トウジ
アルはオスなので、基本的に女好きだ。
アイリに構って貰っている時に僕が呼んでも来ない場合が多い。
そんな彼でも僕が他の犬を撫でていると言う状況は気に入らないらしい。
嫌な現実から目を逸らす手段として、ルドルフ閣下の首をもいもいとしていたら、アイリの膝から飛び降りてこちらに寄って来た。そうしてからルドを撫でる手に頭をグイグイと押し付けて自分を撫でろと言ってくる。「……」。“かわいいぼく”を強調する様にコーギースマイルを浮かべてはいるが、何とも我儘なことである。
「知ってるワンコ?」
「アルのおじいちゃんか、ひいじいちゃんですね」
「そう、アルの……」
よろしくね、とサイドカーから降りて来たアイリがしゃがんでルドに手を伸ばす。ふんふんと彼女の手の匂いを嗅いだ後、にぱっ、とこちらもコーギースマイルを浮かべるルド。どうやら閣下のお眼鏡には敵ったようだ。
「……ねぇ、なっくん。アルのおじいちゃんと言うことは、あそこの人達は」
「……」
そして逸らしていた現実にアイリが気が付いてしまう。
一人は未だ打ちひしがれたまま、もう一人は殊更楽しそうにニマニマしていらっしゃる。とてもいやだ。
「お察しの通り、僕の家族、末姉と母です」
つまり、僕は母親の前で恋人といちゃついたという訳だ。
……。
死にてぇ。
「お義母さん!」
そんな感じで絶望に打ちひしがれる僕とは対照的に、それを聞いたアイリは慌てて背の高い方に手を伸ばしていた。「大丈夫ですか、お義母さん」とか言っている。言っているが……
「アイリ、そっちじゃない」
それは母ではない。
そう。我が家の女性陣の中で例外的に一人だけ発育が良いそれは僕の母ではない。それ所か発育が良過ぎて実母は自分との血の繋がりを疑っている位だ。お腹を痛めて産んだくせに。つまり――
「母は、こっちのニマニマしてる方だ」
一生ネタに出来そうな光景にご満悦。ふ~ん、へぇ、彼女? ナナに彼女? へぇ~? となっている方がお母さんだ。
指を指すとニマニマ笑ったまま近づいて来て、バンバンと背中を叩いてくる。とてもご機嫌が宜しいのは良いことですが、とても痛いのですが?
「おかえり、ナナ」
「ただいま、戻りました」
「お前の若くて可愛いお姉ちゃん、カノちゃんだぞ☆」
いい歳して、いぇい、とピースとかしてくる。
「……」
いてぇ。これはこれで死にたくなる。
「……若く見られてはしゃぐのは老いた証拠で――」
「ふん!」
足を思い切り踏まれた。「……」。とても痛いのですが? 僕の足が甲殻だったから耐えられたが、生身だと潰れる勢いだったのですが?
「え? あの、それじゃ――」
わたわたと僕を見て、お母さんを見て、蹲る女を見るアイリ。
「恋人になったのね、お姉ちゃん以外の女と……」
「……そのやべぇ寝言を言っている方が姉です」
一般の姉弟は恋人にはならない。
コーギー界にはルドルフ系と言う血統がある。最近できた血統だ。
猟犬トウジ。
通信が困難な世界に合わせて造られたドギーハウスの犬と言う制度の中、個人の名前として名を広げた男が居た。英雄と称されることもあるその男こそが僕のお父さんであり、その男が連れていた相棒犬こそがルドルフと言う訳だ。
優秀な血筋であるルドルフ系は良く人に譲ってくれ、と頼まれることがある。
そしてお父さんとお母さんがオッケーを出せば譲っている。
そんな訳で「綺麗な庭ね」とアイリが言ってくれた我が家の庭を抜けて見えて来たのは仔犬の群れだった。リビングのガラス戸越しに数匹が、なんだ? なんだ? しらんやつらがきたぞ! と、うごうご寄って来ていた。どうやら丁度仔犬がいる時期らしい。うごうごする毛玉にアイリとその姉弟は目をキラッキラさせているが……
「まぁ、その、何だ……頑張ってくれ」
アイリのモノズ達の瞳には絶望が揺らいでいた。特に良くアルにじゃれつかれる小型の睦月、弥生、卯月、神無月の恐怖はかなりのモノらしく、珍しく僕に貼り付いて――居たのが気に入らないアルにより、神無月が前足で、おらぁ、と転がされていた。酷い話である。
「……ハルトマンの仔ですか?」
