アイリ

「あの、なぜ、頭を……」


 下げるのでしょうか? と僕が言えば。


「だって苦情を言いに来たのでしょう? 私の撃った弾に当たる所だった、って。そう言う人には直ぐに頭を下げることにしているの、私」


 そんな答えが返って来てしまった。


「……A」


 お前、最低だな、とでも言いたげにミツヒデが肩を竦めれば、アルを襲っていた子供達も攻める様な視線を僕に送ってくると言う構図が出来上がる。

 何と言うアウェー感。

 只一人。と言うかただ一匹、雑に抱きかかえられたアルだけが僕をそう言う目で見ることなく、長い胴をだれーん、と伸ばして、ぺろん、と鼻を舐めていた。

 そんな彼に勇気づけられたと言う訳ではないが、僕は少女の誤解を解こうと一歩を踏みだ――す前に扉が勢いよく開け放たれた。反射的に振り向く。「……」。男が三人。人間だ。強化外骨格を取り付ける為のハードポイント付きの野戦服を着ている所を見るに、同業。彼等はニヤニヤと余り質の宜しくない笑みを貼り付けていた。


「ほら、入りかたが一緒じゃない……」


 彼女のその言葉で僕はノックの後に返事を待つと言う文化の重要性を思い知った。









「ア・イ・リ・ちゃーん! お金の回収にきましたよー」


 ヘラヘラ軽く。

 ニヤニヤ軽く。

 笑いながらリーダーと思われるチンピラ1が少女に近づいて来る。

 少女の名前はアイリと言うらしい。桜色の彼女の口からではなく、ちょっと小汚い野郎の口から聞かされてしまったことに僕は少し凹んだ。

 チンピラ1に続いて、2と3もずかずかと入ってくる。

 怯えた様子で子供達がミツヒデの陰に隠れるのを見るに、見た目通りの印象と言うことで宜しそうだ。途中、子供達をビビらそうとでも思ったのか、2がニヤニヤとミツヒデに近づいて行き「俺に何か用か?」と言うゴリラ系スキンヘッドの一言で愛想笑いを浮かべて逃げて来た。

 小物だな。そう思う。

 多分、居なくなっても仕事には影響が無さそうだ。

 そう判断した僕はアイリとチンピラ1の間に割り込む様にして入った。


「……何だよ、テメェ?」

「テメェ? それはひょっとして僕のことだろうか? 何だ。君は喧嘩を売っているのか?」


 買いますよ、と嗤う。分かり易い様に尾を揺らす。

 チンピラ1はその尾を見て、尾が誘導した先の両足を見て、左腕を見て、甲殻で覆われた右頬を見て、最後に僕の目を見ると舌打ちをして一歩下がった。


「なーんーでーございましょうか、だんなさまー」


 弱い人間にしては中々に良い態度だ。ちょっと好きになれそうな気すらしてくる。


「ごめんなさい、ジャンさん。この人も同じ用事みたいなの。また今度来てくれたら支払うから今日は諦めてくれないかしら?」

「……」


 僕の横から顔を出し、脅迫されているであろうに淡々とそんなことを言いだす辺り、アイリと言う少女は微妙にネジがズレている様な気がする。

 僕と言う壁から顔を出す彼女。その黒髪が重力に従ってさらりと流れる。白いうなじが見えた。見ては失礼気がするので、視線を逸らしたい。だが逸らせない。綺麗な白い肌だった。肌に覆われた首だった。つまりは生身の背骨だった。「――~~」ぞる、と背筋に快感が奔る。思い出したのはホッパーに叩き込まれた二発の銃弾。

