という技術についての話を聞いたばかりであった。
この男の名前は、ギルバート・モリアーティ。男爵家の生まれではあるが、三男だったため爵位はない。植物図鑑などの著書を手掛ける植物研究の第一人者である。
年の頃は四十代の後半で、中肉中背、ブラウンの髪にブルーグレーの瞳、口元に髭を生やし、貴族の生まれでありながら肌は日に焼け、どこか野性味を感じさせる男であった。
───品種改良?交雑育種法?初めて聞く。それによって作物の収穫量が増えるだと?
一体どんな人物が発明した技術なんだ。
ギルバートは、先ほどまでいたライオネルの話を思い返していた。するとライオネルが戻ったのであろう。扉を叩く音が聞こえた。
立ち上がり、入室するライオネルと、ライオネルが連れて来た人物を出迎えると、思わず目を見張った。
そこに立つのは、十にも満たないあどけない少女であった。一瞬、子供の戯れに振り回されたのかと怒りがふつふつと湧いたが、ライオネルがその少女を呼ぶ名前を聞いて、冷静さを取り戻した。
「エリザベート、こちら、植物研究で有名なギルバート・モリアーティ先生だ。」
「ギルバート・モリアーティと申します。お目にかかれて光栄にございます。」
───王城にいる、エリザベートという名の少女は一人しかいない。王女殿下だ。ギルバートは、『品種改良』について何かを知っている人物がこんなにも幼く、しかもこの国の王女であることに驚き戸惑ったが、直ぐに微笑みの表情を作ると、両手を胸で交差し礼をとった。
「エリザベート・ナディールです。宜しく頼みます。」
王女殿下は王族らしい言葉使いではあったが、何処か緊張しているようにも見えた。
「ギルバート先生、エリザベートの知識が何処で、誰から教わった事か詮索しないことを約束してくれないか?」
その言葉で、知識を授けた高名な方がいらっしゃるのだと納得しつつも、その人の事を詮索するなと釘を刺された事に疑念を抱いた。
「はい。お約束します。」
少々納得しかねる気持ちもあるが、一応返事をすると、ライオネル殿下が話を切り出した。
「エリザベート、品種改良を実際やろうとしたら、どのような手順を踏んだら良い?」
王女殿下は、小麦について細かい事は分からないが、交雑育種法は多くの農作物にも応用できると前置きをし、品種改良について語り始めた。
寒さに強く実付きの悪い品種を、寒さに強く実付きの良い品種へと改良するには、実付きの良い品種の花粉を雌しべへ受粉させる必要があること。
それには、自らの花粉で受粉してしまわないように、花が咲く前に雄しべを取ってしまう必要があること。
花が咲いたら、速やかに受粉させ、目的外の花粉が付着しないように気を付けること。
そして実った小麦を、品質の良い種子のみを選別する。
その選別された品質の良い種子のみを育て、その中で実付きの良い穂の中で、再度品質の良い種子のみを選別する。
それを十回ほど繰り返せば安定して寒さにも強く、実付きの良い小麦となる。
それが新しい品種となるとの事だった。
王女殿下は、まだ解明されていない植物の繁殖の仕組みについて知っているようだった。
「王女殿下、質問してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。」
「植物が種子、いわゆる実を付ける為には花粉が重要な役割を担っているのは私の研究でも解っていました。しかし、花粉がどのような役割を果たしているのか解明されておりません。先ほど『受粉』とおっしゃっていましたが、受粉とは、どのような工程なのでしょうか?」
「雄しべから花粉が出て、雌しべに付着することで、雌しべの下部が実となることですわ。」
「やはりそうであったか!」
花粉が雌しべに付着することで実がなる事は、前々から予想はしていたが、学術的には解明されてはいなかった。
王女殿下に知識を授けたお人は、一体何処まで研究が進んでいるんだ?!
