バスの運転手

 つまるところ、この世界は、お金で回っている。感謝とか、善意とかで回っているわけじゃない。そういうキレイごとを否定しようとは思わない。それも大事かもしれない。ただ、事実として、お金を中心に回っている。そのことを悪いことだと指摘するつもりもない。


 中島泰介は、バスを運転しながら、漫然と思考を進めていた。


 いま、ここに座って、この大型車を運転しているのは、乗客を目的地まで運びたいからやっているわけじゃない。乗客がどうなろうと、そんなことは知ったことじゃない。規定の運行ルールに従って、この大型車を運転するのは、ただ、お金が欲しいからだ。


 夜の街を運転していく泰介は、積もった疲労で、頭が重くなっていた。


 お金がなければ生きていけない。コンビニでチキンを買うこともできないし、家賃を払うこともできない。服を買うことも、音楽CDを買うことも、月額制の動画配信サービスを楽しむこともできない。それらを手にするために、お金を得ようと働いているだけ。


 泰介は、そんな社会の構造を憎ましく思う反面、その構造こそに守られていることを悟っていた。


 お金には、いろいろな意味がある。財やサービスの価値尺度でもあり、財やサービスの交換手段でもあり、価値の貯蓄機能さえ有している。お金がなければ、財やサービスの値段がわからず、値段がわからなければ、交換に依存する社会は成立しない。


 そうなれば、自分の着る服はすべて自分でつくらなければいけないし、食べ物は自給自足で育てなければいけないし、住居やテリトリーも自力で支配しなければいけない。そんなこと、不可能だ。


 お金がなければ、なんの取柄もない俺と物々交換しようなんて人はいない。お金がなければ、人生は終わりだ。


 泰介は、思考の深淵に沈んでいく。


 お金があるおかげで、誰かがつくってくれた食べ物を自分の口に運ぶことができ、誰かがつくってくれた服を着ることができ、誰かがつくってくれた歌を口ずさむことができる。もちろん、食べ物も、服も、歌も、俺のためにつくられたわけじゃない。つくった本人がお金を得るために、つくっているだけだ。


 ぐるぐるとお金が回り、この社会は成立している。誰もが他人のためではなく、自分のために生きている。自分のために生きようとするとお金が必要になり、誰かがお金を払ってまで得ようとする、なんらかの財やサービスを、自ら生産する必要性に迫られる。


 俺の場合は、毎日、人を運ぶサービスをおこなっている。泰介は、バスのハンドルをぐるぐると回して、車体をカーブさせた。


 しばらくして、バス停に停車すると、ひとりの男がお金を払い、降りていった。その際、「おつかれさん、ありがとうございました」とはっきりとした声で言ってくれた。


 お金を払ってもなお、交換しきれないなにかがあるのだろうか、と泰介は思った。


 そもそも、あの人のお金は、誰のお金だったんだろう、と考える。あの人がいま運賃箱に入れた200円は、あの人が働いた成果として手に入れたものだ。たとえばあの人がサラリーマンだとすれば、あの200円は、もともとは、その会社でつくった商品を買った人のお金だった。


 商品を買った人もまた、なんらかの商品を生みだし、それを誰かに買ってもらうことで、お金を得ている。そして、俺も、あの人が残していった200円を自分のものとして獲得し、生活費にする。


 今日の夜食は、200円のパンにしよう。泰介は、バスを発進させた。そして、パン屋の店員に、「ありがとうございます」と言ってみようかな、と考えていた。


 その「ありがとうございます」は、200円よりも価値があるパンの、その余剰への感謝かもしれない。お金に現れない余剰分への、せめてもの支払い。もしも、俺がそのパンに250円を払ってもいいと考えているなら、その「ありがとうございます」には50円分の価値がある。


 なんちゃってね。泰介は、笑みをこぼした。

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