 アルを追う相手に一発。僕が足止めした相手に一発。それぞれ叩き込まれたあの二発だ。間隔が短かった。狙いは正確だった。

 彼女は背骨を入れ替えていない。

 彼女はムカデを纏うことが出来ない。

 だから彼女は生身で。人間の弱い身体で、反動の大きい、対強化外骨格用の弾丸で――あの二発を正確に、素早く、叩き込んでみせた。

 あぁ、それは何て――


「なぁ、アンタもアイリちゃんに撃たれた口?」


 思考に男の声が割り込んだ。


「……君は撃たれたんですか?」

「そ。ホッパー止めてるところを背後からバーン、ってね?」

「……怪我は無さそうに見えますが?」

「そら運よく当たんなかっただけだよ。だけどありゃ危なかった! 味方を背中から撃つとか最低で最悪の行為だ! 許せねぇよな? そう、許せねぇんだよ!」


 ニヤニヤ笑うチンピラ1ことジャンくん。その視線が僕から外れてアイリに向かう。男が女を見る目だった。雄が雌を見る目だった。この後の展開が非情に分かり易い目だった。


「アンタもわかんだろ? だから慰謝料取りに来たんだもんな? だから俺は止めねぇべ? お互いにしっかり徴収しようぜ?」


 肩をぽん、と叩いて分かり易い目のままジャンくんが進みでる。


「あー……でも困ったなァ? なぁ、アイリちゃん、俺の分の金、無いんだべ?」

「……そうね」


 身の危険を感じて、下がるアイリ。一瞬、僕を見るが、直ぐに目を逸らされる。味方だとは認識して貰えない様だ。「……」。何だ。顔か。目か。人相の悪さは遺伝です。


「分かり易くてわりぃけどさ、身体で払っちゃおうか、アイリちゃ――」

「なぁ、ジャン」


 遺伝はどうしようもない。諦めるしかない。……糞が。


「あ? あァ、アンタ、トゥースだもんな。こっち・・・の方が良かった? でも俺もそう言う気分だしなぁ……うし、アンタのオトモダチも一緒に楽しもうぜ!」


 だから態度で、行動で、僕はジャンとは違うと言うことを示さなければいけない。


「君は息が臭いな。不愉快だ」


 野戦服の右襟を左手で、左襟を右手で掴み、締め上げながら持ち上げる。


「――っか! ――め! ――ッ! ――がッ!」


 人外の膂力で締め上げ、持ち上げてみればジャン君は虫の様にカサカサしだした。逃れようと僕の腕を引っ掻くが、力が入らないのか弱々しい。そしてその弱々しい抵抗も空気が供給されないことで更に弱くなっていく。

 口の端に泡が浮かんでいた。

 僕の瞳を見つめる彼の瞳には涙が浮かんでいた。

 何で? と言う疑問。

 何で俺が? と言う疑問。

 そして止めて下さい、と言う哀願。

 そんな彼を助けられるはずの外的要因であるチンピラ2と3だが――


「オイ! や、止めろよ!」「そ、そうだ! 手を放せ!」

「……」


 話にならない。

 この状況で銃すら抜かずに言葉だけの警告。ちら、と僕がそちらを向けば、気圧される様に一歩下がって、息を呑む。止めろと言った。警告はした。僕達はよくやったよ。そう言う訳だ。


「――、――、――」


 そんな自分への言い訳が上手いオトモダチを持ったジャンくんはとても大変なことになっていた。かりりりぃ、と長く、細く、僕の左腕の甲殻をジャンくんの爪が弱くなぞる。その癖、涎で汚れた口の周りから聞こえる、ぶぶぶ、と言う唾液の爆ぜる音は未だ元気だ。

 あぁ、でも、消えかけの蝋燭と言うのが近いのだろうか?

 目が上に行きかけている。そろそろ話してやるべきだろうか? そんなことを考えて居たらジャンくんのズボンが大変なことになった。独特の匂いもしてくる。「……」。持って居るのが嫌になったので、乱雑にオトモダチに向かって投げつけた。


「……外に出すならトイレの躾くらいしておけよ」


 アル以下じゃないか。


「てっ、ん……めッ!」


 まだギリギリで落ちて居なかったらしいジャンくんが咳き込みながら僕を睨んでくる。「テメェ?」。何ですか? と足を一歩踏み出せば、ぐっ、と次の言葉は飲み込まれてしまう。