アルの弟、妹も混じっているかもしれないな、そんなことを思ったので、アルの父親であり、現在のお父さんの相棒であるサンダーボルト種の名前を出す。
「いや、ライジンマル」
お母さんから返って来たのは少し予想外の名前だった。
「……ま、アイツも何時までも凹んでる分けじゃないってことだ」
貴重な実戦経験組だしな、とお母さん。
「……そうですか」
それならば嬉しいことだと思う。
彼は前を向けたと言うことなのだから。
そんなことを考えながら、久しぶりの我が家の扉を開けた瞬間、コーギーの波が飛び出してきた。
リビングの仔犬を警戒していたアイリのモノズ達は不意を突かれた形になり、対応が遅れた。サイズ的に主な構成員はアルと同じタイミングで生まれた連中の様だ。恐らくアルは覚えてないのだろうが、それでもアホ犬であるアルは、相手のテンションに合わせて、うわぁー、となって駆け出していた。「……」。結果、犬の波に紛れ、見失ってしまったので僕にはもうどれがアルだか分からなくなってしまった。実に悲しいことである。
小型は鼻でド突かれ、前足で踏まれ、中型大型は転がされつつ、ふんふんふんふんと、とても不穏な感じに匂いを嗅がれている。マーキングの危機である。ボール扱いされるのと、縄張りの主張、どちらの方が辛いかは生憎と人間である僕には分からなかった。
そんな中、人の心が無いことに定評のある末姉が我が家自慢のドッグランの扉を開いた。
アルたちに花壇を踏み荒らされるのを防ぐための処置だが、蠢く毛玉どもにしてみたら遊び場が解放された程度の認識しかない。あっと言う間に小型たちが転がされ、サッカーが始まってしまった。
「……助けに行かなくても良いのですか?」
“無念:くっ……!”
僕の問い掛けに、大型中型がそんなメッセージを送って来つつ、一斉に目を逸らした。
生き残る為には時に犠牲を出さないといけない。
僕がこの荒れた世界の真実を知ってしまった瞬間だった。
――ここは俺達に任せて先に行け!
とアイリの小型モノズ達が言うので、玄関をくぐる。
言ってない件! みたいな苦情が聞こえてきそうだが、気にしない。
出迎えたのはお父さんのモノズ達だった。子号、戌号のまとめ役コンビだ。
彼等はアイリのモノズに近づくと、何やら強化プラスチックの板越しに一つだけのを瞬かせ、僕には理解できない言葉で会話を――あぁ、違う。僕にも何となく内容が分かってしまった。
子号達は如月達に“疑念:
二機と八機。
双方が目に見えて、ずーん、と沈み込んでいた。
コーギーサッカー。
それに巻き込まれたモノズの末路は悲惨だ。
体温とテンションの上昇と共に、しまりのなくなる口。
だらしなく垂れる舌。
そこから巻き散らかされる唾液。
必殺の鼻水スタンプによる一撃。
そうして唾液と鼻水を全身に塗りたくられ、人工芝の上を転がされれば、今度はラフプレーの結果、大量に舞い散った抜け毛がべたべたと貼り付く。
「……」
地獄かな?
そんなだから仔犬がいる時期、モノズ達は家に居たがらない。今回の様に客人が来てテンションが上がらなければ、ある程度大きくなったコッペパンたちはちゃんとサッカーボールを使ってサッカーをする。
なので彼等はお父さんに仕事を入れ、その期間は長期の仕事に行っていることが多い。だが、子号が居ると言うことは――
「お父さんは、今?」
「家に居るぞ」
「そうですか。仕事、休みなんですか?」
「いや、そう言う訳じゃないけど……」
どうした? とお母さん。それに「……いえ」と首を振る。勘が鋭いな。そう思う。それでも呼吸を一回して――
「それなら近くで仕事受けてるんですかね?」
何でも無い様にそう続けた。
因みに、外科手術による摘出をされる前の言葉は「それなら『やっぱり』近くで仕事受けてるんですかね?」だ。
「今、家には誰が?」
「パパ、ママ、ツキとハナ」
「
「いんや、リュウは家建てた。後で散歩がてら見てきな」
「それなら空き部屋は有りますよね?」
「あるけど……何だ、ナナ? 二世帯住宅が希望か?」
恋人になって直ぐに結婚する気か? このぉ! と、とても楽しそうにエルボーをされた。痛い。少しはしゃぎ過ぎだと思う。そんなに僕に恋人が出来たのが嬉しいのだろうか?
