スランプの小説家

「なんだ、こんちくしょう。てめぇの見え透いた考えはすべてお見通しだぜ」などと、ちょっと過激な文章を書くのは、疲れている証拠だ。文章というのは、基本、心が落ち着いているときほど安定感があり、疲れているときほど、刺々しくなるものである。


 そんなことはわかってんだ。わたしは、額を押さえた。頭痛がする。ここずっと、ひどい痛みにつきまとわれている状態である。手で押さえようとも引かない頭痛を我慢しながら、わたしは、ノートパソコンに打ち込んだばかりの文字列を削除した。


 ああ、進まない。締め切りは明後日だ。本当ならもうほとんど終わっている予定だったのに、書き出しては削除して、をずっと繰りかえしている。ベテラン作家との肩書が笑える。なにがベテランだ。ただ、運よくデビューできて、運よく本が売れ、知名度が上がった結果として、なんとか作家として生活できているだけだ。実力なんて、ない。


 そもそも、実力のある作家が売れるわけじゃない。そんなことはわかっている。実力が物を言うほど、この世界は完璧じゃない。偶然に満ちすぎている。偶然の結果として食えているだけの男だ。苛立ちが募ってくる。


 よせばいいのに、なんとなくネットを開いて、読書メーターを確認していた。自分の作品の感想を見る。そんなに悪い評価ばかりではないが、「キャラクターに魅力がない」という意見が多い。そんなこった、わかってたんだ。このやろう! ……いけない、いけない。疲れすぎている。


 わたしは、ネットを閉じて、また頭を押さえた。頭痛が続いている。じゃあ、どうすれば魅力的なキャラクターをつくれるというのだろう。キャラクター創作に関する本ならいくつも読み込んでいるんだ。どうすればいい?


 散歩だ。わたしは、決心した。このまま自宅に籠っていてもなにも生まれない。とはいえ、長年の運動不足が祟って、それほどの遠出をすることはできない。ならば、路線バスの旅だ。それでいこう。


 わたしは即断して、さっそく家を飛び出した。外気に触れても、気分は晴れない。だったら、なにも考えずに遠くまで行ってやる。この際、失踪してくれるわ。すっかり暗くなった夜の街に出て、バスに乗り込んだ。中心街から離れる方向へ。


 バスの後方の席に座ったわたしは、車内をぐるりと見まわした。仕事帰りだろう、サラリーマンやOL風の人たちが、疲れた表情で座り込んでいる。小説家というのは社会からズレた職業だ。なんとなく疎外感を覚えながら、ええ、どうせ、わたしは不適合ですよ、失踪してくれるわ、と毒づいていた。


 そんな中だった。おっと。わたしは、ひとりのOL風の女性に気が付いた。わたしの本を手にしている! わたしの最新刊である『大地の粛清』だ。ぐっと顔を傾けて、ぐいぐいと読んでいる。なんだ、あれは。夢中ではないか! 人目も憚らずに、ぐっとページに顔を近づけている。


 ありがとう、お嬢さん。もう、スランプは脱した。書かねばいけない。そんな思いが唐突に込み上げてくる。


 わたしは、わたしの本に夢中になっているOL風の女性を横目に、次のバス停でさっそく下車した。思わず、「おつかれさん、ありがとうございました」とバスの運転手に声をかけていた。

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