チェックアウトの時間なのに……

 地方のホテルに勤めていたときの出来事でございます。ある朝、わたくしはそのホテルのフロントにひとりでございました。朝のチャックアウトの時間を過ぎますと、フロント業務は一段落いたしますので、フロントひとりでも問題なかったのでございます。


 チェックアウト時間を過ぎたあとのフロントの仕事と言えば、いろいろあるのですが、不定期に発生しますのが、時間を過ぎてもチェックアウトに来られないお客様の存在です。たいてい、寝過ごしているだけでして、お電話を何度か差し上げますと出てきていただけるのですが、そうではない場合もございました。


 稀ではありますが、自殺や病死などです。わたくしの同僚にも何人か、死体を発見した者がおりました。ほとんどは自殺です。とはいえ、もちろん、頻繁に発生することはでございません。ホテルで自殺なんて、ホテルに申し訳ないと思うのが人情でしょうし……、まあ、自殺される方が、それだけ冷静でいるのかどうかは存じ上げませんが……。


 ともかく、わたくしは、一度も自殺体を見る羽目になったことはございません。ただ、何度もお電話を差し上げても出られないお客様のお部屋に、念のためにマスターキーを手に向かうようなときには、どうしても頭に過ぎってしまうのでございます。首を吊った状態でいるのではないか。そんな想像が拡がるのは簡単です。お部屋に参りますときには、そのような緊張感がございました。


 その日も、何度お電話を差し上げても出られないお客様がおりました。安否確認の意味もあり、わたくしはマスターキーを手に、お客様のお部屋まで向かいました。ノックいたしましたが、出られませんでした。扉を介して声かけをしても、出られませんでした。


 チェックアウトの終了時間を2時間も過ぎましても、そのような状態でございましたので、わたくしは、お部屋を確認するために、マスターキーを使用しました。


 びっくりいたしました。


 ドアのすぐ目の前に、お客様がおられたのです。「どうかいたしましたか」と声をかけましたが、お客様はわたしの後ろをじいっと見ているだけでした。全身がぶるぶると震えておりまして、毛布を被っておりました。お客様のいた位置からして、わたくしがドアを開けるまでは、ドアスコープから廊下の様子を見ていたのでございましょう。


 何度呼びかけをしても、お客様は、狂人のようになにも聞こえぬ様子で、ぶるぶると震えながら、わたくしの後ろを見ているのです。もちろん、そこには誰も、なにも、ございませんでした。


 わたくしは電話で支配人に事情を伝えまして、念のため、お客様のご家族にお電話申し上げることにいたしました。ご家族が迎えに来て、連れていかれるまで、そのお客様は、部屋の入り口から動くことなく、ずっと、同じ様子でございました。


 あれがなんだったのか、現在もわかりません。もしかしたら、あのお客様は、ドアスコープを介して、なにかを見ていたのかもしれません。そして、そのなにかが、ドアスコープを介さずとも見えたのかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る