ひとへに風の前の塵に同じ

第３話 殿中の闇討①─源氏と摂関家の陰謀─

　　　１

　年号変わって長承元年（１１３２）。忠盛は鳥羽院の寵愛を受けていた。発願であった得長寿院（とくちょうじゅいん）建立の功により、内の昇殿を許された。

　一方の清盛は？　というと、「北面の武士」に登用され、仲間ができた。

　同年代で藤原北家の血を引き、徳大寺家といった有力貴族とのコネクションを持っている佐藤義清（さとうのりきよ）。

　義清は武芸だけでなく、和歌などの学問にも優れていた。そのため、同僚たちから憧れの的として見られるだけでなく、皇族や貴族からの評判も悪くはない。

　対して清盛は？　というと、その真逆。武士（もののふ）として、ダメダメだということだ。ただ、藤原家成といった、院近臣らのコネがあるという一点だけを除けば。

「おい、清盛」

　今日の勤めが終わった清盛は、帰りの支度を済ませて六波羅の自宅へ帰ろうとしたときに、声をかけられた。

　清盛は振り向く。

　後ろにいたのは、佐藤義清だった。

「おう、佐藤！　どうした？」

「君はこの前まで、家成卿のところに入り浸っていたそうだね？」

「あぁ、そうだが？」

「そこに、高階通憲（たかしなのみちのり）という人物が通っているとそうだけど、僕に紹介できないか？」

「別に構わないが」

「ありがとう」

　義清は笑顔で言って、武者所を出ようとする。

「しっかし、佐藤。お前勉強熱心だな」

「そういう君は、しなさすぎ」

「なんだと！」

　清盛は、義清の顔面に向かって殴り付ける。

　義清は怖がる素振りもなくよけ、右手をつかんで、

「まったく、君は弱いくせに、よく吠える。ちょっと、ここら辺で頭でも冷やしていたらどうだ」

　義清は清盛を投げ飛ばした。

「痛え！」

　清盛は入口のど真ん中で投げ飛ばされ、同僚たちの見世物にされた。

　　　２

　義清と別れ、六条通りを通った清盛は、築地によりかかっていた、一人の少年と目が合った。

　少年は羽毛を剥いだ鳥のように痩せこけ、今にも死にそうだった。

　かわいそうに思った清盛は、

「よかったら、食べるか？」

　懐から、お昼に食べるはずだったおにぎりを取り出し、差し出した。

　少年は餓鬼のように、玄米で炊かれたおにぎりに食らいつく。

「名前なんて言うんだ？」

「源太（げんた）」

「そうか。家、寄ってくか？」

「うん」

　源太は細い首を曲げて、うなずいた。

「わかった。じゃあ、うちに来いよ。もう日も暮れるから寒くなるし」

　清盛は手を差し出す。

　源太は清盛の手を、力強く握る。

「よし、じゃあ帰ろう」

　清盛は源太の手を握り、家へと帰る。

　夕方、清盛は源太を背負いながら、六波羅の自邸へと帰った。

「若、その子はどこから拾ってきたのです？」

　家貞は、あるかないかわからないくらいに細い目を見開かせながら、大きな声で聞く。

「六条通りの道端。名前は源太って言うんだ」

「源太かぁ・・・・・・。って、為義のところの長男じゃないか！　なんでこんなところに捨てられていたんだ！」

　家貞は大きな声で聞きただす。

「俺もわからない」

「こんな子どもを捨てるなんて、許すわけにはいきません！　だから、しばらくは私が面倒を見ましょう」

「任せた」

　源太は家貞に保護され、ときどき六波羅の屋敷に遊びにくる生活を送るようになった。

　家貞の元へ引き取られてからは、源太は子どもらしい元気さを取り戻していき、腕っぷしの強いやんちゃ坊主と化していった。

　ある日、清盛は源太と剣術の練習をした。

　源太は清盛の頭や胴、手の部分を狙って次々と木刀を打ち込んでゆく。

　対する清盛はそれに押され、源太の攻撃を防ぐので精一杯というところ。それに、彼の一撃を受けると、あまりの強さに手がしびれる。

「それっ！」

　源太は清盛の腹をめがけて、横凪ぎに一撃を喰らわせた。

「痛っ！」

「清盛弱すぎますぞ。それでも平氏の嫡男で、おれよりも年上なのか？」

「大体お前が強すぎるんだよ。もう少し手加減してくれよ」

「やなこった！」

　言い合っているところへ、

「若様と源太殿。良ければ、お買い物に付き合ってくださいますかな？」

　葛で編んだ籠と、竹で編んだ籠を持った家貞がやってきた。

「行く」

　清盛は答えて、

「源太はどうするのか？」

　と聞いた。

　源太は首を横に振る。

「行かない」

「どうしてだ？　市には、おもしろいもの、おいしいものが、いっぱいあるぞ」

「まあまあ行ってみようって。気分転換にはなると思うぞ」

　清盛は源太の手を強引に引っ張り、買い物へ連れてゆく。

　　　３

　京都六条通りの堀川という町に、源太の家がある。

　広い庭付きの屋敷だが、庭にはすすきや猫じゃらしといった雑草が所狭しと生えている。母屋の壁はネズミに食い荒らされ、畳も色あせてボロボロに崩れている。世間一般に言うところのボロ屋敷だ。