「お、覚えてろよっ!」

「……」


 そうしてオトモダチに支えられながら出てくるのは一山どころかグロス単位で幾らで売られてそうな安い捨て台詞だった。


「あぁ、分かった」


 まぁ、安いので買っておこう。


「分かったよ、ジャン」

「僕は君のことを覚えておく」

「君の顔を覚えておく」

「君の名前を覚えておく」

「君の声を覚えておく」

「君の歩き方を覚えておく」

「あぁ、後で匂いも僕の犬に覚えさせておく」

「覚えておくよ、ジャン」

「僕は君の顔を、名前を、声を、歩き方を、匂いを――覚えておくよ・・・・・・、ジャン」


 一息。


「だから君も覚えておけ」

「君よりも強い僕が――」

「君の顔と、名前と、声と」

「君がムカデを纏っていても君を判別することのできる、歩き方と、匂いを」

「覚えていると言うことを、覚えておけ・・・・・、ジャン」


 言い放つ。

 僕の言葉を聞いてしまったジャン達の足が止まり、場に静寂が満ちる。

 そのまま、三秒。


「……忘れて、くれ」


 絞り出す様にジャンがそんなことを言ってきた。

「ははっ」と僕が笑う。それを見て、ジャンも媚びる様な笑みを浮かべる。


「折角だが……断らせて貰おう」

「なんっ――でっ!」

「何でもさ」

「忘れて下さいッ!」


 土下座をされた。

 それでも僕の答えは変わらない。つまりは――


「ノーだよ、ジャン。僕は覚えた。忘れる気も無い」

「っ~~」

「あぁ、だが安心してくれ。街中で殺しをするつもりはないし、わざわざ余分な仕事をする趣味も僕には無い。だからお互いに戦場で出会わないことを祈ろうじゃないか、ジャン」


 つまり――


「僕としては荷物を纏めて直ぐにでもここを離れることを進めさせて貰うよ、ジャン」







「……独り占めしたかったの?」


 チンピラ三人組を見事に街から追い出した僕に、アイリが掛けてくれた第一声がコレだ。


「……」


 僕は少し泣きたくなった。

 人相か? 目か? どっちもどうしようもないじゃないか。


「いえ、違います」


 頭をがりがり掻きながら彼女に向き直る。


「そうなの?」

「はい、そうです」


 彼女の目を見る。憧れた。焦がれた。狙撃手の目。感情を乗せない、機械の様な眼。


「……もしかして、慰謝料を取りに来たのではない……とか?」


 指先を合わせながら上目遣いでアイリ。


「……入り方が悪かったのは、謝ります」


 アイリの目が僕を見る。澄んだ目が僕を見る。


「僕は――」

「はい、貴方は?」

「……A、と言います」

「そう、よろしくA。私はアイリ」

「はい」


 間違えた。自己紹介をするつもりは無かった。


「それで、僕はですね――」

「はい、何の御用、A」

「僕は――」


 言葉が出てこない。

 言いたいことが有ったはずなのに言葉が出てこない。お礼を言いたかった。狙撃の腕を讃えたかった。握手もして欲しかった。僕が狙撃手に成りたかったということも聞いてほしかった。そして何よりも僕が君と、アイリと組みたいと思っていることを何よりも伝えたかった。

 届かない。それを理解しても手を伸ばすことが止められなかった夢がある。

 僕は君に会ってその夢を諦めることが出来た。

 本当の意味で諦めることが出来た。

 だから、僕は――


「君のことが好きです」


 ……。

 …………。

 ………………。


 間。


「…………………………………そう、ありがとう」


 感情の乗らない瞳はそのままに、頬の朱を刺したアイリが姉弟を回収するとソレだけ言ってドアを閉めた。鍵を閉める音まで聞こえて来た。聞こえてきたのは良いが、弟くんがアルを抱いたままなのですが? あぁ、いや。それはどうでも良い。あんなコッペパンはどうでも良い。良くないけど、今はどうでも良い。


「……ミツヒデ」

「おぅ?」


 軽くフリーズしていたミツヒデが再稼働しながらも、気の抜けた返事をする。

 僕はそんな彼の見守る中、丸くなって呟く。


「――間違えた」


 色々と。

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