「花粉が雌しべにどのような作用をして、実がなるのかはご存じでしょうか。」
更に突っ込んだ質問をしてみた。こんなことまで答えられるはずは無いと、自分でも意地が悪いとも思ったが、王女殿下はしばらく考えた後、少々面倒くさそうな表情をして、思いがけない事を言った。
「雄しべはオスです。雌しべはメスです。オスとメスが番になると何故、子供が生まれるのでしょうか?その理由は、女神のみぞ知る世界だと存じます。」
「っ?!オスとメス?!」
驚いた。 王女殿下は動物や人の子作りと共通することだと暗に言っていた。
そして植物にもオス、メスとしての生殖機能がある事にも驚いた。
王女殿下は、恥じらう事無く、さらりとそのような事を言えるのは性について、まだ何も知らない少女だからだと理解する。
ライオネル殿下はやはりお年頃の男の子だった。冷静さを保ってはいるが、目が泳いでいるのが見て取れた。
「なるほど。『受粉』から先は、女神の領域と言う訳でしたか。
ところで、実った小麦の選別を十回も行わなければならないのは何故なのでしょうか?」
一年に一回栽培するとすれば、単純に考えれば十年かかる。それでは効率が悪過ぎる。
何故、選別が必要なんだ。
「───ギルバート様、私達兄弟は、ブロンドの髪にブルーの瞳の国王陛下、黒髪にエメラルド色の瞳の王妃の間に生まれました。しかし、父である国王のブロンドの髪と、母である王妃のエメラルド色の瞳の特徴を持つ子は、私しかおりません。
ここでお聞きします。私が、自分と同じブロンドにエメラルド色の瞳の子供を授かりたいとすれば、何色の髪に、何色の瞳の男性と婚姻すれば良いと思われますか?」
「それは当然、ブロンドの髪にエメラルド色の瞳の男性でございましょう。」
「では生まれて来る子供は、先祖返りする事なく、何人産まれても、ブロンドの髪にエメラルド色の瞳となると言い切れますか?」
「言い切れ・・・ませんね。祖父、祖母に似た子が産まれるというのは良く聞きます。」
「つまり、先祖返りしたとしても、寒さに強く、実付きの良い小麦であるためには、そのくらい選別を重ねる必要があると申しているのです。
実際は、十回も選別しなくても品種改良が出来上がる可能性はあります。」
「・・・。」
返す言葉が見つからなかった。健康で能力の高い跡継ぎを授かりたい人類と、同じ理屈がそこにはあった。
最初はあまりにも幼い少女を相手に、話を聞いてやると言う気持ちが心の奥底にはあった。
しかし、いざ話を聞いてみれば、聞いたことのない技術や、納得せざるを得ない論理が語られた。
目から鱗が落ちるとは、こう言う事なのか・・・。
この知識を王女殿下に授けたお方に是非お会いしたい。詮索するなとは言われたが、話をしてみたい。
その思いが止められず、探る様につい聞いてしまった。
「王女殿下に、その知識を授けたお方は、お元気でいらっしゃるのでしょうか?」
王女殿下は、遠い目をすると、寂しそうな表情を浮かべ静かに答えた。
「いいえ。今はどんなに会いたくても会えないのです。」
「そうですか、お亡くなりに・・・。
その方にお弟子さんはいらっしゃるのでしょうか?」
ご本人が亡くなられたのなら、せめてお弟子さんの事を知る事ができたら、と食い下がったが、ライオネル殿下に制止された。
「ギルバート先生、詮索しないとの約束でしたが?」
「あ、いえ、失礼いたしました。
聞いたことのない、新しい技術に感服してしまい、つい余計な事を申しました。お許し下さい。」
「このような説明で、よろしかったかしら?」
「はい。今まで聞いたことのない技術や論理に戸惑っておりますが、是非、『交雑育種法』を試して見たいと思います。」
「そうですか。成功を期待しております。
兄上、私はこれで失礼してもよろしくて?」
「あ、ああ。何かあれば又話を聞かせてくれ。」
「ええ。構いませんわ。
では兄上、ギルバート様、ご機嫌よう。」
王女殿下は優雅に挨拶をされ、この部屋を出て行かれた。
残されたライオネル殿下と私は、にわかに信じがたいが、真理であろう凄い話を聞かされたとあって、しばらく無言のまま冷めた紅茶で口を潤したのであった。
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