　そこの主人で、源氏の棟梁でもある為義は、

「ささ、どうぞおかけになって」

　摂関家の当主で、自らの私君でもある藤原忠実（ふじわらのたださね）を、営業スマイル全開で迎え入れる。

「お主の忠盛嫌いはよく聞いておる。それで、頼みがあるのでおじゃる」

「頼みとは？」

「明日、宮中で新嘗祭（にいなめさい）が行われるのは知っておろう？」

「はい」

　忠実は為義のところまで近寄り、扇で耳元を覆い、小さな声で、

「そこで忠盛が殿上に上がる前に、闇討ちにしたいと思うておるのじゃ」

　と囁いて、先ほどまで座っていた座布団に座った。

「承知致しました！　この為義にお任せを！」

　為義は手と頭を床に伏せ、喜ばしそうな声で言った。

　忠盛をよく思っていない貴族は多い。従五位下の貴族の大半はそうだ。

　なぜ、よく思っていないのか？　それは、

「成り上がり者」

　だからだ。

　当時の武士は、皇族や貴族の屋敷、あるいは荘園を外敵から守ったりすることを主な生業としていた。当然、社会的地位も低い。

　忠盛が昇殿を許されたことを現代の感覚で言えば、場末の皇宮警察官や自衛官が、天皇陛下や上皇陛下の推挙で国会議員になることと等しいぐらいに衝撃的な出来事だったのだ。

　それに、平家の出自が「伊勢平氏」とあるように、拠点が伊勢にあったことが挙げられる。

　当時の文献を見る限りでは、貴族の世界観は平安京が中心にあって、摂津、近江、和泉、大和といった周辺の国々を畿内、東の不破関（ふわのせき）を抜ければ板東、武蔵国の隅田川を越えれば、蝦夷の土地という認識だった。平安貴族の世界観に照らし合わせてみると、伊勢国は、皇祖天照大御神が祀られている「伊勢神宮」があるくらいの認識で、そこそこ田舎ぐらいの認識しかなかっただろう。

「褒美もたくさんつかわすぞ」

「ありがたき幸せ」

「余は忙しいので、これにて」

　忠実は為義の部屋を出た。

「ついに、親父殿の仇の息子である忠盛を闇討ちにできるぞ」

　為義は笑みを浮かべながら言った。彼も忠盛が嫌いな人の一人であった。

　理由は、唯一自分のことを可愛がってくれた、父親義親を、忠盛の父である正盛に討たれたからだ。

　みなしごとなった為義は、東国武士をまとめ上げたことで知られる祖父の義家に預けられた。

　義家との生活は、武芸もたいして強くなく、頭もよくない。唯一の特技は「ごますり」しかなかった為義にとっては、苦痛でしかなかった。

　剣術や柔術といった武芸の練習に加え、武士の道とは全く関係のない、和歌の練習もさせられた。祖父に取り入ろうとしても、相手にもされなかったからだ。

「じいさん、なんで関係のない和歌の練習までさせんだよ」

「これからの時代の武士は、〈ただ強い〉だけではダメだからだよ」

「強いだけじゃダメって・・・・・・。体を張って、主を守ることが武士じゃないのかよ」

「体を張って主を守ることも、武士の美徳ではあるが、これからの武士は、自主性を持って生きねばならぬ」

「自主性って？」

　義家はしばらく黙り込んで、

「源氏は終わりじゃな」

　哀しげな表情でつぶやいた。

　為義はこの出来事を、今でも心の奥底で引きずっている。

　そのため、祖父によく似た源太が怖くなって、都の路傍に捨てたのだ。

　　　４

「おや、今日の為義の屋敷には、珍しい牛車が止まっておるのう」

　買い物の帰りに、たまたま六条通りを通りかかった家貞と清盛、義朝の３人は、為義の屋敷に見慣れない豪華な牛車が止まっているのが目に入った。

「また親父変なこと企んでるみたいだな」

　源太は呆れた表情で言った。

「いや、そうかどうかはわかりませぬぞ。まあ、ともかく、様子を見てみましょう」

「うん」

　３人は築地の陰に隠れて、その様子を見てみる。

　門から、忠実とその部下らしき人物が出てきた。

「明日の新嘗祭が楽しみじゃ」

「あの忠盛に、お前は田舎者だということを知らしめてあげましょうぞ」

　忠実と部下の男は、時代劇に出てくる悪代官とそれを支持する悪徳商人のような笑みを浮かべて、高笑いしている。

「今、摂関家のオッサン、清盛の父ちゃんを闇討ちにする、って言ってたぞ」

「何、それは本当か！」

　家貞は大きな声で、源太が聞いた陰謀の末端について聞き正す。

「うん。清盛も聞こえたよな？」

「おう」

「それよりも、こんなとこで突っ立っていても埒（らち）が空きませんから、早く買い物を済ませて、殿に為義の陰謀を伝えましょう」

「そうだな」

　３人は走って、六波羅にある平家屋敷へと向かう。