「違います。あそこの、コーギーサッカーに混ざってる男の子と女の子なのですが……」
「待って! ナナ! 聞かなかったけど、アレ、あなたの子供じゃないよね! 造って無いよね? お姉ちゃん以外の女と子どもぉ、ぉぉ、ぉ――」
「……」
何か妄言を吐きながら抱き着いてくる物体を膂力に任せて引きはがす。身体能力はお父さん似と婉曲表現できる姉は実に簡単に離れ、それでも確かな粘度でもって僕の手にしがみついていた。
くぃ、と反対の袖が引かれる。見ればアイリが居た。アイリは抱き着いた末姉に対抗する様に僕の腕に抱き着いて来た。「!」。恥ずかしくて。振り払わずとも、思わず顔を背けた。頬が熱い。だが甲殻で覆われているので変化はないはずだ。それが救いだった。そんなことを思う。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
だが、そんな僕のリアクションの意味を正確に判定した姉が死んだ。膝から崩れ落ちている。静かになり、とても良いことだと思う。
おかえり、とでも言う様に僕を軽く見上げて目を瞬かせながら、丑号がそんな姉を部屋に運んで行った。
「ごちそうさま」
そして姉に分かると言うことは母にも分かると言うことだ。
お母さん、とても、楽しそう。
僕、もう、死にたい。
「……おそまつさま」
それでも強がりの様にそう返して、咳払いを一つ。
「部屋が空いているならあの子達を住まわせて貰えないでしょうか? アイリの弟と妹なのですが――」
学校に通わせてあげたいのです。そんな言葉を。
「うん、別に良いぞ。リュウとユキの部屋を使うと良い」
「僕の部屋でも良いですよ?」
「お前の部屋は扉が吹き飛んだままだし、今は倉庫だ」
「……倉庫」
家から出た息子の扱いが少しばかり酷く無いだろうか? 未号か申号に頼めば扉の修理くらい簡単にやってくれるのではないでしょうか?
「うん、ツキの倉庫だ」
「……」
実にやりそうな相手だった。姉のモノは姉のモノ、弟のモノは姉のモノを地で行くかのだ、奴は。
「空けとくとハナがお前のベッドで転がるからなぁー……」
枕とか嗅ぐからなぁー。
「後で
そんな会話をしながら、リビングに入る。
「ただいま、トウジ。ハナが卵駄目にしたからクッキー焼いてくれ」
「お帰り、E.B。後で使わせて貰うよ」
ちゃっ、とフローリングを鳴らして、ルドが一歩、速く歩く。
「それと、トウジ、お土産を拾って来たぞ? 振り向いてみろ」
向かう先にはソファーがあった。そしてソファーの上で、コーギーを撫でながらテレビを見ている一人の男が居た。記憶の中よりも白髪が増えた様な気がするし、そうで無い様な気もする。
そんな男にルドが寄って行くと、撫でられていたコーギーは渋々と膝を空ける。ハルトマン。男の二代目の相棒を勤める彼ですらそうしないといけない。何故ならルドはその男の初代パートナーなのだから。
「――、」
どて、と倒れるルドを受け止め、男が振り返る。僕を見て、少し驚いた様な顔。
「お帰り――」
髪は白くなった。
記憶の中。セピア色に焼き付いたあの思い出よりも。
だが、目。
目だけは、戦場で失い、機械となった左目と、男を狙撃手たらしめる至高の右目だけは――
「ナナシ」
あの記憶の中、僕の頬を掠める弾丸を放った時と、同じ感情と温度の乗らない狙撃手の目のままだった。
トウジ。
英雄。
僕の父がそこには居た。
あとがき
小ネタ
カノの兄弟への呼び方はリュウ兄さん、ユキ姉さん、トラ兄さん、ナナ
Aの兄弟への呼び方は長兄、長姉、次姉、次兄、末姉
ツキノの兄弟の呼び方は兄貴、姉貴、愚弟、ハナ、愚弟
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